良い男とは?
「ところで、シオリ……」
「何?」
改めて、名前を呼ばれたので、少しだけ距離をとるために後ろへ下がる。
「地味に傷付くな、その動き」
「既に危害を加えられた身なので」
また口付けをされたら、たまらない。
もう油断したくないようにしなきゃ。
あんな事故、一回だけで十分だ。
「まあ、そうだな。警戒はしておけ。お前にとってはそれが一番良い」
だけど、ライトはその当事者なのに、他人事のように言う。
「それで、何?」
「お前にしては、良い男を見つけたな」
「ぬ?」
良い男?
何のこと?
「お前が選んだのは、少なくとも人間界でソウが認めていた男だ。先が見えない駄犬や番犬よりはかなりマシな部類だろう」
「ああ、アーキスフィーロさまのことか」
わたしが、アーキスフィーロさまの婚約者候補となったことは知っているらしい。
この人がどんな情報をどれだけ掴んでいるのかがよく分からない。
いつも、微妙に偏っている気がする。
「逆にそれ以外に誰がいると思った?」
誰って……、誰だろう?
「いや、あなたが殿方を褒めるって珍しいと思って」
わたしの護衛たちのことはそんなに褒めないのに。
彼らだって良い男だと思うけれど、殿方視点だと違うのかな?
「馬鹿言え。俺は相手の実力は認める男だぞ? 実力があった上で、俺の邪魔をしない男なら最高だ」
ああ、わたしの護衛たちはこの人にとってかなり邪魔ってことね。
理解した。
それなら、この人はわたしの護衛たちを褒めたくはないだろう。
「……ソウがあそこまで褒めた人間は珍しいんだよ」
この人って、実はソウのことも認めているよね?
でも、やっぱりソウも邪魔だったってことかな?
「ああ、人間界でもかなり褒めていたね」
来島が、誰かを褒めるところなんて、あの時、初めて見たのだ。
九十九のことは褒めていたし、認めてもいたっぽいけど、それとはちょっと違う感じがする。
あの時の来島は、純粋に、アーキスフィーロさま……、違う、階上彰浩くんの技術を評価していた。
だから、三年以上も経ったのに、来島が語った時の声も顔も、忘れていないのかもしれない。
「なんだ? 知っているのか?」
「一度だけ、当人の口から聞いたことがあったから」
あれはいつだったか?
九十九と再会した後だったことは覚えている。
「そうか……」
一瞬、ライトはわたしに右手を伸ばしかけ……、下ろした。
わたしがまた後ろに下がろうとしたからかもしれない。
「だが、ある意味、駄犬や番犬よりも不毛な相手かもしれないな」
「不毛?」
「近くにいても、何もこたえようとしない相手だぞ?」
「そんなに無口じゃないよ?」
思ったよりは会話が成り立っている。
中学時代からは想像もできないほどの進歩だ。
まあ、今は、わたしとアーキスフィーロさまの間に、会話を繋いでくれるセヴェロさんがいるせいもあるかもしれない。
「あ?」
「結構、会話しているよ?」
「『こたえない』ってそっちじゃねえよ。返答じゃなく、反応の方だ。お前がそれなりに振舞っても、ヤツの方は歩み寄らないだろ?」
ああ、「答えない」じゃなく、「応えない」の方だったか。
日本語って難しい。
「そうかな? 結構、大事にされていると思っているけど」
寧ろ、気を遣われ過ぎかもしれない。
「ほう?」
「アーキスフィーロさまは十分、良くしてくれているよ。勝手な契約を持ち掛けた相手なんて、もっとおざなりな扱いでもおかしくないのにね」
同じ家に住まわせてもらっている上、いろいろ気に掛けてもらっている。
普通の婚約者でもそこまでされないだろうに。
「わたしを守るために、趣味の部屋を改造してわざわざ部屋も作ってくれたし、外からほとんど出なかった生活を、わたしのために変えてくれた」
遊戯室と呼ばれた弓道場が狭くなることを承知で、部屋を作ってくれた。
わたしが桜を好きだと言ったら、「魔界の桜」の花を見に行こうと言ってくれた。
夜のヴィーシニャの花も綺麗だからと、それを見せるために、苦手な舞踏会に参加することを決めてくれた。
