近くのタンポポ
「女に慣れていないあの男が、いつまでもそんな意地を張り続けてくれるとは思うなよ?」
ライトはそんな不思議なことを言う。
「意地って……」
もうちょっと他に言葉はなかったのだろうか?
アーキスフィーロさまがわたしに「妻として愛することはできない」と言ったのは、意地とかそんな話ではないのだ。
もっと別の心の問題。
でも、そんなことを言ってくれたのは、それだけこの人が、わたしのことを認めてくれているのかなとも思う。
「意地だよ。遠くのバラより近くのタンポポっていうだろ? どんな事情があろうとも、離れていった女より、自分の身近にいる女の方に男の情は移るもんだ」
「わたしってタンポポ?」
そんなどうでもいいところが気になった。
自分が何らかの花に例えられることってあまりないから。
「あ?」
ライトは一瞬、怪訝な顔をした後……。
「ああ、目を離すと、ふわふわとどこか行っちまいそうなところは、そっくりだな」
「酷い!!」
よりによって、綿毛に例えられた。
あんなにフワフワ、ぽわぽわしているつもりはない。
「冗談だよ。コンクリートやアスファルトの隙間に入り込んで咲く逞しさは、確かにお前らしい」
「重ねて酷い!!」
どこかの歌のようなことを言われた。
先ほど、この人から「愛してる」って言われたのは気のせいだったらしい。
わたしはそう思うことにしたかった。
「タンポポには『真心の愛』、『愛の神託』、『幸せ』、『神託』って意味もある。ある意味、お前らしいと言えるな」
「ぬ?」
いきなり何を?
そして、愛の神託って何?
愛のお告げってこと?
そして、それらがわたしらしいってどういうこと?
「知らんのか? 人間界の花言葉ってやつだ。まあ、綿毛になると『別離』って意味もあるらしいが……」
「別離……」
意外にも、この人は花言葉なんてロマンチックなものも知っているらしい。
綿毛に「別離」って意味があるのは、どこかに飛び立ってしまうからだろうか?
「今、失礼なことを考えなかったか?」
「いや、意外だなと思って。花言葉なんて気にするタイプには見えなかったから」
「俺がまともに知っているのはタンポポぐらいだ。この世界にも似たような花があったから、調べたことがあるってだけの話だよ」
そう言って、また顔を逸らされた。
似たような花?
タンポポの綿毛の方なら、セントポーリア城下の森に咲いているミタマレイルの花が凄くよく似ていると思うけど、それをこの人が知っているかは分からない。
ミタマレイルはセントポーリア城下の森でしか見たことがない、と九十九が言っていた覚えがある。
だから、セントポーリア城下の森に行って、いろいろ調べたいとも言っていた。
なんでだろう?
この国に来て、あまり思い出さなかった日々。
だけど、今、こんなにも、あのセントポーリア城下の森のことを思い出してしまう。
ああ、そうか。
今日、銀色の髪、青い瞳をまた、見てしまったからだ。
しかも、間近で。
だからだろう。
光に包まれて笑うあの青年のことを何度も思い出してしまうのは。
「まあ、男の理性に期待するな。六分刻前にその気がなくても、すぐに盛るのが男だ。女ほど理性的な生き物じゃない」
ライトはそんな誰かさんのようなことを言う。
いや、もっと品がない気がする。
しかも、10分で気が変わるなんて、変わり身が早過ぎだと思うのはわたしだけだろうか?
「女は感情的な生き物だって聞くけど?」
女は感情だけで物を言うなんて、割とよく聞く話だ。
まあ、わたしの知識はほとんど漫画だけど、自分自身、感情に振り回されて物を言うことがある自覚はある。
「女は感情的だけど、誰でもいいわけではない。選ぶのにもそれなりに理由付けがいる。男はヤりたい時に近くに許容範囲の女がいればそれだけで良い」
「随分、極端な考え方だな~」
しかも、許容範囲って、女性を何だと思っているのだ?
かなり失礼な言葉だと思う。
だけど、ふと「発情期」の九十九を思い出してしまう。
確かに嫌いじゃないとは言われているのだから、あの人にとって、わたしは許容範囲と言えばそうなのか。
いやいや、この人の考え方が偏見と独断に満ち溢れているだけで、これを男性代表の意見として受け止めてはいけない。
「アーキスフィーロさまはそんな人じゃない」
少なくとも誰でも良いって人ではないと思っている。
「そう思うなら、そう夢想してろ。俺は忠告したからな」
どの辺りが、そうだったのかは分からないけれど、さっきの言葉は彼なりの忠告だったらしい。
「忠告だって言うなら、覚えておく」
「そうしてくれ。男のことで泣くお前はあまり、見たいものじゃない」
ライトは困ったように笑った。
「あなたもわたしを泣かせる種類の殿方だと思っているんだけど。わたし、卒業式の日にされたことは忘れていないんだからね?」
始めは何度も魔法を向けられた。
一方的に甚振られたことだってある。
それなのに、今、そこから遠く離れた異国のお城の露台で、互いに着飾ってお喋りしているなんて、随分、わたしたちの関係も変わったものだと思う。
「お前はあれぐらいじゃ泣かないだろ?」
「いや、普通の女の子は泣くよ? 大泣きだよ?」
この人は、わたしをなんだと思っているんだ?
