許せない事実
あの場で、一体、何が起こったのか、俺には理解ができなかった。
少し離れた場所で信じられないほどの魔力の放出が起こる。
俺はそれなりに魔法耐性が強いつもりでいたが、そんなもの、あの場に放たれた強大な魔力の前では、和紙のように薄いものでしかなかった。
『ボーっとしてんじゃねえ!!』
セヴェロが俺の身体を引っ張って、再び地につけた。
精霊族のセヴェロが巻き込みを恐れて本気で焦る魔法など、これまで見たこともない。
「シオリ!?」
そして、聴覚強化をしていなくても、ここまで届く声。
その悲鳴にも似た声は、明らかに尋常ではない事態を伝えていた。
「セヴェロ、どけ!!」
先ほどまでの脅威はもうない。
それならば、俺がここに潜む理由はなくなった。
『断る』
だが、セヴェロは俺に覆いかぶさったまま、動こうとはしない。
『今は我慢しろ』
「だが、シオリ嬢が……」
俺は彼女の身が心配だった。
あんな魔法を放ったのだ。
アレは、魔力の暴走よりも激しいものだった。
シオリ嬢の魔力が俺よりも強いことは承知しているが、それでも限界を超えるような魔法を放てば、肉体の方が無事ではいられない。
それは身分、血筋に関係のない話である。
誰でも自分の力量を超えることはできないのだ。
『シオリ様は衰弱しているが、生きている。だから、今は動くな。堪えろ』
その言葉にゾッとした。
少し前まで、俺の側で笑っていた女性が、何故、そんな状態になっているのか?
『神への挑戦……』
「どういう意味だ?」
セヴェロが何を言ったのかが分からない。
神への挑戦……だと?
『あれは魔法……? いや、あれはもっと別の……』
セヴェロは俺の声が聞こえていないかのように自分の世界に没頭している。
それだけ、先ほどシオリ嬢が放った魔法が衝撃的だったらしい。
だが、考え事をするならば、俺を押し倒した状態から解放してくれないだろうか?
その外見はともかく、明らかに男と分かっている相手から抱きつかれても嬉しくはなかった。
どうせなら、そこまで考えて首を振る。
それ以上、考えてはいけない。
今、考えるべきことは、あの二人がどうなったのかを確かめることだろう。
セヴェロが言ったように、シオリ嬢の気配が極端に弱くなっていることは鈍い、鈍いと言われ続けている俺にも分かる。
これは、彼女が身に着けているはずの、制御石だけのせいではない。
生命力の低下。
魔法力の枯渇でもなく、魔石に自分の体力やそれに近しい力を無理矢理、吸い出された時のような状態だ。
それは、魔力だけではなく、体力、自分の身体の中にある全ての力を使って、先ほどの魔法を作り上げたということに他ならない。
そこまでして、作られた魔法がなんであったのか、俺は理解できなかった。
属性は恐らく風。
全てを巻き込む竜巻が起こった瞬間だけは見えたから。
だが、その効果は分からない。
その効果は分からないが、シオリ嬢が、どれだけその魔法に自身の全てを賭けたのかは理解できてしまった。
聴覚強化をしてみたが、その声が全く拾えなくなった。
それだけ小声で会話をしているのか。
それとも、聞かれたくない内容であるため、防音や遮音の結界を張られたか。
今の弱っているシオリ嬢にそんなことはできないだろう。
そうなると、あの紅い髪の男か?
だが、次の瞬間……。
どふおっ!!
風というよりも、空気の塊と思しきモノに押し出されるようにして、例の紅い髪の男の姿が舞い上がった。
そして、その側には誰もいない。
シオリ嬢はどこだ!?
そんなことを思った矢先だった。
耳を劈くような音。
光の線にしか見えないナニかが、紅い髪の男に向かって行く。
あれは、どこかで……?
ここではないどこかで、アレを見た気がした。
弾き飛ばされるように打ち上がった男の身体は不意に反転して、その光の線を回避する。
当たってもおかしくはないタイミングだったが、アレに気付いたのか?
恐らく、背中を狙われたのに?
