それぞれが出した答え
「だから、とっとと奪ってやれよ。その方が、互いのためだろう?」
心底楽しそうに、目の前の紅い髪からそう言われた。
この男が言わんとすることの意味は分かっている。
栞がこの男の国へ向かうなら、処女のままではかなり危険らしい。
その詳細を聞いたわけではないが、かなりの確率で集団から性的暴行を加えられる可能性が高いだろう。
言葉が微妙に濁されているのは、どこかで聞き耳を立てている人間がいないとも限らないからだ。
人除けや防音の結界を施しても、もともとこの場に魔石や魔法具など、その気配が分かりにくい仕掛けがないとも言い切れない。
ここはローダンセの領域だ。
だから、オレたちが知らない、気付けない手法で聞き耳や覗き見をしている趣味の悪い人間がいる可能性がある。
「ガキじゃなければ、多少はマシだ。嫌な思いをする可能性はあるが、死んだ方がマシな目には遭わない。尤も、それは正体が露見しなければの話、だがな。血筋や、肩書きを考えれば、アレはあの国で一番目の敵にされる存在だ」
セントポーリアの王族の血を引く栞は、ミラージュの国王にとって忌むべき「封印の聖女」の血筋であり、彼女自身も「聖女の卵」と呼ばれている。
ストレリチア城から出た後、「迷いの森」の近くでミラージュから襲撃を受けたのもそう言った理由からだった。
あの場にいた男たちは、栞を穢す命令を受けていたと聞いている。
正直、女一人に悪趣味すぎるだろうとも思うが、そんな考え方を受け入れてしまう国に対して自分の常識で話したところで相互理解はできないだろう。
「まあ、考えておく」
「……前と、意見が変わったな」
「考えるだけだ。実行するかは流れに任せる」
いずれにしても先の話だ。
そして、オレは実行しないだろう。
そんな気がしている。
一度、栞を傷つけたのだ。
そんなオレがどの面を下げて、そんな提案を持ち掛けることができるって言うんだ?
それでなくても、この身体は今も首輪が付いていると言うのに。
「前にも言ったと思うが、逆に、お前は考えないのか?」
「あ?」
「自分こそが……って思わないのか?」
それは、オレにとっては面倒ごとしかない問いかけである。
それでも、確認はしておきたかった。
それによって、今後の動きが変わることになるだろうから。
「ゆめの郷」でもした問いかけでもある。
あの時は、法力の才があることと、処女はめんどくさいとか言っていたが、本当の理由は違うだろう。
だが、ほとんど猶予がなかったはずなのに、今回、栞の手によって、少しの余裕が生まれた。
状況が変化したのだ。
そうなれば、この男の気持ちが変わってもおかしくはない。
それに先ほど栞自身も似たような問いかけをしている。
栞に興味がないならばともかく、手に入れたい気持ちがないわけではないはずだ。
その上で、あんな質問をされて、男として全く揺らがないとはオレには思えなかった。
「前にも言ったが、そのつもりはない」
紅い髪はきっぱりそう言い切った。
「茶色が、『正茶』どころか、七色の可能性もあるんだろ? 極小でもその確率に賭けようとは思わないのか?」
上神官どころか、高神官に至る可能性があるとこの男自身が言っていた。
能力向上をしたいとは思わないのか?
「なんであんたたちは俺を唆そうとするんだろうな」
男は苦笑する。
「迷いがないとは言わない。あんな誘いをかけられて揺らがないほど俺の芯はしっかりしていない。だが、見くびるな。同情や憐れみからならば、欲しくはない」
「つまりは、当人が本気で差し出せば、もらう気はあるってことだな」
「…………」
紅い髪は押し黙った。
それが答えなのだろう。
どんなに国の事情が邪魔しようとも、惚れた女が本当に欲しくないはずがない。
自分に気持ちがなければ諦めもつくだろう。
だが、栞は僅かながらの可能性を口にしてしまった。
―――― わたしを抱けば、その命が助かるのなら、あなたはどうする?