国王陛下との対面でも、勝手なことをしたわたしを責めることもなかった。
「ちょって待て? お前、まさか、あの家の地下に部屋を貰っているのか? カルセオラリアの王子たちのような客間ではなく?」
「? うん。アーキスフィーロさまの部屋のすぐ近くに作ってもらったよ? 客間はちょっと危険が多かったからね」
わたしの言葉だけで、それに気付いたことが凄いと思う。
「寝食もその部屋か?」
「食事はアーキスフィーロさまと取ることが多いかな。寝るのは、貰った部屋だけど」
アーキスフィーロさまの書斎にあったお仕事はだいぶ、落ち着いたから、朝も昼も夜もゆっくりと食事をすることができるようになった。
そして、セヴェロさんがルーフィスさんとヴァルナさんの料理目当てで、アーキスフィーロさまとできる限り食事を一緒にするように勧めたのだ。
「どうりで……、いや、そういうことか。ようやく、理解できた」
ライトは何やら考えている。
そして、一人で結論付けたようだ。
「思ったよりも、お前はあの男の懐に入ったようだな」
「まあ、ロットベルク家では婚約者候補ってことになっているからね」
まだ周知はされていない。
でも、今のように一緒にいる時間が長くなれば、周囲も自然とそう考えるだろうとは思っている。
「違う。そういう意味じゃない」
「ぬ?」
「心を向けられているって話だ」
「は?」
何、言ってるの?
「アーキスフィーロさまは初日に、『妻として愛することはできない』って言ったけど?」
「あ?」
ライトが怪訝な顔をした。
「『妻として愛することはできない』が、それでも良いか? って言われたよ。だから、『良い』って答えた」
「お前はアホか? なんで、そんなプライドもないこと言ってんだよ? そんなの、良いように利用されるだけじゃねえか」
そして、露骨にその端整な顔を歪めている。
どうやら、お気に召さないらしい。
「お互いに利用し合っているなら問題ないでしょ? わたしに必要なのは、他国の貴族子息との結びつきなんだから」
「それなら、カルセオラリアの王子の方がマシだろ?」
「トルクスタン王子殿下には守るモノが多すぎるんだよ。側室だと寵愛がなくなれば終わる関係でしょう? それに、未来の王妃なんて、わたしには無理かな」
トルクスタン王子は第二王子だが、実質、跡継ぎだ。
迷っていたようだけど、覚悟を決めて動き始めたことをわたしも知っている。
「それで、貴族子息の正妻狙いか。意外と理解してんだな。確かに契約で結び付けば、簡単には切ることができなくなる」
ライトが、自分の眉間を摘まんで考え込んでいる。
「だが、実質、側妻のような扱いだろ?」
「大事なのは契約による確かな立場だからそれでも良いよ。アーキスフィーロさまの心までは求めてないから」
「なんだ? 双方、婚前から浮気か?」
なんか、少し前にも似たようなことを聞いた気がするな。
いや、違う。
ライトは「双方」って言っている。
そこが完全に違うものだ。
「わたしの方は浮気する予定はないよ。アーキスフィーロさまの婚約者候補になった以上、それは違うでしょう?」
「お前は既にされているのに?」
「まだ……、されてないよ」
そこには複雑すぎる何かがあって、わたしがソレを知らないだけだ。
アーキスフィーロさまは想い人がいる。
だけど、その人と結ばれることはもうできない。
それが分かっているから、アーキスフィーロさまはわたしに優しくしてくれるのだとも思っている。
「それに、『妻として愛することはできない』だったか? 先ほどの話を聞いた後なら、それだって怪しいもんだ。お前と関わって、絶対に愛さないなんてできるはずがない」
「ふへ?」
「俺すらそう思うんだ。女に慣れていないあの男が、いつまでもそんな意地を張り続けてくれるとは思うなよ?」
何故か、ライトはそんなことを言ったのだった。
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