間奏:imbalance
残念ながら、六曲目に入る前に、視点変更ver.
確かに、あのタイミングで聞くべきではなかった。
今ならそれが分かる。
だが、あの時のオレにはそんな余裕がなかったのだ。
「今のうちに聞いておきたいことがある」
オレのそんな問いかけに対して……。
「ぬ?」
そんな返答をする女は後にも先にもこの女だけだろう。
「仮面舞踏会なのに、淑女仮面外れてるぞ」
仮面越しでもその表情が見えた気がして、思わず、そう言ってしまった。
兄貴と踊っていた時までは、その会話の内容はともかく、淑女然としていたのに。
「悪いが、あのアンゴラウサギ仮面との会話は聞かせてもらった」
「別に構わないよ。そんな変な会話をしたつもりはないし」
栞は特に気を悪くした様子もなく、そう言った。
普通は、勝手に会話を盗み聞きされたら怒るだろう。
だが、栞は怒らない。
まあ、覗き見するストーカーがいるのだから、変な意味で慣れてしまっている可能性もある。
それはそれで問題なのだが、今はどうでもいい。
「あの男には他に女がいるのか?」
オレにとって大事なのはその一点だった。
「ぬ? アンゴラウサギ仮面さまはいっぱい側室がいる人だよね?」
だが、栞は全く見当違いのことを口にした。
確かにあの国王との会話を聞いたのだから、そう繋がってもおかしくはないが、いくらなんでも一国の王を「あの男」とはこんな場では言わない。
「いや、そっちじゃなくて、お前の婚約者候補の男だよ」
国王に側室が何人いても知ったこっちゃないが、栞の婚約者候補の男に他の女がいるのは問題だろう。
「他に女がいるって言うより、あの人に好きな人がいるってだけの話だよ」
だが、栞は特に気にした様子もなくそう口にした。
「……それは二股じゃねえのか?」
まさか、その事実に気付いていないのか?
普通なら、候補とはいえ、自分が婚姻することになる相手に、別の想い人がいるなら許せないことだろう。
きっちり想いが清算できなければ、それは婚姻後にも引き摺り続けることになる。
それは許せることなのか?
「別に勝手に押しかけて居座った婚約者『候補』にそこまで気遣う必要なくない? 人間界、日本とは違って、好きな人がいたってそれぞれの事情で結ばれるとは限らないんだからさ」
だが、栞はあっさりとそう言い切った。
本当に興味がないかのように。
「向こうが本命で、わたしは単に契約相手なんだから問題ないよ」
さらにそんなことを続ける。
「だが、お前に対して不誠実だ」
我ながら甘い考えだと思う。
栞の方が、考え方としては王侯貴族的だ。
だが、それでも、栞が蔑ろにされるような状況を黙って見ていたくはない。
「そう? それでも、わたしは十分すぎるぐらい大事にされているし、その相手とどうこうなりたいって気持ちはないみたいだから、十分誠実だと思うけどな」
違う。
そんなのは誠実ではない。
本当に誠実なら、せめて、栞にそれを気付かせるなんて失敗を犯すな。
栞に気付かれている時点で、十分、不誠実だ。
「だから、わたしを『妻として愛することはできない』って発言に繋がるんだよ」
栞は他人事のようにそう言った。
それは、つまり、あの契約を持ち掛けた時点で、そんな女がいるってことに気付いていたのか?
いや、その発言から気付いたのか?
「一度、好きになったら簡単に気持ちを切り替えられない人なんだろうね」
理由や理屈としては分かる。
好きな女がいるから、他の女を好きになれない。
だからってそれをわざわざ宣言するのもどうかと思うが。
「お前はそれで良いのか?」
オレが気にするのはそこだ。
栞が気にしなければ、本当に傷付いていないのなら、それで良い。
だが、始めから女としての自分を否定されているも同然なのは、少しも悔しくはないのか?
