二つ目の願い
「トゥーベル=イルク=ローダンセ王女殿下。国王陛下の相方の件は承知しました。但し、国王陛下がわたくしを見つけ出すことが前提となります。女性の方からお誘いするのは、恥ずかしいこと……なのでしょう?」
わたしはリプテラにいた時、ダンスの講師からそう習った。
「え? そうなの?」
だが、トゥーベル王女は目を丸くした。
あれ?
違うの?
そう言えば、このトゥーベル王女は、舞踏会の時、アーキスフィーロさまを誘っていた。
「少なくとも、私に円舞曲を教えてくださった講師の方々は、そうおっしゃっておりましたが……」
その人たちが間違っていた?
でも、専属侍女……、違った、あの時はまだ護衛の二人も、何も言っていなかったから、てっきりそうだと思っていたのだけど……。
アーキスフィーロさまを見るが、なんとも言えない顔をしている。
もしかしたら、ご存じないのかもしれない。
アーキスフィーロさまの生活環境で、円舞曲を覚えていたことの方が驚きなのだし。
「そ、それで、誰も女から誘っていなかったの……?」
トゥーベル王女は俯いて、震えている。
「でも! 私から誘わないと、誰も私を誘おうとしないわ!! 無様に壁の花になっとけっての?」
トゥーベル王女は王族で、しかも、既に婚約者もいる方である。
そんな方を誘うのは、殿方としても、かなり勇気がいる行動ではないだろうか?
「トルクスタン王子殿下は……」
「足の甲が二倍の大きさになってしまうかと思ったわ!! もう、誘われたってお断りよ!!」
わたしが言い終わる前に、噛み付かれるように断言された。
だが、同感だ。
彼と踊ればかなりの確率で足を踏まれてしまう。
相手からの足踏みを避けるのが大変な円舞曲など、楽しめる気はしない。
「トゥーベル=イルク=ローダンセ王女殿下のお相手ならば、婚約者である兄がいるでしょう?」
「ヤツが私に何かしてくれるとでも? 贈り物を全く寄越さない。顔を合わせても無視される。それどころか、城に来ても私に会わずに侍女に手を出す始末。ロットベルク家の男は先々代を除けば全部アホだわ」
アーキスフィーロさまを睨みつけながら、トゥーベル王女はそう言い切った。
つまり、アーキスフィーロさまのこともアホだと言いたいのだろう。
「ヴィバルダスさまは、婚約者の責務を果たされない方なのですね」
それで、わたしに側女になれと?
どの口が言われたんでしょうね?
「ヤツには端から期待なんてしちゃいないわ。カス兄様と気が合う時点で、クズ男って分かっているんだもの」
ぬ?
そんな名前の王子っていたっけ?
ヴィバルダスさまが仕えているのは、第三王子である「カルムバルク=ラニグス=ローダンセ」さまだったはずだけど?
聞き間違いかな?
「あんな胸糞悪くなるヤツらの話はこれ以上、したくないわ。とりあえず、シオリさんが仮面舞踏会に参加して、お父様と踊ってくれるなら、それで良いから」
トゥーベル王女はそう言って、話を打ち切る。
「二つ目のお願いを口にしても良いかしら?」
「はい」
そう言えば、お願いは三つだと言われていた。
まだその内の一つ目を聞いただけだ。
しかし、仮面舞踏会に参加して国王陛下と踊ること以上の願いであれば、想像もつかない。
いや、それ以下のことであっても、想像できないのだけど。
「ここからは、私個人のお願いになるわ。一つ目はどちらかと言えば、ついでね」
そっちが「ついで」の話だったらしい。
「5日ほど前だったかしら? ヴェル兄様が白いふわふわモコモコした物を持っていたのよ」
ヴェル兄様……、第四王子であるヴェルドロフ=バルダ=ローダンセ王子殿下のことだろうか?
いきなり愛称で話されるとすぐにピンとこないな~。
だけど、このトゥーベル王女はその呼び方が普通なのだろう。
しかし、ふわふわモコモコ?
6日前にヴァルナさんが第四王子殿下にお渡ししたアンゴラウサギのぬいぐるみのことかな?
収納せずに持ち歩いていたのだろうか?