「護る者の前ではお前は泣かない。どんなに痛い思いをしても、歯を食いしばって立ち上がる強い女だ」
「それはちょっと過剰評価かな……」
わたしだって泣く時は泣く。
それも、恥ずかしいぐらいに大泣きすることだってある。
護る者の前では泣かない?
わたしは護られてばかりいるのに、誰かを守った覚えなどなかった。
「だが、そんな女こそ、俺の国に来るな。調べるな。関わるな」
結局、そこに戻るらしい。
どれだけ、わたしを心配してくれるのか?
でも、水尾先輩や真央先輩が関わっている以上、無視はできない。
「ずっと、無関係でいろ。その左腕に宿るシンショクをこれ以上、進めたくないだろう?」
そう言うあなたは、既に半身を侵されたのに?
「彼の国は常識が通じない。頼むから、関わらないでくれ」
15歳の誕生日にわたしを狙った人は、数年にも亘ってストーカー行為を繰り返していたほど執着していた人は、今になって関わるなと言う。
なかなか酷い話だ。
もうこんなにも関わってしまったのに。
そして、そんな人だから助けたいと傲慢にも思ってしまうのは、自分と似たような境遇だからだろうか?
神が相手だと言うのに。
なんとなく自分の手を見た。
他の人には分かりにくい御守りの鎖がシャラリと音を立てる。
わたし自身にも視えないし、分からないけれど、この左手には「神さまのご執心」が宿っているらしい。
普段は意識しない。
でも、ライトと現実で会った時は、嫌でも意識してしまう。
この左手に変な違和感と妙な既視感を覚えることがあるから。
それがずっとではないから、タチが悪い。
ふと気を緩めた時に、気付くのだ。
これは、なんだろう?
同質のモノが近くために起こる活性化?
それとも相乗効果?
いずれにしても、気持ちが落ち着かなくなることだけは確かだった。
―――― 障害となるのは、魂の汚染かな
―――― それも、ラシアレスを抱けば、なんとかなりそうな感じだけどね
そんな声が蘇る。
見えない瞳でこの世の全てを視通す聖女。
あの人は暗くて重い話を冗談めかしながらも、わたしに嘘は言わなかった。
だから、あの話も本当なのだと思う。
それでも絶対ではない。
―――― 助けたいって気持ちだけじゃ、無理なんだよ
―――― 相手が、助かりたいって気持ちだけでも駄目
あの時、そう言われた。
―――― 簡単に言うとそこに籠められる想いの強さが足りない
それは中途半端な気持ちでは足りなくて。
―――― 互いに全てを懸けるほどの強い想いがなければ、神なんて存在を退けられると思うかい?
わたしだけでも、ライトだけでも駄目なのだ。
それなら、どうしたら良い?
「ねえ、ライト?」
「なんだ?」
分からない。
答えが見つからない。
自分では出せない答えはどうするべき?
「あなたは死にたくないよね?」
「当たり前だ。どんなにマゾでもそれは生きている保障があるからこその被虐意思、行為であって、本気で死にたいって思うのは、世の中舐めているか、死んだ方がマシな世界に生きているか、死にかけたこともないヤツだ」
わたしの問いかけに対して、彼は不機嫌そうにそう答えた。
「どんなに殺されかけても、今のうちに死んでいた方が、周囲も救われると理解していても、生への渇望は捨てられなかった」
珍しく本音を吐き出してくれるらしい。
それだけ、ライトの中では結論が出てしまっているのだろう。
だから、今、わたしに告げている。
「生き延びることができるなら、仮令、この世界を犠牲にしてでも生き延びたい?」
「ああ。見も知らぬ人間たちの未来より、俺は自分の生の方が大事だ」
見も知らぬ人間たち。
それならば……。
「僅かでも可能性があれば、それに縋りたいよね?」
「お前は何を言いたい?」
続けざまの質問に、彼は怪訝な顔をして問い返した。
そうだね。
何を言いたいのか、自分でもよく分からない。
だけど、これだけは聞いておきたかった。
「わたしを抱けば、その命が助かるのなら、あなたはどうする?」
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