一曲目:standard dance
「シオリ嬢?」
少しだけ、ぼーっとしてしまったらしい。
アーキスフィーロさまは不安そうな気配を漂わせている。
仮面を付けているから勿論、表情は分からないのだけど、雰囲気ってちゃんと分かるもんだね。
「申し訳ございません。少しぼんやりしてしまいました」
「思ったよりも人が多いですからね」
アーキスフィーロさまは特に、気にした様子もなくそう言った時……。
「あれ?」
先ほどまでアニソンが続いていたのに、急にクラシック音楽に変わった。
今、流れているのは、エドヴァルド・グリーグ作曲「ペール・ギュント第1組曲『朝』」だ。
そうなると、そろそろ始まり?
周囲にいた人たちも、そう判断したのか、それぞれ一緒に踊る相手を見つけては、その手を取って移動していく。
今回は「仮面舞踏会」という形式であるため、普通の舞踏会のように国王陛下による開式の挨拶もなく、王族によるファーストダンスもないと聞いている。
つまり、会場に入って、踊りたい相手を見つけて誘い、いきなり円舞曲に入るという変則的なものとなるらしい。
これまでにないやり方ではあるが、若い貴族子女たちはそれに順応しているようだ。
そして、その親世代とも言える年代は、無難に同行者たちの手を取って移動している。
わたしは……、どうしよう?
第二王女殿下であるトゥーベル王女は、わたしに国王陛下と踊ってほしいと言っていた。
それは多分、国王陛下の願いだと思っている。
そうなると、最初に踊ると決まっているわけではないけれど、やはり、一応、国王陛下を探すべきだろうか?
「そろそろ……、始まりのようですね」
アーキスフィーロさまも同じように思ったらしい。
だが、存在感があるはずの国王陛下は未だにその姿を見せない。
「もし、このまま、国王陛下が見つからなければ、私と踊っていただけますか?」
「はい、喜んで」
でも、多分、そうはならないだろう。
楽団が音楽を変えたと言うことは、誰かによって何らかの合図があったのだと思う。
あるいは、時間で曲調を変えるようになっていたか。
だけど、このまま続けて別のクラシック音楽が流れ続けるか、ここから円舞曲の曲になるかも、現時点では分からない。
他の方々も、同じように思ったから、お誘いだけして、広い場所、踊りやすい場所へと移動しているのだと思う。
それならば、円舞曲が始まれば踊るだけだし、始まる様子がなければ待機していれば良いから。
アーキスフィーロさまに連れられて、適当な場所を探す。
別に目立つ必要はないから、端で良いだろう。
アーキスフィーロさまもそう思っているのか、中央には向かわなかった……のだが……。
「そこよりは、もっと中央の方が良いだろう」
そんな聞き覚えのある声が耳に届いてしまった。
「陛……」
「口を開くな」
わたしよりも先に、アーキスフィーロさまがその声に反応したが、当人によって阻まれる。
「お前たちが先に踊れ。それぐらいは待ってやる」
その声が聞こえてくる方に顔を向けると、そこには……、アンゴラウサギのようなお面を被った殿方がいらっしゃった。
それは何でしょう?
わざわざ、作らせたのですか?
そして、まだアンゴラウサギネタを引っ張るのか、この王家!!
どれだけアンゴラウサギ好き!?
いや、確かに可愛いとは思うけれど、お面にしたら、ただの毛玉の魔獣にしか見えないよ。
「あ、あの……?」
そして、そんなアンゴラウサギ仮面に、アーキスフィーロさまもなんと声をかけて良いのか分からないらしい。
それはそうだ。
こんな事態、社交慣れしていても簡単に躱すことなんてできないと思う。
「早く中央へ行け」
だが、そんなわたしたちの動揺を無視して、アンゴラウサギ仮面は中央へ行くように指示する。
結構、通りの良い命令し慣れた声に、周囲は気付かないのか?
いや、数名、視線を逸らそうとしている。
関わりたくないってことですね!?
許されるなら、わたしたちもそうしたいです!!
