一つ目の願い
国王陛下が最初に踊るなら、その相手は必ず、正妃殿下である。
それが、この国のファーストダンスの形……らしい。
だが、それを正妃殿下が拒んでいるため、国王陛下はファーストダンスを踊ることなく、他の王族たちが最初に踊ることとなっている。
これまで、わたしはそう聞いていた。
「舞踏会のファーストダンスにて、国王陛下は必ず正妃殿下と踊らなければならないという仕来りを止めることはできないのでしょうか?」
だから、何も考えずにそう尋ねてみたのだけど……。
「できないわ。お義母様自身が、それは絶対に許さないから」
トゥーベル王女は盛大に息を吐きながらそう答えた。
「そもそも、あのお父様を人前で踊らせたくないのよ? 違うわね。お父様のお相手を人前で恥をかかせたくない、が正しいわ。だから、お義母様がいろいろ理由をつけて誰もお父様とファーストダンスを踊らないですむようにしていたの」
その言葉で、国王陛下のトンデモワルツを思い出す。
文字通り、わたしは飛んだのだ。
アレを他の貴族の御令嬢が体感する?
無理だと思う。
「だけど、お父様は踊りたいわけ。せっかく、円舞曲を覚えたのですもの。それに、何も知らない人からは、お父様が踊れないとか、お義母様と不仲だとか言われているの」
わたしのでびゅたんとぼーるにいた人たちは知っていた。
でも、全ての人が知っているわけではないらしい。
人前で踊ったことがないのなら、そうなるか。
それなのに、なんで、ファーストダンスの規則を作ったのだろうか?
国王陛下に踊り禁止令を出すだけで良いと思うのだけど。
「アレを知っているのは、お義母様たちと私を含めたお父様の子供たち、円舞曲の講師、国の重臣。そして、運悪く、デビュタントボールでご指名されてしまった貴族令嬢とその先導者だけなの」
つまり、わたしは運が悪いらしい。
「それが、何故、シオリ嬢が、その仮面舞踏会に参加させられた上で陛下と踊れという話になるのでしょうか?」
それまでほとんど口を開かなかったアーキスフィーロさまが問いかける。
「あら、あんた自分から話せたの?」
トゥーベル王女は意外そうな顔で、アーキスフィーロさまを上から下まで眺める。
「まあ、良いわ。単純な話よ。その仮面舞踏会を開催するきっかけとなったのが、そこにいるシオリさんなの」
はい?
どういうことですの?
わたしが疑問符を浮かべると同時に、周囲からの視線が突き刺さる。
特に背後からの視線が凶器だ。
だが、言いたい。
わたしは無実だ!!
今回は本当に何もしていない。
「これまでデビュタントボールで国王陛下の目に止まった貴族令嬢はシオリさんを含めて、5人。そして、最後まで立っていることができたのはシオリさんだけなの」
それはあの場でも聞いた気がする。
「分かる? アーキスフィーロ。この国であんたが連れている女しか、国王陛下の踊りに最後まで耐えられなかったの。勿論、お義母さまだけでなく、お父様の愛妾たちを含めてね」
正妃や側室はその立場上、一度は踊っているだろう。
だけど、デビューしたてほやほやの若いお嬢さん方がわたしの他に4人も犠牲になっていたのか。
その数が多いのか少ないのかは分からないけれど、そのお嬢さん方が1人でも耐えきっていたら、わたしにそんな話が来なかったと思うと、いろいろ複雑ではある。
「お父様は喜んだわ。これで思いっきり、遠慮なく、のびのびと踊ることができる、と」
いや、止めてください。
違う、止めてください!!
「陛下の我儘に、シオリ嬢を巻き込む、と?」
アーキスフィーロさまのその低い声にゾッとした。
こう、背中に冷たい水を不意打ちで落とされた時のように、驚きの余り背筋が伸びる。
「い、一回だけよ。それ以上はしないわ。多分」
これまで余裕があったトゥーベル王女の顔色も変わった。
アーキスフィーロさまが……、怒っている?
いつもは温厚な方なのに。
魔力の暴走だって、もっと頻繁に起こると思っていたが、そんなことはなかった。
アーキスフィーロさまは忍耐強い方で、多少の揺らぎはちゃんと自力で立て直せる人なのだ。
そんな人が、今、分かりやすく、怒っている。
「それに、今回、アーキスフィーロの意見は要らないの。仮面舞踏会は普通の舞踏会と違って、わざわざ男女一組で参加しなくても良いって通達しているわ。婚約者や恋人のない独り身、独りぼっち、ソロ活動中の貴族子女たちのための、出会いの場の提供の意味もあるの」
独り身はともかく、ソロ活動って言い方は何気に酷い。
「だから、シオリさんの意見だけで十分なのよ」
トゥーベル王女の言葉にアーキスフィーロさまは不服そうな顔をするが……。
「わたくしは、庶民でございますが?」
問題はここではないだろうか?
前回のでびゅたんとぼ~るは、貴族子息であるアーキスフィーロさまの相方だったから、参加できたのだ。
実際、わたし自身は舞踏会の招待状を貰っていない。
だから、アーキスフィーロさまの付録になる必要がなければ、参加することもできないと思う。
「お父様が招待状を出すって張り切っていたわ」
ふぎょっ!?
