隠されていた顔
今年最初の投稿です。
よろしくお願いいたします。
その後も、紅い髪の男とシオリ嬢の会話は続いていた。
会話の一部が理解できないのは、お互いが、隠喩を使い合っているためだろう。
それだけでも、そこそこの交流があることは分かる。
「ライト」
不意に、シオリ嬢が、相手の名前と思われるものを口にした。
「あ?」
そこにあるのは強い輝き。
紅い髪の男は少しだけ、気圧されたような顔をする。
「左手を貸して」
だが、それを気にした様子もなく、彼女がそう手を伸ばすと、紅い髪の男は遠目にも分かるほど、その顔を顰めた。
「馬鹿を言え。そんなことをしたら何が起きるか分からん」
「何かが起きるなら、さっきのキスでとっくに起きているよ」
分かりやすくその要請を断ろうとしている男に対して、シオリ嬢は臆することもなく、そう返した。
それは、俺が知っているようで知らない顔。
「何を企んでいる?」
警戒心を隠さない男に対しても……。
「人聞きが悪いな~。さっきのキスのお礼をかまして差し上げようと思っているだけじゃないか」
シオリ嬢は、可愛らしく笑いながらも、強気な言葉を口にする。
「この手をぶん殴る気か? そこに意味はないぞ?」
「あなたがそれを望むなら」
彼女がそう答えると、紅い髪の男は大袈裟に肩を竦めた。
「この左腕は動いているが、もう痛みも感覚も分からない。ただの飾りだ。だから、本当に意味はないんだ。お前がこの手を握ったところで、俺はその温かさも柔らかさも分からん」
思ったよりも深い事情があるようだ。
だが、あの男は左腕が不自由だったのか?
それを全く気付かせなかった。
先ほど、シオリ嬢とこの男が円舞曲を踊っている様子を見た時すら気付けなかったのだ。
その時は違和感もなく、彼女の身体を支えていたから。
それも、とても大切そうに。
「それなら、少しだけ貸してくれても良くない? 意味がないんでしょう?」
「だが、反発や活性化はあるかもしれん。やめとけ。碌なことにはならん」
余程、シオリ嬢に触れられたくないらしい。
その手を振り払おうとしている。
対する彼女はそれでも、その左腕をじっと見つめていた。
まるで、獲物を見定めるかのように。
俺の前では見せない獰猛な瞳。
シオリ嬢は、一体、どれだけの表情を隠し持っているのか?
『あ~、うん。その辺に関しては、一度、きちんと聞いていた方が良いですよ?』
セヴェロがそう言った時だった。
いきなり、シオリ嬢が紅い髪の男に飛びついたのだ。
「なっ!?」
男からは先ほどまであった余裕の一切がなくなった。
無理もない。
シオリ嬢から予告もなく、あんなことをされては、俺も、頭が真っ白になる自信がある。
『あんなことをされるような関係になってから言ってくださいよ』
「お前は、さっきからいちいち煩いぞ」
『アーキスフィーロ様の代弁をしているつもりなんですけどね』
代弁?
それは、余計なお世話だと言うのだ。
男は、彼女を引きはがそうとしている。
だが、そんな力の入れ方では、しがみ付いている人間が引き離せるはずがない。
本気で拒絶しようと思えばできるはずなのに、それをしないところに答えがある気がした。
さらに……。
「自分からは抱き付く癖に、わたしから抱きつかれるのは嫌なの?」
身長差があるために、シオリ嬢は、上目遣いで紅い髪の男を見た。
男が息と、生唾を呑み込んだのが、分かる。
あんなことをされて、惑わない男がいるのだろうか?
