誰も彼もが非常識
「まさか、お前に常識云々を言われるとは思っていなかった」
自分が人とは少し違うことは自覚している。
出自すら分からず、オレを産んだ母親も、幼少期の育ての親と言える存在たちも、どこかぶっ飛んでいた。
さらに十年もの間、異世界生活である。
それでも、この世界の常識から大きく外れたものだとは思っていない。
「お前もアレも十分すぎるぐらい非常識だ」
そこは、栞だけなら納得できるんだけどな。
「常識から外れた兄から育てられた弟なんて、そんなもんだろう?」
栞の夢の中で出会ったオレを産んだ母親も、結構、変わっていたとは思う。
あの人も孤児から神女になったらしいから、一般的な常識からかけ離れた生活をしていたことは確かだろう。
そうなると……、血筋か?
「いや、あんたの兄は確かに常識からズレてはいるが、それは常識を常識と認識した上でのことだ。だが、あんたは違う。普通だと思っている基準が既におかしい」
それは栞の話ではなかろうか?
だが、これだけは言いたい。
「非常識な黒服集団に属しているお前から言われてもな」
そんなヤツからおかしいとか言われたくないぞ。
「俺も倫理はともかく、常識は弁えている」
「いや、倫理が異なる時点で、常識は語れないだろ?」
「常識……、一般に共通する知識や意見から成り立つ道徳のことが倫理だ。我が国民どもは悪事を悪事と認識し、道徳から外れた行いとは承知している」
だから、常識は知っている、と。
その考え方もある意味、常識外れなのではないか?
「こう言えば良いか? 我が国は、己の願望に忠実であるため、常識を知りつつも他者を意識せず、勝手気ままな行動をとる傍若無人な人間が多い、と」
「その時点で常識外れじゃねえか」
どんな風に言ったところで、結論は変わらない。
「そうだ。だから、アレを関わらせるな」
「あ?」
意味が分からなくて問い返す。
「まあ、それをあんたに言ったところで、無駄だろうがな」
「あ?」
さらに意味が分からなくなった。
「アレは、一度覚悟を決めてしまったことは絶対にやり通す。友人の手助けをすると決めたなら、周囲がどんなに警告を繰り返してもそれを貫くだろうな」
そこまで言われて何の話をしているのかを理解する。
栞は、情報国家の国王陛下を通して、ミラージュを探している。
それは全てアリッサムの双子の王女たちのためだ。
だから、この男が止めろと言っても、多分、オレや兄貴が止めたとしても、突き進もうとしてしまうだろう。
それが自身の悲劇に繋がるであろうと分かっていても。
これまでにこいつら自身から聞いただけでも、良い話を聞かない国だ。
先ほど、この紅い髪自身も言っていたじゃないか。
―――― 我が国民どもは悪事を悪事と認識し、道徳から外れた行いとは承知している
悪いことが分からないわけではない。
他者にとって害悪だと知りつつも、その愚行を押し通す国だと。
知らなくて他者の権利を侵す無知な輩よりも、もっと質が悪い。
そして、栞はそんな国に関わろうとしている。
この紅い髪のためじゃなく、水尾さんと真央さんのために。
自分に降りかかる火の粉を振り払うためなら納得できる。
だが、そうではないのだ。
火事場にわざわざ飛び込もうとしている。
それが自分を燃やし尽くす炎だと分かっていても。
他人のために……、いや、違うな。
自分が好きな友人のためなら、死地へ向かう無謀な女。
それが、「高田栞」なのだ。
「そんな女に惚れたんだから、お前も諦めろよ」
「あ?」
オレの言葉の意味が分からなかったのか、紅い髪は間の抜けた声を出す。
「周囲の忠告や警告を無視するような女に救われて惚れこんでしまったのだから、観念しろってオレは言ったんだよ」
そう。
あの無謀さに救われたのだ。
だから、無視できない。
オレの始まりは「シオリ」だ。
幼い頃に「シオリ」に救われたことで、命が助かった。
だが、「シオリ」が「高田栞」になって、オレは人間としての心が救われたのだ。
少なくとも、「シオリ」のままではオレは「九十九」になっていない。
兄貴の駒としてしか動けない「ツクモ」のままだったと思っている。
人間界で「高田栞」に会った時、「ツクモ」は完全に無視された。
横を素通りされたのだ。
オレは会えて、本当に嬉しかったのに。
声を掛けようとして、伸ばした手を引っ込めた。
何らかの形でシオリがこの世界の全てを忘れているのだと気付いたのは、その後のこと。
だから、決めた。
