五曲目:confidence
雄也さんとの円舞曲が終わった。
短い曲ではあったのだけど、これまで踊った中で、一番集中できたと思う。
「お相手いただき、ありがとうございます、私のお嬢様」
「大変、楽しい時間を過ごせました。ありがとうございます、私の守護者」
わたしがそう言うと、雄也さんは笑った。
流石にこの状況で「マスクドさん」は違うと思ったから。
そして、次の曲が流れだす。
「ジムノペディ第1番か……」
雄也さんの呟き。
流れてきたのは、エリック・サティ作「ジムノペディ第1番」。
前回の舞踏会でも流れていた曲だ。
そうなると、次はかなりの確率であの曲が来るだろう。
「次が、アイツでも良い?」
「はい。勿論」
わたしがそう答えると、雄也さんがまたも苦笑した。
そして、横から差し出される手。
それが誰かなんてその顔を確認するまでもない。
「そろそろお疲れかもしれませんが、私と踊っていただけますか? オレの主人」
聞き覚えのある声。
久しく聞いていなかった低い音。
それが、泣きたくなるほど嬉しい。
その手に自分の手を重ねながら……。
「そこは、淑女ではありませんか?」
そう問いかけてみる。
ここまでは、あの時と同じ。
でも、違うことがある。
「失礼いたしました。オレのお嬢様。改めて、私と踊っていただけますか?」
「はい、喜んで。私の守護者」
そう言って、そのまま基本姿勢になる。
チラリと見た久しぶりの九十九は、雄也さんと同じ銀髪碧眼仕様で、さらにお揃いの仮面だった。
二人でわざわざ色合わせしているのだから、多分、何かの意味があるのだと思う。
並んで立つと普通の人には見分けるのも大変かもしれない。
彼らは双子ではないが、目の周囲を隠してしまうと、かなり似ていることが分かる。
身長差は確か、2,3センチぐらいだったか。
しっかり二人を並べないと目測ではその区別もつかない。
「ヴァルと呼んだ方が良かった?」
「いや、人前でそう呼ぶな」
互いの息がかかる距離での小声での会話。
だから、魔法で聴覚強化などをしていない限り、周囲に聞こえることはない。
城内で必要以外の魔法使用は禁止であることは、どの国でも同じである。
まあ、やろうと思えば、魔法具、魔石、それ以外の手段もあるけれど。
「それは、『濃藍』に似た名前だからな」
「おおう」
確かに「濃藍」に似ているから避けた方が良いのは分かった。
似た名前の人間はいる。
でも、そんな僅かな情報から確かな繋がりを見つけ出してしまうような勘の良い人間だっているのだ。
目の前にいる人とか、さっきわたしと踊った少しだけ離れた所にいる人とかね。
そこで、曲が終わり、新たな曲が始まる。
流れてきたのは、予想通りの曲だった。
エリック・サティ作「ジュ・トゥ・ヴー」。
日本語訳ならば「貴方が欲しい」。
「この曲か……」
ポツリと呟かれる。
九十九はクラシックにそこまで詳しくないらしい。
だから、曲の予想はできないのだろう。
でも、嫌だったかな?
「また同じ曲だな」
「そうだね」
あの時と同じ曲。
でも、その状況は全く違う。
あの時は外で、水尾先輩と真央先輩以外は近くにいなくて、そして……、本当の意味で素顔だった。
今はガッツリ化粧、ヘアセット。
そして、仮面付き!!
「今のうちに聞いておきたいことがある」
「ぬ?」
改まってなんだろう?
「仮面舞踏会なのに、淑女仮面外れてるぞ」
わたしの反応を聞いて、九十九が苦笑した。
いや、「淑女仮面」って何?
