格段の進歩
今年最後の投稿です。
この二ヶ月。
ずっと、彼女の声を聞いてきた。
もしかしたら、身内よりもその声の方が多く聞いているかもしれない。
だから、聞き間違えることはなかった。
「わたしを抱けば、その命が助かるのなら、あなたはどうする?」
そんなシオリ嬢の言葉に対して……。
「あ?」
紅い髪の男が不可解だと言うような声を出した。
そのことに安心してしまったのだ。
俺に、彼女を束縛する権利も、人付き合いに対して制限する権利もないのに。
シオリ嬢が来たその日のうちに、俺は彼女を妻として愛することはできないと拒絶した。
彼女はそれでも良いと笑って受け入れてくれたのだ。
だが、彼女が他に愛する男がいたら?
俺はそれを笑って受け入れることはできないだろう。
シオリ嬢は、恋人はいないと言っていた。
だが、それは、好きな男がいないと言う意味ではないことに、俺は今更ながら気付いたのだ。
『遅くないですか?』
「煩い。読むな」
「勝手に流れてくるんだから仕方ないでしょう? 制御の方法をシオリ嬢に教えてもらった方が良いんじゃないですか?」
セヴェロはそんな軽口を叩く。
「なんだ? 誘っているのか?」
紅い髪の男は嫌らしい笑みを浮かべた。
「そんな風に見える?」
「いや……」
だが、シオリ嬢は真面目に返す。
そこには男女の艶事めいたものではなく、もっと別のナニかがある気がした。
彼女は真剣な眼差しを男に向けている。
俺のように逃げない。
「誰に、何を言われた?」
「さあ? 夢か、現か、分からない世界だったかな?」
「どこの誰かは知らんが、余計なことを……」
どうやら、シオリ嬢自身の考えではなかったらしい。
なんだ?
あの男は「発情期」にでも悩まされているのか?
俺はその経験はないが、想像を絶する苦痛を伴うと聞いたことがある。
だが、それでも、シオリ嬢がその身を捧げる理由にはならないだろう。
相手がいないのなら、素直に「ゆめの郷」に行けば済むことなのだ。
「下らん。却下だな。俺を見くびるなよ?」
「見くびったつもりはないのだけど……」
シオリ嬢が困ったように笑っている。
「正直、考えたことがないわけでもない」
「ふえ?」
「お前の血筋、素質を考えれば、茶色が正茶どころか七色に輝く可能性があるからな」
……どういうことだ?
茶色? せいちゃ?
その単語の意味が理解できない。
色?
だが、あの男はシオリ嬢の血筋まで知っているらしい。
そうなると、セントポーリアの男なのか?
いや、いろいろ、混ざっているようだが、風属性の気配は感じられない。
「しかも、処女であるお前を犯せば、その能力は跳ね上がるだろう。役満……いや、跳満ってやつだな」
思考が停止しかかった。
少なくとも、女性に向かって言って良い言葉ではない。
そんな言葉をシオリ嬢に向かって言うなんて!!
しかも、「跳満」だと?
それが、「跳ね満貫」のことだとしたら、倍増以上ということだろう。
女性に無体な行為を強いてまで得ることができるなど、一体、何の能力の話だ?
そして、意外にもシオリ嬢は、麻雀については知らなくても、格闘ゲームの話なら分かるらしい。
第五王子殿下は好きだったようだが、俺はその格闘ゲームというものが少し苦手だったので、二人の会話についていけなかった。
「確率の低すぎる勝負に全てを賭ける趣味はない」
「なんで?」
「俺はお前を泣かす趣味などない。好きなヤツを泣かせてどうする?」
そうか。
あの男は、やはり、シオリ嬢のことが好きだったんだな。
確かに、真っ当な感覚を持っていれば、好きでもない女に口付けようとは思わないだろう。
その上、今のシオリ嬢は実に綺麗だから、そんな行動をとりたくなっても仕方がない気もした。
ルーフィス嬢が見立てたボールガウンも似合っているし、それに見合った化粧と髪型をしている。
舞踏会の会場でも、ルーフィス嬢から渡された仮面を付けていなければ、踊る前から確実に、男たちに囲まれていただろう。
「さらに言えば、後が怖い」
そんな声を拾った時、思い出したのは、二人の専属侍女とトルクスタン王子殿下の姿だった。
あの専属侍女の実力は、セヴェロも認めるほどだ。
それを知っているのかもしれない。
そして、トルクスタン王子殿下は他国の王族だ。
そんな人間が、シオリ嬢の後ろ盾となっている。
他国滞在期でもないのに、自国から出て、暫くの間、他国に長期滞在するなど、普通ではありえないことだ。
それが許されているのは、彼女の存在があるからだということは明白だった。
そんなシオリ嬢の背景を知っている人間ならば、簡単に手を出すことはできない。
事実、迂闊にも彼女に手を出そうとするこの国の第二王子殿下すら、毎回のように殴り倒されている。
あの方は、何故、懲りないのだろうか?