オレは悔しかった。
栞が、こんなにも魅力的な女なのに、それをまともに見もしないうちから否定されていたのだから。
「ん~? 別に?」
だが、その当事者は本当に気にしていないような口ぶりでそう言った。
漂ってくる体内魔気も、穏やかで落ち着いている。
「まあ、婚約者となって結婚したら、いろいろやかましい人はいるかもしれないけど、それを承知の契約だからね」
だが、その場合、言われるのは女である栞の方だ。
男は何も言われない。
寧ろ、同情されるだろう。
尤も、それは最初の宣言通り、本当に「愛さなかった」時だ。
片恋か、双方想い合っているのかは知らんが、途中でその女のことを吹っ切ることもあるだろうし、ふとした時に、栞に手を出したくなることだってあるだろう。
どんなに女に対して嫌な思いを植え付けられたって、近くに手を出しても良い女がいるのだ。
健康な男なら、心はともかく、身体が求めることだってある。
幸い、前の婚約者とヤってるっぽいから、「発情期」になる心配はないだろうが、あれだけ激しい魔獣退治をするような男だ。
身体の昂りは避けられないだろう。
そのタイミングで栞と鉢合わせたら……、彼女が我慢しない限りは、確実にふっ飛ばし攻撃を食らうか。
我慢しなければ、栞は受け入れるってことだ。
オレの「発情期」とは意味も状況も全く違う。
だが、今はそんな余計なことを言うまい。
変に意識させて、相手との関係が悪くなるのは栞にとって良くないだろう。
「そうまでしてなんで契約したんだよ?」
向こうに好きな女がいるって気付いていたなら、栞の性格上、契約で相手を縛るという発想にはならない気がする。
どちらかといえば、好きな女と上手くいくように応援さえしそうだ。
だけど、それをせず、相手が簡単に動けないように制限した。
その理由が分からない。
「安全の確保。どこぞの王子殿下は多分、来年辺り、なりふり構わなくなりそうだからね。だから、それまでにわたしも基盤を作っておかないといけないでしょう?」
「それはそうだけど」
「彼の国に関しては、わたしの護衛たちがどれほどの身分を手に入れても無理だからね」
その心配など、大した問題ではない。
栞が自分を犠牲にしなくて良いのだ。
兄貴の方は分からないが、オレはいつでもあの国を捨てることはできる。
勿論、恩はある。
栞を護らせてくれた恩は。
金銭援助的な話なら、これまでにそれ以上の働きをしてきたという自負もあった。
だから、栞を護れないなら、あの国に拘る必要はない。
「まあ、悪いけど、暫くは様子を見ていてくれると嬉しいかな。自分じゃどうにもできなくなったら、ちゃんと頼るから」
そこまできっぱりと言い切られてしまっては、オレは何も言えなくなってしまうだろ?
だけど、本当にズルい女だ。
自分じゃどうにでもできなくなるまで追い詰められる前に、先回りして、オレたちがなんとかしてやるって思うのだから。
「本当だな?」
「うん」
念を押すと、即答された。
ちゃんといろいろ本人なりに覚悟しているのなら、それで良いんだ。
栞が傷付いていなければ、今後も傷付かないなら、問題ない。
そう思ってしまうほど、オレは栞の意思を尊重したいのだ。
それを邪魔するなら、兄貴であっても、許せないぐらいに。
だが、そんなオレの気持ちも知らない栞は……。
「本当だから、後1分だけ集中してくれる?」
そんなことを口にした。
「あ?」
集中って何のことだ?
オレは栞の話をしっかり聞いているぞ?
「せっかく、こんなに着飾った淑女と踊っているんだよ? 少しぐらい楽しんでいただけませんこと?」
栞は芝居掛かった口調でそう言った。
その仮面の下は笑っているのだろう。
そこで、オレは気付いた。
せっかく、栞と踊っているのに、確かにこんな話は無粋だということに。
栞もそう思ってくれたらしい。
その白すぎる仮面は邪魔だと思う。
恐らく、笑っていると思うのに、その顔が見えないから。
そして、もっとマシなデザインはなかったのか?
「ね?」
さらに小首を傾げられた。
前言撤回。
仮面があって良かった。
多分、この女は滅茶苦茶可愛い顔をしてオレを見ているのだろう。
だから、仮面が邪魔していて本当に良かった!!
「承知しました、オレのお嬢様」
オレは切り替える。
たった1分ぐらいしかないのか。
実に勿体ない使い方をしてしまった。
だが、その残り1分に全力を尽くそう。
難しいステップは既に兄貴がしている。
あの動きを見れば、栞はあの国王陛下の踊りに耐える胆力だけでなく、それなりに円舞曲を踊れる人間だと認識されたことだろう。
だから、オレはそんなことはしない。
せっかく、栞と踊る機会なのだ。
大事に大事にこの時間を使おう。
だが、そんな貴重な時間はやがて、終わってしまう。
それでも、オレは幸せだったのだ。
次に、栞へと伸ばされた手を見るまでは。
サブタイトルは「unbalance」と迷いましたが、こちらにしました。
意味は似たようなものなのですけどね。
そして、六人目は次の話の予定です。
誰が来るか、予想してください。
これまで登場した人物であることは間違いないです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




