邪魔しなかった理由
「目は回復したのか?」
オレがそう声を掛けると……。
「おお、随分、あくどい魔法を使うようになったじゃねえか」
そう答える声があった。
「それは、主人に言ってくれ。争っているヤツらの間に入るには、あのやり方が一番合理的であることをオレに教えたのはあの女だ」
「あ~、そうだったな」
あの「ゆめの郷」で、栞はオレが来島に絡んでいた時に、いきなり割って入った。
そして、至近距離での「目晦まし」。
あれが、栞が最初に一言魔法を使った時だと記憶している。
当人も一か八かと言っていたから、それは間違いないだろう。
閃光系の魔法が目晦ましになることは理屈として分かっていても、それを迷いもなく使うことを考える人間はそう多くない。
だが、それを当人に言うと、「少年漫画で見たんだよね」なんてことを返しやがったが。
いろいろムカつくが、その少年漫画に心当たりがあったから、何とも言えない。
同じものを見ても、それを使うって発想がオレにはなかった。
これまでに読んだ漫画や小説、プレイしたゲームすら自分の経験としてしまうのが、あの高田栞の一番恐ろしいところなのかもしれない。
「こいつらを助けて、あんたに何の得がある?」
「し……、誰かが気に病むことがない」
栞の名を口にしようとして、止めた。
どこで、誰が、どんな方法でこの会話を聞いているかは分からない。
人除けの魔法はしていても、人が来ない領域ではないのだ。
それが味方でも敵でも、盗み聞きしている時点で碌なヤツではないと思うけど。
勿論、身内含む。
いや、正直、身内が一番、面倒だ。
後で、何を言われるか分かったもんじゃねえ。
「どこまでも甘い男だな」
そう言いながら、紅い髪の男が姿を現す。
先ほどまで黒の燕尾服を着ていたが、今は着替えて、よく見る黒い服に黒い外套姿となっていた。
栞がいなくなった今、着飾る理由はないらしい。
気持ちは分かる。
オレもこの燕尾服を早く脱ぎたい。
正装ってやつは、動きにくいのだ。
だが、まだこの姿で戻る必要があるため、我慢して着込んでいる。
服はともかく、この髪型だけは、オレは魔法で簡単にできないからな。
「それで、目は治ったのか?」
「さっきから、やけに目に拘るな」
「当然だ。強すぎる光は網膜を損傷させることもある」
光を点滅させていたわけではないため、人間界で一時期騒がれた「光過敏性発作」の可能性はないだろう。
あれはあれで興味深い症例ではあったのだが、全ての人間に起こらず体質的な原因もあるかもしれない話だったので、ある意味、使いにくい。
「……相手の網膜まで気にするぐらいなら、あんな魔法を使うなよ」
紅い髪は呆れたようにそう言った。
「どれだけ効果的か試しただけだから問題ない」
魔法力はほとんど要らない。
そして、補助魔法であるため、相手の「魔気の護り」も働かない。
さらに、目的の人間をすぐに確保できる。
強いて難を言えば、救助すべき人間の目まで晦ませてしまうところか。
この時点で栞には使えないな。
「俺で試すなよ」
「お前に試さず、誰で試せって言うんだよ?」
「兄がいるだろ?」
実の兄を実験台に使えって、割ととんでもない話だな。
「却下だ。確実に、それ以上の報復がくる。それよりは、攻撃魔法を試す方が、反撃もまだマシだ」
補助魔法を場に応じた使い分けをしたところで、兄貴はすぐに対応できるようになるだろう。
それよりは、新しい攻撃魔法を使って、それを解析させている方がこちらの勝率も上がると言うものだ。
それでも、兄貴との模擬戦の勝率は四割を切るんだけどな。
「あの男に通じる攻撃魔法なんてあるのか?」
「なくはない」
火、風、光、地、水、空の全てに満遍なく耐性がある兄貴だが、複数の属性を混ぜれば、その対処が遅れるのだ。
だが、火と風は読まれやすい。
風と光は持ち前の魔法耐性で凌ぐ。
我が兄ながら、隙が少なくて本当に困る。
つい最近、模擬戦闘で使った「氷嵐魔法」に光属性を乗せたやつはマシだったか。
その反撃に「炎竜巻魔法」に地属性が追加されたのは本気で熱かった。
炎を伴い、加熱された石が竜巻の中で向かってくるのだ。
実の弟に使う魔法じゃないだろう。
「苦労してんな、弟」
「うっせえ。用件をとっとと言え」
わざわざオレの前に姿を現したのだ。
栞だけじゃなく、オレにも用があるってことだろう。
あるいは、栞に対する伝言か。
邪魔が入った以上、ここで倒れている二人に固執する理由などないはずだ。
「何故、邪魔をしなかった?」
「あ?」
「シオリとの逢瀬だ。あんたなら、絶対に途中で邪魔するだろうと思ったが、何故、見逃した?」
あ~、そのことか。