そして……。
「押し返せ!!」
それらを全てぶち壊すような大きな声。
その叫びが、あのシオリ嬢の声だと分かるまでに少しの時間を要した。
「浄化!! 防護!! 破魔!!」
さらに一言ずつ、何かを確認しながらも、次々と言葉を叫ぶ。
これは一体……。
『うわあ……』
何故か、セヴェロが疲れたような声を漏らす。
「護符!!」
その激しい叫びと、セヴェロが『あ……』と小さく呟いたのはほぼ同時だった。
そして……。
「シオリ!! もういい!!」
男も彼女の叫びを制止しようと対抗する。
だけど、シオリ嬢は聞き入れない。
「臨む兵よ、闘う者よ、皆、陳列べて、前に在れ!!」
そんなどこかで聞いたような言葉を並べる。
「……なんで、九字だよ?」
「かっこいいから!!」
あんな状況で、冷静に突っ込む男が素直に凄いと思えた。
あれは人間界の魔除け? のようなものだったと記憶している。
俺なら、腕を掴まれた上、いきなり、あんな言葉を叫ばれて、落ち着いていられる気はしなかった。
あの男は、自分が悪霊になったような気はしなかったのだろうか?
「祓い給い、清め給え!!」
さらに続けられる魔除けの言葉。
今のは明らかに、悪霊を祓う言葉ではないか?
「それって、そんな急いで言う言葉じゃないよな!?」
確かに早口ではあったけれど、気にすべきところはそこではないだろう。
自分が悪霊扱いされている点は良いのか?
俺の感覚がおかしいのか?
「神ながら、守り給い、幸え給え!!」
「さらに続けるな!!」
シオリ嬢の言葉に、更なるツッコミを重ねる紅い髪の男。
何故だろう?
そこには、卒業式にあった脅威を全く感じない。
あの時はただ男の存在が恐ろしかった。
だが、今ではただの友人に見える。
「もうやめろ!!」
そう言いながら、男は、シオリ嬢を抱き締める。
「セヴェロ、そろそろ良いか?」
こんな様子を見せつけられて、それでもまだ動くなと?
『いや、今こそ邪魔しないであげてください』
そこにはいつもの軽口はなく、真剣な眼差しで二人を見る精霊族がいた。
『これが……、導き……』
さらにそう呟く。
セヴェロ自身も、今、自分が何を言ったのか気付いていないかもしれない。
それほど、自然で不自然な単語だった。
「祓い給い、清め給え、守り給い、神ながら、幸え給え」
人間界で言う祝詞と呼ばれた神に祈る言葉が繰り返される。
そこに何の意味があるのかは分からない。
だが、男が受け入れることにしたのは分かった。
「祓い給い、清め給え、守り給い、神ながら、幸え給え」
もう抵抗する気などなく、ただ、彼女を抱き締めている。
「「祓い給い、清め給え、神ながら、守り給い、幸え給え」」
そして、気付くと……、男もシオリ嬢に声を合わせていた。
いつかの合唱のように、シオリ嬢は嬉しそうに笑った。
二人によって、何度目か祝詞が繰り返された後……。
「ここで使うよ!!」
シオリ嬢は、左手を掲げた。
それすらも、いつかの合唱のようだ。
彼女は、その手で、周囲を誘い、会場を湧かせるほどの大合唱にした。
ならば、今回は、誰を……、いや、ナニを導く?
「法珠、天恵」
それは、聞いたこともない詠唱。
「この惑星を創りし神に祈る」
その声に応えるように、掲げた左手から、とんでもない魔力の集束を感じた。
いや、これは、魔力か?
もっと別の……?
「その唯一無二の御力を賜りて、今、ここにその全てを解放する」
その左手に彼女の全てが集まっていく。
魔力も、生命力も、その魂までも。
「世界を創りし神より加護を授かった者が、大気に存在する数多の精霊たちに命ずる」
その詠唱は自分が知るモノとは全く違うが、今の言葉の意味は分かる。
普通の神への祈りではない。
もっと大きな神への祈り。
だが、そんな魔法契約など、あり得るのか?
「人類の魂に取り憑く愚かな意思を引きはがせ」
その言葉とともに、空気の渦が一気に彼女を取り巻く。
「これは……」
あまりにも規格外の魔力。
中心国の王族でも、こんな魔力を操り切れない気がするのに、それを、あの小柄な女性は手にしている。
さらに……。
「この魂はわたしだけのモノだ。一欠片だって奪わせない!!」
彼女にしては珍しい種類の絶叫。
そして……。
「大いなる風の封印!!」
そんな言葉と共に、周囲が轟音に包まれる。
目に見えるほど、激しい空気の流れ。
それは全てを吸い込むようでいて、全てを吐き出すかのようにも見えた。
そして……、音と共に、全てが終わったのだった。
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