「シオリ嬢……」
戸惑いながらもアーキスフィーロさまは、わたしの手を取り、中央に近い位置に向かう。
本当に真面目な人だ。
でも、声を掛けられなければ、その正体に気付けなかったということは、国王陛下もなんらかの認識阻害とか、魔力抑制とかをしているのだと思う。
そこまでして、仮面舞踏会に参加したいとは……。
だが、その成果は出ている。
わたしたちも声を掛けられるまでは分からなかったのだし、周囲の人もその声が聞こえた人以外はまだ気付いてもいない。
音楽が止まった。
やはり、今から始まるらしい。
だけど、何故かまた競馬ゲームのファンファーレと同じような音が鳴り響く。
今から、各馬、一斉にスタートするのですか?
いや、円舞曲の始まりの合図ですね。
次回は、もっと大人しい音楽をお勧めします。
王族の入場や法螺貝ならともかく、優雅な円舞曲始まりの合図としてはちょっと激しいと思う。
アーキスフィーロさまと基本姿勢をとる。
ファンファーレの後、聞こえてきたのは……、でびゅたんとぼ~るでも踊ったヨハン・シュトラウス2世作曲「美しく青きドナウ」だった。
今回、「仮面舞踏会」に参加するに当たって、わたしたちは何度か練習している。
わたしはこの国に来るまで、ガッツリ指導を受けていたが、アーキスフィーロさまは人間界の社交ダンス練習会以降、三年以上ほとんど踊っていなかったそうな。
勿論、でびゅたんとぼーるに参加すると決めてからはセヴェロさんと練習していたけど、それだと客観的に見る人がいないことに気付いたらしい。
それに、今後はどうしても婚約者候補となったわたしと踊る機会は増えるだろうと考えたとか。
わたしとしても合わせた方が良いのだから、アーキスフィーロさまからの練習の申し出は嬉しかった。
でびゅたんとぼーるの時は、ちょっと動いたけど、今回は他の人もいるために、終始、落ち着いた標準的な踊りとなった。
あの時もこんなに大人しくしていれば、国王陛下から目を付けられることもなかったかな?
今頃、言っても遅いけど。
その国王陛下は、じっとわたしたちを観察している。
でびゅたんとぼーるの時もそうだっただろうか?
あの時は、踊りに夢中になっていたから、よく覚えていない。
「シオリ嬢」
不意に少し上からくぐもった声を掛けられる。
「周囲を気にしないで、楽しみましょう」
白い仮面越しではあるが、アーキスフィーロさまからそんな言葉を貰った。
「はい」
そのことが嬉しい。
あの時よりももっと気を遣って貰っていることが分かるから。
そうだね。
せっかく、煌びやかな空間で、壮大な音楽を聴きつつ、仮面を付けているとはいえ、華やかな恰好をして、綺麗な人と踊っているのだ。
まるで、少女漫画の主人公のようではないか。
そこまで考えて思わず笑ってしまう。
わたしが主人公の少女漫画ならば、恋愛よりもギャグが主体になってしまう気がするから。
そうして、優雅で壮大な円舞曲が終わる。
それがちょっと寂しく思えたのは、アーキスフィーロさまとの円舞曲を楽しんだからだろう。
そして、同時に……、今からの円舞曲を思うと、一気に疲れが出てしまうが、これも仕事の一環だと割り切ろう。
ロットベルク家に帰ったら、専属侍女たちの顔を見て癒され……って……。
ふと気付いた。
ここにいるはずのない人たちの気配を感じる。
この前は分からなかった。
多分、周囲の王族たちの気配とかに紛れたり、わたし自身が既にでびゅたんとぼーるで疲れていたために気付けなかったのだろう。
でも、今ははっきり分かる。
あの人たちも、この会場にいる!!
それだけで嬉しい。
心強い!
絶対的な安心感!!
そう思いながら、口元がニヤけそうになるのを必死で我慢した。
そして、周囲を見回したくなるのも気合で抑える。
「シオリ嬢?」
わたしの手に変な力が入ったのが分かったのだろう。
アーキスフィーロさまが心配そうに声を掛けてくる。
「大丈夫ですか? その……、嫌なら、まだ断ることも……」
アーキスフィーロさまは、わたしがあの国王陛下との円舞曲を嫌がっていると思ったのだろう。
そんなことを言ってくれた。
「大丈夫です」
仮面越しだから、アーキスフィーロさまには分からないかもしれないけれど、わたしは笑いながらそう答える。
確かに緊張はしている。
今から、あの国王陛下と踊るのだから。
だけど、その先に、分かりやすいご褒美が待っているなら、わたしは頑張れるのだ!!
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