今度は、絶対に無視できない存在になってやる、と。
オレは小学生にしては習い事が多かっただろう。
だけど、友人付き合いもやった。
兄貴からの課題もこなした。
あの頃のオレなりに努力をし続けた。
その研鑽の果てに「笹ヶ谷九十九」が存在する。
手を引っ込めたのは一度だけ。
あれ以来、オレは手を伸ばすことを諦めなくなった。
伸ばされた手は必ず掴もう。
伸ばした手は必ず届くように、と。
「やはり、あんたは危険性を理解した上で、背を押す方だよな」
オレの言葉には答えず、紅い髪は肩を竦めた。
「何でも願いを叶えてやりたいと思って何が悪い?」
「真顔でそう言い切られると、こちらの方が気恥ずかしい気持ちになるのは何故だろうな?」
「知らん」
この点において、他人の気詰まりなど知ったことか。
栞が自分の考えを曲げないのと同じように、オレにだって譲れない思いはある。
ただそれだけのことだ。
「それに、下手に止めて変に暴走されるよりは、許可を与えて好き勝手にやらせた方が、動きの予測がしやすいということに最近、気付いた」
「妙な方向に学習してんな~」
栞は予想外の言動は多いが、完全に無知というわけでもない。
やりたいことを力尽くで止めようとすると全力で反発され、反撃されることすらあるが、ある程度、やりたいようにやらせると気が緩むのか、オレに対する警戒心が薄れる。
そんな隙のあるところも素直で可愛いと思っている。
「まあ、良い。あんたの考えも理解した」
これ見よがしに溜息を吐かれた。
「まさか、あんたの方に、止める気そのものがないとは思っていなかったが……」
「お前が言ったように、止めて止まるヤツだと思うか?」
「思わないから、扱いに困っている」
どうやら、栞に関しては意見が合うようだ。
嬉しくないけどな。
「それなら、とっとと奪ってやれ」
「あ?」
奪う?
何を?
「アレがガキのままで乗り込めばどうなるかは、あんたも聞かされたことはあるだろ?」
「……ああ」
―――― 15歳にもなって異性経験を伴わない女は、その身分に問わず、生産工場行き
この男とは違う声で聞かされた言葉。
―――― 疎まれやすい子供は、法力を持ちやすい
ただそのためだけに、女が蹂躙される法律が容認された国だと。
聞かされた言葉は本当に胸糞が悪くなるもので、そんな国から栞は狙われているのかと本気でげんなりしたものだ。
「まるで乗り込むことが分かっているような口ぶりだな」
「分かるだろ? アレの性格上、友人だけで行かせるとは思っていない」
ああ、オレもそう思っている。
アリッサムの女王陛下が、今もこの男の国に囚われていると知った後の、水尾さんと真央さんを見た。
あれから二人が変化したのだ。
水尾さんは遮二無二に魔法を鍛え始め、真央さんは兄貴と取引をしてまで情報収集を始めた。
これまで何もしなかったわけではない。
だが、これまで不明瞭だったものが、はっきりとしたことで、二人に明確な目標が生まれたことは確かだ。
これまで身を守れなかった真央さんは、あの「音を聞く島」で解決方法を得て、水尾さんほどではないが、魔法を使えるようになっている。
最近では、トルクスタン王子を付き合わせて魔法を磨いているということだ。
だから、あの二人は、いずれミラージュに乗り込もうとするだろう。
セントポーリアで水尾さんを見捨てず、カルセオラリア城で真央さんの願いを叶えるために死地に飛び込み、あの「音を聞く島」で水尾さんを助けるために無茶した栞が、どんな行動をとるかなんて火を見るよりも明らかだ。
婚約者候補の男が抑止力になってくれるかと思ったが、今のままではなりそうもない。
これまでの立ち回りを見ている限り、栞の方が行動力もあり、説得力のある会話もでき、何より、厄介ごとの場慣れもしている。
それに水尾さんと真央さんの二人と、婚約者候補の男を秤に乗せれば、どちらに傾くかなんて分かり切っていることだ。
「止めても止まらない。忠告も聞き入れない。それなら被害軽減に努める以外の方法があるか? アレは感情的に見えるが、意外に合理的な面もある。行くな、関わるなは聞き入れられなくても、ソッチなら受け入れる可能性はあるだろう」
紅い髪は心底、楽しそうに……。
「だから、とっとと奪ってやれよ。その方が、互いのためだろう?」
そんなことを言ったのだった。
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