太古の契約
自分の心臓の音が妙に大きく聞こえる。
―――― 太古の契約に基づき、闇の大陸神の加護を受けし血族が告げる
紅い髪の男が告げたその言葉を耳にしただけで、俺の身体が思うように動かなくなってしまった。
手や足の指など、身体の先端は動かせる。
だが、腕や足のような大本の部分を動かすことができなくなっていたのだ。
今のは、何の魔法だ?
麻痺? 硬直?
詠唱に聞き覚えはないことから、俺が知らない魔法であることは確かだろう。
だが、闇の大陸神の加護だと?
この世界にあるのは、火、風、光、地、水、空の六大陸で、闇の大陸と呼ばれる大陸はない。
だから、それぞれの大陸に加護を与えるという大陸神も存在しないはずなのに。
それでも、自分の身体が重くなり、動きも鈍くなっている。
これは一体、どういうことだ?
『あ……、あ……?』
すぐ側にいるセヴェロから言葉にならない音が漏れていた。
その青い瞳は見開かれ、唇が震えている。
身体の方も、俺以上に動かせないようだ。
そうなると、俺よりも、セヴェロの方に効果がある魔法だったということか?
悩む間もなく、その答えはすぐに出た。
「跪け、雑種ども」
そのたった一言で、セヴェロは身体ごと崩れ落ちるように、膝を付いたのだ。
俺は、身体が強張っている状態ではあったが、全く動くことはなかった。
よく分からないが、自分の中にアレを跳ね除けるナニかがあるらしい。
身体の中に、何か侵入しようとしたモノに対して、堰き止めたような気配があったから。
『へえ、そこまで精霊族の血が顕然しているなら、混ざりモノでも十分、効くはずなんだが……。ああ、あんたにはカルセオラリア王族の血も混ざっていたか』
どうやら、俺のことを言っているらしい。
カルセオラリア王族の血?
少し考えて、アルトリナ祖母上のことかと気付く。
カルセオラリア王族の血が流れていると言っても、普段はそれを意識することはない。
空属性の魔法は使えないわけではないのだけれど、そこまで得意というほどでもないから。
特に近年では、結界魔法や移動魔法を使う機会も減っていた。
自分が使うよりもセヴェロに任せた方が、その効果も高いことが理由として上げられる。
だが、先ほどの魔法を堰き止めるような感覚があったのは、そのためだったらしい。
『そうなると、太古からの盟約を、空の大陸神の加護が邪魔しやがるってことか。これは興味深い』
まるで、実験や観察を楽しむ小学生のような声。
だが、その男に対して俺が何か言うよりも先に……
『ふ……、ん……、な』
地に両手両膝を付きながらも微かに聞こえた弱弱しいセヴェロの声の方に、男も俺も気を取られた。
「む? 意識がある……だと?」
だが、そのことは俺以上に意外だったらしい。
紅い髪の男はそこで初めて嘲笑でも侮蔑でもない種類の笑みを浮かべた。
「これは、契約相手がいるためか? 確かにその事例は数百年前に……」
そして、何やら考え始める。
随分、シオリ嬢の前にいた時とは印象が違う。
どちらが本当の姿かは、分からないが、少なくとも、俺やセヴェロにとっては良くないモノであることは間違いないだろう。
この男のために、シオリ嬢はあんな魔法を使ったのに、それを気にした様子もないのだ。
だが、今はそんなことを言っているような余裕はなかった。
俺はともかく、明らかにセヴェロの様子がおかしい。
先ほど、この紅い髪の男が使った魔法が影響していることは分かるが、その前から、いつものセヴェロとは違ったのだ。
―――― アリッサムのトムラームか。
あの言葉が何を意味するのかが分からないが、それが原因であることは明白だった。
この場に長くいない方が良い。
この男はセヴェロにとっても、俺にとっても「災厄」でしかないのだ。
そんなことすら思考の中に浮かんでいた。
だが、見逃してもらえるとは思えない。
この男は、明らかにセヴェロに興味を持ってしまったようだ。
セヴェロが精霊族だからか?