視界の外から高速で飛んでくる細い武器を……、俺は避けられる気がしない。
しかも、光を纏ってはいたが、今は夜なのだ。
それだけでいつもよりも視認できる範囲そのものは狭まるというのに。
だが、その男に気を取られたのか、セヴェロが俺を拘束している力が弱まった。
「悪い!!」
『あっ!? この馬鹿、そっちはっ!!』
セヴェロを押し返して、立ち上がり、先ほどまでシオリ嬢がいた場所へと目線を動かすと、そこには、意識を失っている彼女を抱き抱えている一つの存在があった。
「あれ、は……?」
まともに意識してはいけない。
だが、目を逸らせない。
フード付きのケープを目深に被った人の形をしたナニか。
だが、あれは人ではない。
人と思って接してはいけないモノだ。
まるで、心臓を掴まれたように、動けない。
『全く、無茶が過ぎる』
そんな音が耳に届く。
その音を、遠い昔、聞いたことがあった気がした。
『悪いけど、二、三日預かるよ。死なせたくないなら、承諾しな』
さらに続けられた言葉。
それは意味がある言葉であるはずなのに、理解することを拒否したくなる。
だが、そんな俺の気持ちなど当然、無視され、その存在は姿を消した。
その腕に黒髪の女性を抱いたまま。
その後に残ったのは、そこに再び降り立った紅い髪の男だけとなる。
―――― あの男のせいで!!
シオリ嬢は、あそこまで身体を弱らせた。
『待て、アーク!!』
「無理だ」
セヴェロの制止も聞かずに飛び出した。
「水属性の矢魔法!! 水属性の矢魔法!! |水属性の矢魔法!!」
そして、標的に向かって次々と魔法を飛ばす。
分かっていたことだが、全く当たる様子はない。
紅い髪の男は鋭い目をこちらに向けてたった一言。
「雑種か」
そう口にした。
俺のことなど、歯牙にもかけないような視線と声。
彼女と話していた時とはその表情も全く違う。
―――― あんたは昔、あの男に怯えて寝たふりをしたんだろ!?
そんなセヴェロの声を思い出す。
ああ、そうだった。
俺も、他の人間も全て、この男の前に屈したのだ。
あの時は、周囲に何人もの第五王子殿下の従者たちがいたにも関わらず、誰も立ち上がらなかった。
第五王子殿下の身の安全のためと言いながら、自分のことしか考えられないほどの脅威にさらされた。
その結果、たった一人の少女に全てを押し付けて保身を図ったのだ。
あれから、三年。
俺はほとんど変われなかった。
寧ろ、駄目になった。
だけど、この二ヶ月。
二ヶ月前の再会は、それまでの人生を覆すほどのものとなった。
―――― アーキスフィーロさま
俺の名を呼びながら、いろいろな顔を見せてくれる彼女は素直に好ましく思える。
だから、俺では駄目なのだ。
もっと相応しい人間がいる。
そう思っていたのに……。
「自分の物に手を出されたから怒っているのか?」
「黙れ!!」
そんな言葉で簡単に霧散する。
煽られているのは分かっている。
だが、今の言葉は看過できなかった。
今の言葉は、間違いなくシオリ嬢のことだろう。
手を出したお前が言うなというありふれた言葉よりも、彼女を「物」扱いした事実の方が、俺は許せなかった。
「アレも欲しい、コレも欲しいって、子供かよ」
欲しがっているわけではない。
始めから得られないと分かっているのだから。
そんな期待は始めから持っていない。
だが……。
「あのような女性を傷付けようとすることは許せない」
少なくとも、守ることは許されている。
この男はあの卒業式の時に彼女を傷つけた。
それだけでも、今の俺には許せない所業だったというのに、さらに先ほど口付けまでしたのだ。
その悪行は万死に値する。
「邪魔すらできる立場にない男が後から喚いたところで、どうしようもないだろ?」
「邪魔、できなかった」
「あ?」
「貴方と彼女の会話中、ずっと拘束されていたからな!!」
そう言いながら、ほとんど八つ当たりのように「水魔法」を繰り出す。
それでも、この男には届かない。
いくら攻撃しても、当たるどころか掠りもしなかった。
少しずつ、詠唱が長くして威力がある魔法を使うのだが、その全てが躱されてしまう。
それならば、避けることができないほど広範囲で威力のある魔法ならば?
この魔法が防がれたのは一度だけ。
恐らく、この男も防いでしまうだろう。
それが分かっていても、せめて、一撃。
その余裕ある顔を崩してやりたかった。
俺のどこにこんな感情が眠っていたのか?
だが、今はそんな些細なことはどうでもいい。
考え方を変える。
いや、戻す。
―――― 正しい形で射れば、必ず中る。
そんな言葉を脳裏に思い描きながら。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