二十歳の御仁が、白い毛玉を持ち歩いている様は可愛らしいと思うけれど、周囲がそう見るとは限らない。
「でも、頂戴って言ったら、断られたの」
まあ、かなりお気に入りのご様子だったからね。
それ以外のウサギはウサギに非ずとまで言っていた。
「しかも、ヴェル兄様。ふわふわモコモコの写真が付いたポストカードまで持っていたの」
ああ、ヴァルナさん、第四王子殿下にサービスしていたからね。
しかし……、第四王子殿下。
妹殿下に自慢していませんか?
ぬいぐるみを持っていることはともかく、ポストカードなんて、取り出さなければ分かるものではないだろう。
「それで、話を聞けば、『シオリ嬢』とその侍女からもらったって。私もそれが欲しいの!!」
それは、なんとも分かりやすい要求だった。
「でもでも! アレって人間界のモノでしょう? だから、無理かなって……」
先ほどの勢いから一転して、元気がなくなる王女殿下。
「どうして、無理だと思うのですか?」
「だって! もう! 人間界には戻れない!! それはシオリさんだって一緒だし!」
そうだね。
確かに人間界には戻れない。
戻るためには許可がいる。
「トゥーベル=イルク=ローダンセ王女殿下は、人間界がお好きですか?」
先ほどから、話を聞いているとそんな感じだ。
「うん! めっちゃ、大好き!! 小学校も、学園も楽しかった!!」
ぬ?
学園?
「この世界よりも、ずっと楽しいし、面白い物ばっかりだった。勿論、自分でいろいろするのは大変だったけど、私、あの世界に行って初めて、生きてるって思えたの」
「生きている……ですか?」
「そう。この城ではね。昔から、私は何もできないの。勉強もだけど、本を読むことも、着替えることも、食事すら人の手を借りている。ああ、人間界の乳幼児のような扱いって言えば分かる?」
それは……。
「私の母様だった女がね。女は何もできない方が可愛くて良いって言うような女だったの。その結果、何も知らない、できない、兄様たちや姉様にとってすごく都合の良い妹ができちゃったわけね」
優しい虐待というやつではなかろうか?
「オルヴァ兄様は完全に無視。ゼルノス兄様は気が向いた時に構ってくれたわね。クソ兄様は従僕や女中を嬲る時に呼ばれたわ。ホントに下衆よね。シルヴィ姉様は様々な嘘を吹き込んでくれたわね。今、思い出しても忌々しいわ」
違う!
これは、優しくもない虐待だ。
「ヴェル兄様は時々、声を掛けてくれたけど、私の方が無視していたの。クソ兄様がヴェル兄様は早く死ぬ人間だからって言ってたからね。媚を売るだけ無駄とも言われていたわ」
ちょっと待って?
それってこのトゥーベル王女が幾つぐらいの時の話?
「でも、ジュン兄様だけは無視しても根気よく、それは駄目なことだって言ってくれていたの。小学校にもすぐに通うことを許可せず、最低限の知識を身に着けた六年生になってからだったわ。それは、そこにいるアーキスフィーロも知っていることよね?」
「その頃のトゥーベル=イルク=ローダンセ王女殿下の状況までは伺っておりません」
「あら、そうだったの。ジュン兄様はみっともない妹のことを黙っていてくれたのね。ありがたいわ」
トゥーベル王女はそう言いながらクスクスと笑う。
「だけど、ジュン兄様は中学卒業後に、この世界に戻ることになっていたから、私は、公立中学校に通わず、近くのお嬢様学園の中等部に通うことにしたの。入学試験は大変だったけど、面白かったわ。それに、あんなに勉強したのも生まれて初めてだった」
近くのお嬢様学園。
その言葉に覚えがある。
あの近隣で女子だけが通う私立の学園なんて、一つしかなかったから。
わたしの友人である高瀬が通っていた西条学園だろう。
「……って、そんなことはどうでも良いの!! あのぬいぐるみを……」
「ヴァルナ、お願い」
トゥーベル王女がさらに何か言おうとするのを遮るようにわたしは願った。
「承知しました」
そして、背後から差し出される白い毛玉にしか見えないぬいぐるみ。
「これを、第二王女殿下に献上いたしましょう」
それを受け取って、わたしがトゥーベル王女に渡すと……。
「あ、ありがとう」
目を潤ませながら、トゥーベル王女はその白いぬいぐるみを抱き締めたのだった。
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