いや、精霊族ならば、この大陸には山といる。
わざわざセヴェロに拘る必要などないだろう。
『……っざけんな!!』
不意にセヴェロが叫んで、地面に拳を叩きつけるようにして飛び上がる。
明らかに冷静ではない行為。
先ほどまで俺を押し留めていた男の行動とは思えないほど衝動的なものだった。
だが……。
「落ちろ」
そんな言葉で、再び、セヴェロの全身が地に叩き落とされる。
『ぐっ……』
「なるほど。意識はある。だが、身体の方が本能に逆らえないようだな。無駄に自尊心が高い精霊族ならば、屈辱的だろうが……、まあ、『実験動物』にそこまでの矜持などないか」
『そ……、で、よ……、な!!』
紅い髪の男の挑発的な言葉で、セヴェロは叫ぶ。
そこにいつものような余裕はなかった。
「俺は単に事実を口にしているだけだ。今はともかく、かつて魔法国家に飼われていた過去が変えられるわけではない」
やはり、セヴェロは……、魔法国家アリッサムにいたということらしい。
だが、それなら納得できることもある。
俺がセヴェロと出会ったのは、魔法国家アリッサムが襲撃されたと聞くよりも、少し前の話だったのだ。
その時期がずれていたために二つを繋げたことはなかったが、それなら、セヴェロが弱った状態で俺の前に現れた理由が分かる気もした。
「だが、そうだな。今の主人との縁を断ち切れば、もっと従順になるか?」
そう言いなが、地に伏せているセヴェロの顔を持ち上げる。
『ぐ……っ!!』
「それとも、重ねて命ずるか? 普通ならば、約言は一度だけで十分だから、やってみたことはない。まあ、それもまた一興だな」
明らかに不穏な言葉。
あの男は精霊族を制する手段を持っているらしい。
先ほどから、セヴェロを意のままに従わせていることからも、それだけは分かった。
精霊族たちと共存しているこの大陸の、誰もが成し得ないことを、何故、他国の人間だと思われるこの男ができるかは分からない。
だが、今、動かなければ、後悔する。
そんな気がした。
セヴェロの顎を掴んでいた紅い髪の男の右腕を目がけて、「凍り付く矢」を放つ。
だが、やはり、当たらない。
男はセヴェロからその手を離し、少し離れた場所に嘲笑うかのように立っていた。
「そのまま呆けているかと思ったぞ、雑種」
そうは言いつつも、男は俺が放った魔法を直撃させることなく、素早く反応し、動いていたところを見ると、俺の動きを警戒していたのだろう。
移動魔法を使ったようだが、セヴェロごと移動しなかったのは、移動魔法に人数か範囲の制限があるのだろうか?
「『自分の物に手を出されると怒る』。そう言ったのは、貴方だったはずだ」
相手に呑まれないように、声を出す。
荒げることはしない。
相手の目的が俺を煽って魔力の暴走を促すためだという可能性もあるのだから。
セヴェロがいつもと違う今。
ヤツには頼れないのだ。
それに、シオリ嬢は、決して俺の物ではない。
俺の物にしてはいけない。
だが、セヴェロは違う。
俺が見つけた、俺の唯一の従僕だ。
「自分の物とは思っていないが、自分が見定めた従僕に手を出されて、黙っていられるほど俺はお人好しではない」
「そうか」
俺の言葉に気分を良くしたように男は口を歪めて……。
「それなら、こちらの方から試そうか」
そんな不穏な言葉を口にした。
『太古の契約に基づき、闇の大陸神の加護を受けし血族が告げる』
先ほどと同じ言葉。
だが、その音の響きがかなり違った。
その途端、俺の身体が、揺れた。
意識はある。
だが、身体が完全に動かなくなった。
『こっ……』
セヴェロが何かを口にしようとした時だった。
『沈黙魔法』
そんな聞いたこともない声が聞こえた気がして……。
『閃光魔法』
激しく眩しい光が辺りを包んだ。
光の強さに、思わず目を閉じる。
「「『ぐっ!?』」」
その時、重なった声は三種類。
だが、それぞれ誰の声かを判断するよりも先に、自分の身体が引っ張られ、移動魔法独特の気配に包まれる。
俺の魔法でも、セヴェロの術でもない気配。
それはどことなく、シオリ嬢が持つものに似ている気がした。
だが、どんなに似ていても、彼女自身のものではないことは分かっている。
シオリ嬢はこんなにも鋭い刃のような雰囲気を伴っていないから。
この時の俺はまだ分からないことばかりで。
無知が罪だと言うことは知っていたはずなのに、知る努力を怠ってきた結果がこの様だ。
今からでも、変わりたい。
いや、変われるだろうか?
護りたい人をずっと護り続けるために。
この話で123章が終わります。
次話から第124章「国の惑乱」です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