「お前には駄犬や番犬だけでなく、守り手もいる。守り手に睨まれた男の末路は決まって破滅だ」
この場合の犬は……、あの専属侍女たちか?
だが、女性を犬に例えるのは良くないだろう。
守り手は……、トルクスタン王子殿下のことだろうか?
そう当てはめると、しっくりする。
俺には良くしてくれているが、あの方も一国の王子だ。
報復は厳しくなってもおかしくはない。
「まあ、お前がその身を差し出すと言うのなら、貰ってやらなくもないが?」
「いや、遠慮します」
「即答かよ」
紅い髪の男は苦笑しているようだ。
だが、この遣り取りから、シオリ嬢の方は、相手に想いを寄せているというわけでもないらしい。
そうなると、先ほどの会話はなんだったのだろうか?
彼女と愛を育めば、その意味が分かるのか?
そこまで考えて首を振る。
それは許されない。
俺はそんな立場にはない。
シオリ嬢はあんなにも魅力的な女性なのだ。
だから、俺よりももっと相応しい男など、山といるだろう。
「いずれにしても、婚約者候補として男を捕まえたヤツの台詞としては不適切だ。少しは考えろ」
意外にも、あの紅い髪の男は、俺のことを知っているらしい。
シオリ嬢が話したのか?
「うん、それは分かっている」
「分かっていない。お前は、これまでほとんど男に縁がなかったんだぞ? あの男を逃せばもう後はないと自覚しろ」
「おおう」
逆に、何故、縁がなかったのかが不思議でしょうがない。
俺のように疎まれた存在ならば納得できる。
だが、シオリ嬢にそんなものはない。
あるのはただ、自国の王族から追われているということだけだ。
……それが、一番、大きいのか。
これまで安定、安穏とは無縁の生活だったらしい。
だから、俺のような貴族子息と言っても名ばかりの男の庇護を必要とするしかなかった。
「犬たちと老後を過ごす気か?」
「もう老後の心配をしなくちゃいけないのか。わたしはまだ十代なんだけどね?」
確かに老後の話をするにはまだ早いだろう。
だが、この国では、女性の婚姻適齢期が15歳から22歳の間だと言われている。
次世代のことを考えれば、その考え方自体は何もおかしなことではない。
「『花の命は短くて』という言葉もある。女の盛りなど本当に『光陰矢の如し』だ」
それはこの世界の基本的な考え方だと思う。
人間界のように女性の初婚平均年齢が26歳前後なんて信じられない話なのだ。
それだけ、医療分野が優れていたということなのだろうけれど、その点は納得できないものがあった。
「まあ、老後をわんこたちと過ごすのは魅力的だけどね。有能なわんこたちにまでそんな無駄な時間を過ごさせたくはないんだよ」
当のシオリ嬢は焦ることもなく、のんびりとした声でそう口にしている。
どうやら、婚姻願望は強くないらしい。
あれだけの魔力を持った人間が、次世代を望まないというのは、損失だと思うが、当人はそう思っていないようだ。
だが、目を閉じると、ルーフィス嬢とヴァルナ嬢の二人に囲まれて、ゆったりと過ごしているシオリ嬢の笑顔というのは、不思議と想像できる気がした。
『いや、そこは想像できてはいけない場面ですよね?』
セヴェロの声で、その幸せそうな光景は消えてしまった。
「何故だ?」
『シオリ嬢が生涯独身ってことになるじゃないですか』
「本人が望むなら、それで良い気がする」
寧ろ、誰かがシオリ嬢の隣に立っている所が想像できなかった。
一時的になら、隣に立つことを許されるかもしれない。
実際、今はあの紅い髪の男がいる。
だが、ずっとそこにはいることはできないだろう。
なんとなく、そんな気がするのだ。
『いや、そこは『俺が立つ』って気概を見せるところじゃないですか?』
「馬鹿を言え。そんなことを望むべくもない」
『おや?』
俺の答えを聞いて、何故か、セヴェロが楽しそうな顔をした。
なんだ?
今、コイツは何に反応した?
『自覚がないところが心底笑えますが、これは格段の進歩ですね』
精霊族の感覚は当然ながら、人類のものとは全く違う。
姿かたちは似ていても、その喜怒哀楽が理解できない面は多々ある。
今回もそんなものなのだろう。
俺はそう納得したのだった。
作中にある「初婚平均年齢」は、当作品の年代時の初婚平均です。
現在は女性の初婚平均年齢は推定29.7歳となっております。
参考にした資料によると、これらはあくまで、人口動態調査の中にある婚姻届を出した際の、初婚女性だけに絞った「結婚式及び同居を始めた時のうち早い年齢」が参考となっているようです。
再婚や婚姻届を出していない事実婚を含めた未婚女性の年齢は当然ながら含まれていないことはご承知おきください。
そして、今年も無事に毎日投稿することができました。
読んでくださる皆様に本当に感謝です。
そろそろ毎日投稿も難しくなりそうですが、できる限り頑張らせていただきます。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