その問いかけは、答え次第では応じるともとれる。
今回、延命はされた。
でも、延命でしかない。
救命には至らないのだ。
「なんだよ? くれるのか?」
暫く時間をおくことで、気持ちが落ち着いたのか、ニヤニヤとそんなことを確認する。
「やるかよ。邪魔するに決まってるだろ?」
少なくとも、その程度の気持ちしか持ち合わせていない男に、栞を任せる気はなかった。
「邪魔するくらいなら、とっとと手にしておけ。そうすれば、面倒ごとが一つだけなくなるんだ」
オレは栞に気持ちを伝えることができないのだ。
気持ちを伝えれば、死ぬことになるのをこの男は知らないのだろう。
それは別に構わない。
知ったところで、オレが栞を手にする資格がないと納得するだけだ。
「アレの気持ちが定まるのを待っていたら、爺になるぞ」
「それだけ側にいることが許されるなら、本望だ」
年老いてまで、側にいるほどの信用を得られる人間がどれだけいるだろうか?
「分っかんねえな。そこまで惚れ抜いているのに、どうして、手に入れない?」
「こっちにも事情があるんだよ」
「ああ、『首輪』か」
「あるのは認める」
それを告げたのはこの男に対してではなかった。
だが、知っていても驚かない。
先ほどからの会話でも、此処彼処にその気配はあったから。
「とりあえず、俺は忠告をしてやった。あんたやアレが嫌がっても、事実が捻じ曲がるわけではない。まあ、俺としては関わらず、知らない所で呑気に笑っていて欲しいと言うのが本音だがな」
オレも本音は似たようなものだ。
そんな異常な国に関わることなく、呑気に笑っていて欲しいと思っている。
だが、知らない所ではなく、目に見える場所で……、とも思っているけどな。
知らない所で、目に映らない場所で幸せになって欲しいと願うこの男と、手を伸ばせば届く位置で幸せに笑っているところを見せて欲しいと望むオレ。
そこがオレとこの紅い髪との最大の違いだろう。
尤も、そんなオレの望みも叶わないと、分かっているのだけど。
どの道、この先、オレは栞の側にいることができなくなるのだから。
「まあ、寿命を延ばしてもらった礼として、アレの友人の母親はこのまま守り続けてやろう。最近、あちこちから虫が湧いて面倒にはなってきたが、俺の魔力が通常に戻ったなら、少しはマシになる」
「魔力もそうだが、メシを食え。分かりやすく衰え過ぎだ」
「メシなんか食ったら、俺よりも中身の方が活性化するんだよ」
だから、食わなかったと?
ふざけるな。
「そんなことして結局、気力で負けていたら、意味がねえだろうが。中身を活性化させてでも、自分の活力を取り戻せ」
オレがそう言うと、押し黙った。
それについては考えなかったらしい。
頭は悪くなさそうなのに、阿呆なのか?
「少なくとも、三食は摂れ。特に朝食。気力が無くなったら、抵抗すらできん。無抵抗で好き勝手にやられるのが、お前の矜持ってやつか?」
それ以外に必要なのは睡眠だな。
適度な運動は体力が戻れば、勝手にするだろう。
身体を動かすのが苦手なヤツではないようだから。
「ああ、それとも、メシも作れないのか?」
この男は火属性が強い。
例のフレイミアム大陸の人間たちに多い、料理が苦手である可能性はある。
「馬鹿にするな。料理ぐらいできる」
何故か、ムッとされた。
何かが引っかかったようだ。
だが、できるなら何も問題はない。
「なら、作れ。自分で作った方が、必要な栄養も調整しやすい」
「いや、普通は、この世界で栄養なんて考えないからな?」
「人間界を知っている人間が、栄養を無視するな」
栄養学なんてそこまで勉強していなくても、小学生だって少しぐらいは知っているだろう。
少なくとも、オレの通っていた小学校には、給食の献立表の中に、小学生でも分かるような表現で書いてあった覚えがある。
「あんたは、俺の母親か!? いちいち細けえんだよ」
「生憎、反抗期のクソガキを産んだ覚えはねえな」
「いや、もっと他に突っ込むべき部分はあったよな!?」
確かにあったのだが、一番気にかかったのがそこだったから仕方ない。
「なんでもいいから、ちゃんと食え。折角、繋げてもらった命を無駄にすんな」
「分かっている。ここから先は、少しも無駄にする気はない」
紅い髪の男はそう言って、オレを見据えたのだった。
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