「悪いが、あのアンゴラウサギ仮面との会話は聞かせてもらった」
そして、九十九も「アンゴラウサギ仮面」の名称を使うらしい。
でも、雄也さんと違って「様」は付けないようだ。
「別に構わないよ。そんな変な会話をしたつもりはないし」
それぐらいはやっていると思っていた。
通信珠を使わずとも、同じ空間にいれば、彼らは何らかの形で盗み聞きをしているだろう、と。
心配性な護衛たちだからね。
「あの男には他に女がいるのか?」
「ぬ? アンゴラウサギ仮面さまはいっぱい側室がいる人だよね?」
「いや、そっちじゃなくて……」
九十九は少しだけ言い淀んだが……。
「お前の婚約者候補の男だよ」
そんなことを問いかけてきた。
「他に女がいるって言うより、あの人に好きな人がいるってだけの話だよ」
「……それは二股じゃねえのか?」
九十九の声が鋭くなった。
真面目な彼には許せないのかもしれない。
でも……。
「別に勝手に押しかけて居座った婚約者『候補』にそこまで気遣う必要なくない? 人間界、日本とは違って、好きな人がいたってそれぞれの事情で結ばれるとは限らないんだからさ」
それに、この場合は二股とは違うだろう。
「向こうが本命で、わたしは単に契約相手なんだから問題ないよ」
好きな人がいるのも、その人を忘れられないのも、仕方がないことだ。
人の想いは理屈だけで、利害だけでは片付けられないことも多い。
わたしもそれぐらいは理解しているつもりである。
気持ちの整理をする前に、わたしが契約を持ち掛けただけで、アーキスフィーロさまは何も悪くないのだ。
「だが、お前に対して不誠実だ」
「そう? それでも、わたしは十分すぎるぐらい大事にされているし、その相手とどうこうなりたいって気持ちはないみたいだから、十分誠実だと思うけどな」
わたしを尊重されていることは分かるし、その相手の女性とこっそり会うことも、連絡を取ることすらしていない。
寧ろ、相手の女性を意識するまいと努めているご様子である。
そこまで、押しかけ婚約者候補であるわたしを立ててくれているのだから、十分だと思うんだよね。
それでも納得できないのか、九十九は不機嫌なオーラを隠さなかった。
いや、表情はほとんど仮面で隠れてはいるのだけど、わたしに伝わってくるのだから、隠しきっていないと言えるだろう。
「だから、わたしを『妻として愛することはできない』って発言に繋がるんだよ」
本当に不誠実ならば、その人を想いつつ、わたしにも手を出そうとするだろう。
でも、それをしようとしない。
そんな器用な人ではないってことぐらいはわたしにも分かっている。
「一度、好きになったら簡単に気持ちを切り替えられない人なんだろうね」
「お前はそれで良いのか?」
「ん~? 別に? まあ、婚約者となって結婚したら、いろいろやかましい人はいるかもしれないけど、それを承知の契約だからね」
始めから期待していない。
期待する余地がないのだから、その方がずっと良い。
「そうまでしてなんで契約したんだよ?」
「安全の確保。どこぞの王子殿下は多分、来年辺り、なりふり構わなくなりそうだからね」
ダルエスラーム王子殿下は現在20歳。
セントポーリアの王位継承は25歳時点で結婚していることが条件にあるのだから、20歳は一つの節目だろう。
「だから、それまでにわたしも基盤を作っておかないといけないでしょう?」
「それはそうだけど」
「彼の国に関しては、わたしの護衛たちがどれほどの身分を手に入れても無理だからね」
他国で貴族として迎え入れられても、王族の権限を行使されてしまえば、もともとセントポーリアに属していた彼らは従うしかなくなる。
まあ、彼らがいろいろな物を捨てる覚悟があれば、逆らうことはできるだろうけど、そこまでさせたくないし、何より、セントポーリアと縁を切ると言うことは、セントポーリアの国王陛下の依頼で護っているわたしとも縁を切ることに等しいわけで……。
「まあ、悪いけど、暫くは様子を見ていてくれると嬉しいかな。自分じゃどうにもできなくなったら、ちゃんと頼るから」
「本当だな?」
「うん」
本当なら、どうにもできなくなる前に頼る方が正しいことも分かっている。
だけど、生憎、そんなに素直に生きていない。
自分でやってみて失敗しなければ分からないことだってあるのだ。
それに、今のように依存に近い状態はあまり良くないだろう。
彼ら無しでは生きられないのは人間の在り方としておかしいと思うから。
「本当だから、後1分だけ集中してくれる?」
「あ?」
「せっかく、こんなに着飾った淑女と踊っているんだよ? 少しぐらい楽しんでいただけませんこと?」
あえて気取った口調でそう言った。
さっき雄也さんと踊った「花のワルツ」より、今、踊っている「ジュ・トゥ・ヴー」の方が、曲は長い。
だけど、あっという間に曲はもう後半だ。
それなら、面白くない未来の話より、現在を楽しい時間として欲しい。
「ね?」
「承知しました、オレのお嬢様」
そう言って、九十九も切り替えてくれる。
難しいステップではなく、基本に忠実な足取り。
それを丁寧に丁寧に踏んでいく。
仮面越しに細められた優しい青い瞳。
口元に少しだけ笑みが浮かんでいるから、彼も楽しんでくれているのだろう。
だけど、そんな時間はやがて、終わってしまう。
約5分のワルツとしては長い時間。
でも、瞬きするような短い時間でもあった。
それでも、わたしは幸せだったのだ。
次のお誘いが現れるまでは。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