意外に気にするヤツだよな。
「邪魔した方が良かったのか?」
「邪魔しなかった理由を尋ねている。邪魔しろとは言っていない」
そう言いながら、鋭い瞳をオレに向ける。
そんな瞳をオレに向けても怖くねえ。
三年前ならいざ知らず、それなりに何度か会って話しているのだ。
しかも、酒まで飲み交わしている。
良いヤツとは言わないまでも、栞に対して害意はあっても悪意は感じない。
理由としてはそれで十分だった。
「勘」
「あ?」
「勘だよ、勘。邪魔しない方が良い。そう思ったから、邪魔しなかった」
後は、同情。
既に死の覚悟を決めている男の邪魔をするほど、オレは野暮な人間にはなれなかった。
だが、そんなことを言えば、この紅い髪だって、いい気はしないだろう。
栞の側にいるオレと兄貴だけには同情されたくないはずだ。
だから、それを口にする気にはなれなかった。
「勘であのザマかよ。護衛失格だな」
「今のオレは護衛じゃねえからな」
残念ながら。
「じゃあ、なんだ? 付け狙う者か?」
「それはお前の方だろ?」
どう考えても、栞を観察しすぎだろう。
だが、ずっと見ているわけではない。
少なくとも、制限があることは分かっている。
そのために、この国に来てからの栞のことは、ほとんど視ることができていないだろう。
だから、今回、姿を見せた。
これが、最後だと思っていたから。
だが、結果はどうだ?
ますます、栞に執着する理由ができただけだった。
変わるために現れたはずだったのに、結局、変わることがなかったのは、この紅い髪にとっては、幸か不幸か。
それについては、当事者ではないオレには判断することができない。
「難儀なヤツだよな」
「それは、恐らく、俺のことを言っているのだろうけど、その言葉。今のあんたにだけは、絶対、言われたくねえな」
紅い髪は苦笑する。
随分、無防備な返答と表情だ。
少なくとも、ここ一年はこんな感じだった。
はっきりと変わったのは、恐らく「迷いの森」。
こいつらに襲撃され、長耳族の集落に行った後からは、間違いなくこの紅い髪の雰囲気が変わっている。
栞だけじゃなくて、オレに対しても。
少なくとも、この男からは、初めて会った栞の誕生日や、栞をボロボロにした卒業式の時のような危うさはもう感じない。
「なんで手放した?」
「あ?」
言われた意味が分からず問い返す。
「どうして譲ったのか? と、聞いているんだよ」
その視線の先にいるのは、先ほど、オレが眠らせた男がいる。
そこで、ようやく理解したが……。
「譲ったつもりなんか、ねえけど」
そもそも栞はオレの所有物ではない。
オレは栞の物だが、その逆はあり得ない。
兄貴も同じことを言うだろう。
そこに恋愛感情があるなしに関わらず、オレたち兄弟は、出会ったその日から生殺与奪の権利をこの母娘に委ねている。
セントポーリア国王陛下にではない。
この母娘たちだから、従うのだ。
ミヤドリードから、「この母娘を守って死ね」と言い含められていたからでもない。
この母娘だから守りたいのだ。
そこに、オレの場合は恋愛感情なんて分かりやすいものが追加されただけの話である。
この対象が別々だったら迷ったかもしれないが、同一の存在なら迷う理由はない。
ある意味、オレは運が良いのだろう。
仕えたい、守りたい、愛したい、この存在のために生きたい。
その全てが栞にのみ存在しているのだから。
「いや、どう見たって力不足だろ?」
「それは当人に言ってくれ。決めたのはオレじゃねえ」
トルクスタン王子からの紹介だけでなく、兄貴からの入れ知恵もあっただろう。
栞にとって都合の良い存在。
それが、この婚約者候補の男だ。
知らない場所で、気が付けば決まっていた。
オレが知ったのは、彼女が心を決めた後だった。
結論だけを聞かされたも同然だったのだ。
だが、力不足?
そんな些細なこと、栞やオレたちが補うに決まっているじゃねえか。
「後悔するぞ」
そんなもの、もう何度繰り返したか分からない。
自問自答。
愚問愚答。
愚かしいほどに同じ所でグルグル回っている。
「説得しろ。今なら、まだ間に合う」
この男は何を言っているのか?
「神に対しても臆しないヤツの説得なんかできねえよ。お前にはできるのか?」
オレがそう言えば、紅い髪は口を結んだ。
分かっている。
一度決めてしまえば、周囲のどんな言葉も聞かない女だ。
だから、兄貴は少しだけ彼女の決めた道の修正をするために助言をし、オレは栞が好きに進めるように整備する。
だから、好きなだけ走り続けろとそう願いながら。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