国王陛下からの招待状なんて、勅旨、勅命とも呼ばれるものとなり、庶民のわたしが逃げれば、方々に迷惑がかかってしまうではありませぬか。
「だから、アーキスフィーロが理由を付けて逃げようとしても、シオリさんは強制参加。体調不良なんて言われたら、城から直々にロットベルク家まで迎えに来るでしょうね」
トゥーベル王女は余裕を取り戻したかのようにそう言った。
酷い囲い込みもあったものだ。
「アーキスフィーロさま。どうやら、その仮面舞踏会への参加は絶対のようです」
まだ冷えた空気を纏っているアーキスフィーロさまにそう声を掛ける。
この国の貴族なら、国王陛下直々の招待状の意味はわたし以上に理解していることだろう。
だけど、わたしは基本的にアーキスフィーロさまに付属する者だ。
だから、アーキスフィーロさまの理解を得る必要はあると思う。
それが、どんなに理不尽な王命であっても。
「それなら、私も参加します」
「もともと、あんたも貴族子息の端くれではあるのだから、参加は義務なのよ?」
「私にはまだその仮面舞踏会の招待状すら届いておりませんが、恐らく、ギリギリで渡されるところだったのでしょう」
アーキスフィーロさまはトゥーベル王女を無視して、わたしを見る。
これは……、どうするのが正解?
背後を見たい。
助言が欲しい。
でも、それは甘えだ。
「しかし、問題は、今から準備するとなると、貴女の装いが……」
装い?
ドレスのことかな?
人間界では、ドレスの仕立てにはかなり時間がかかるのが常識だった。
この世界でも、短時間で仕立てた物と、時間をかけてじっくりと仕立て上げた物では見る目がある人間が見れば、分かってしまうという。
具体的には、魔力付与や魔法付加した時の馴染み具合とかが違うそうな。
いや、魔力付与、魔法付加が前提ってどういうことなのかと言いたいけれど、高級品に一切、その気配がないのは恥ずかしい話らしい。
良い物には、少なからず作り手の熱が籠る。
それが魔力付与となるのだ。
まあ、その作り手の体内魔気が製作過程で布や糸、服そのものに移ってしまうということだろう。
勿論、無意識の魔力付与など、時間が経てば自然と消えていく。
それでも、ドレスなんてものはそう何度も同じ物を着るわけではない。
下手すると、貴族令嬢は一度だけしか着ないということも珍しくないそうだ。
前に着たドレスを着ている、誰かとドレスが被った、それが醜聞になることもあるらしい。
お貴族さまは本当に大変である。
「そちらについては大丈夫かと。わたくしの侍女たちは有能ですので、恐らく、既に準備されているかと存じます」
恐らく、でびゅたんとぼーるのドレスと同じように既に準備されている。
それも選べるほど。
そして、その中には、専属侍女たち自らが仕立て上げたドレスがあっても驚かない。
それぐらいの心構えがなければ、あの専属侍女たちと付き合っていける気がしなかった。
「ヴァルナ嬢、いかがでしょうか?」
「ご安心ください。栞様の御召し物に関しては、ルーフィスと既に手配済みでございます」
ほら、やっぱり。
「それで? シオリさんはお父様と踊ってくれるの?」
「お誘い頂けるなら、それにお応えいたします」
王命だしね。
ちょっと髪とメイクに気合を入れてもらおう。
魔法で固めるのもありかもしれない。
「ですが、その仮面舞踏会で、特定の方を見つけ出して踊ることは可能なのでしょうか?」
一応、仮面で正体を隠すという設定ならば、そこは確認しておく必要があるだろう。
「あのお父様を見つけられないと思う?」
「いえ、あの国王陛下を見紛うことはないと存じますが、陛下の方がわたくしを見つけることができるでしょうか?」
わたしが見つけても、国王陛下がわたしを探せなければ意味がない。
自慢ではないが、わたしは背が低い。
そして、容姿は平凡である。
醜女とまでは言わないが、お綺麗なお貴族さまのお嬢さんたちの中では完全に埋没できる自信はある。
「あ~、あんたの魔力、分かりにくいもんね。ちょっとそれは伝えておく。多分、魔力珠の装飾品があれば……」
「それはお断りさせていただきます。正体を隠していても、畏れ多くも国王陛下の魔力を身に纏っている女性という時点で耳目を集めてしまいます」
「まあ、魔力珠の装飾品なんて、この国では恋人にしか贈らないか。俺の魔力で身も心も染めてやるって意味だもんね」
へ?
ナニソレ?
え?
魔力珠の装飾品ってそんな意味があるの?
以前、わたしにソレを贈ってくださった殿方がいませんでしたっけ?
背後を振り向きたい。
全力で振り向きたい。
今、どんな顔をしているか見てみたい!!
でも駄目だ。
落ち着け、わたし。
「トゥーベル=イルク=ローダンセ王女殿下。それは我が国だけの文化です。他国では自分の瞳の色の魔石がついた装飾品など、婚約者に贈る物は異なります」
「あんたがソレを知っていることに驚きだわ。そっか~、アレって、ウチだけの文化だったのか」
アーキスフィーロさまの言葉に胸をなでおろしたくなった。
考えてみれば、魔力珠を単体でもらったこともあるし、それ以外でリヒトと別れる時に、皆で魔力珠の付いた装飾品を贈ったこともある。
だから、魔力珠がついた装飾品は大事な人に贈るものであって、恋人に贈ると決まっているわけではないのだ。
だけど、一瞬でも、嬉しいと思ってしまったのは、いけないことなのかな?
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




