流れるように
第四王子殿下の立場からすれば、「契約の間」にはいるということは、かなりの覚悟が必要としたことだろう。
たかが、部屋。
されど、部屋。
何処の国でも「契約の間」と呼ばれるはずの部屋は、この国では「懲罰の間」と呼ばれているらしいのだ。
悪いことをすれば、王族ですら、その部屋に閉じ込められる。
そんなことを言い聞かせ、育てられてきた王侯貴族やその子供たち。
その長年培ってきた固定観念から抜け出ることなんて、容易ではない。
その中身を知らなくても、恐ろしい所だとは思っているだろう。
そして、第四王子殿下は、目を見開くことになる。
「え……?」
そして、信じられないモノを見るような呟き。
うん、信じられないのも無理はない。
わたしも言いたい。
どうして、そうなっている?
わたしが退室したのはほんの数分前のことだ。
だが、その数分で、部屋が随分、変化していたのだから、なんとも言えなくなってしまう。
そこにいたのは、第二王子殿下と愉快な仲間たち……失礼、従者たち。
彼らをその場に残していたのだから、メンバーそのものは入れ替わりでもしない限りは変わらない。
だけど、いろいろな物が持ち込まれていた。
具体的には、移動式の黒板。
そして、机と椅子。
それは、まるでどこかの小学校の教室のようだ。
さらにその黒板には「めあて:ヴィーシニャの精霊に第二王子の魅力を伝える」などと書いてあるのがなんとも言えない気分になる。
せめて、「作戦名」とか、「企画案」とかにしていただけないだろうか?
黒板の端に、日付と天気、日直まで書いてあるところは細かいとは思うけれど。
しかも、日本語。
でも、懐かしいと思うより先に思った言葉は「なんじゃこりゃ?」だった。
口に出さなかっただけマシだろう。
「ま、まさか戻ってくるとは!! これぞ、運命!!」
第二王子殿下が嬉しそうに両手を広げてこちらに来ようとしたが、従者たちが目配せをし、無言で背後から忍び寄ると、檻に封印してくれた。
あの檻は何度壊されては修復されているのだろうか?
「兄上!?」
見事な連係プレーだったが、第四王子殿下が驚きのあまり叫んだ。
いきなり自分の異母兄が、檻に閉じ込められた現場を見たのだから、真っ当な反応だと思う。
「ヴェルドロフ=バルダ=ローダンセ王子殿下、ご安心ください」
従者の一人が、素早く近付いて礼を取る。
ルーフィスさんとヴァルナさんとの模擬戦闘の成果が出ているのか、その動きに無駄がない。
「そこにいる『白き歌姫』殿に野獣……、失礼、ゼルノスグラム=ヴライ=ローダンセ王子殿下を近付けないために断腸の思いで我々は、こうしております」
「ゼルノスグラム=ヴライ=ローダンセ王子殿下は『白き歌姫』殿をご覧になると、理性が飛んでしまわれるようでして……」
「そうです。大変、心苦しいのですが、そんな我々の心境と状況をご理解を頂ければと存じます」
これまで椅子に座っていた従者たちも次々に立ち上がり、第四王子殿下に迫っていく。
これは、数の暴力ではなかろうか?
「あ、兄上が?」
第四王子殿下はまだ状況が理解できない。
従者たちと、兄王子が閉じ込められた檻を見比べていた。
その兄王子……、第二王子殿下はいつものように金属製の格子を握って、「裏切り者」、「たばかったな!!」などと叫んでいる。
「先ほどの言動をご覧になったでしょう? いきなり未婚の女性に抱き付こうとするのです。『白き歌姫』殿が何度、拒んでも、嫌がっても、逃げようとしても、侍女たちから殴り倒されても、その行動を改めてくださらないのです」
「しかも、檻に閉じ込めても、今も尚、見ているのは『白き歌姫』殿だけ。我々もどうしたら良いものか……」
そう言いながらも従者たちが目配せし合っている。
時折、ヴァルナさんを見ている気がするのは気のせいか?
そして、そのヴァルナさんが動いた瞬間、全てが終わった。
第二王子殿下はまたも眠らされてしまったのだ。
「兄上!?」
またも叫ぶ第四王子殿下。
「これで静かになる!」
「流石、濃藍の侍女さん!! スッキリしたところで、またお相手願えませんか?」
「次は、その艶やかな髪の毛に触れて見せます!!」
だが、そんな悲痛な叫びも、ノリの良い従者たちの声によって掻き消されていく。
「ああ、ヴェルドロフ=バルダ=ローダンセ王子殿下。ゼルノスグラム=ヴライ=ローダンセ王子殿下を起こさないでくださいね。その方が起きると、本当に面倒なのです」
「『白き歌姫』殿が魅力的なのは分かるけど、童貞の発情期というわけでもないのに何度も野獣化されるのはちょっと……」
仮にも仕えている王子に対して酷い言い草である。
しかも、未婚女性の前で言うことではないだろう。
「兄上が、野獣化……。そんなはずが……」
第四王子殿下が茫然としている。
まるで、信じられないものを見ているかのように。
「理性が吹っ飛んでいるので、獣化ではないですね。見た目に変化はありませんが、論理的に物を考えられず、直情的になっておられます」
ぬ?
ちょっと待って?
今、何か不思議なことを聞いた気がする。
野獣化は獣化とは違う?
これって、単純に第二王子殿下が、いろいろ困ったさんってだけではないってこと?
「それは、そこの『白き歌姫』の前に立った時だけなのか?」
「いいえ、『白き歌姫』……、『ヴィーシニャの精霊』が目に入った時だけです。たったそれだけで、ここまで激しい症状が出るなど、これまでにはありませんでした。そうなると、やはり、『ヴィーシニャの精霊』は……」
さらに聞こえてくる不穏な響き。
今、会話しているのは、第四王子殿下と第二王子殿下の従者だというのに、何故か妙に仲が良く見えてくる。
これは、状況報告だというのに、それ以外の何かが見える気がして、思わず、わたしは後ろに下がりたくなった。
ふと、自分の背に手が置かれていることに気付く。
ヴァルナさんだった。
何かを知っているのか?
それとも、わたしの様子がおかしいことに気付いたのかは分からないけれど、いつの間にか後ろで支えてくれていたらしい。
そのことにホッとした。
「ヴェルドロフ=バルダ=ローダンセ王子殿下。ご覧の通り、私の連れは体調が悪いようです。侍女殿に支えられなければ、立っていられないほどのようですが、それでも、殿下は私事を優先せよと言われますか?」
そんなわたしを見て、アーキスフィーロさまがそう言ってくれた。
第四王子殿下が何を考えているか分からないが、もう今日のお仕事は終わっている。
ここで帰っても国王陛下から咎められることはないだろう。
「シオリ嬢は具合が悪かったのか? それは申し訳ないことをしたな」
第四王子殿下は慌てたようにそう言った。
「それならば、早めに用件を終わらせよう。シヴィオン、兄上の話は後だ。こちらを優先させたい」
「承知しました」
先ほどから第四王子殿下と話していた黒い髪、黒い瞳の従者はシヴィオンさんというらしい。
第四王子殿下は兄王子の従者の名前まで覚えているのか。
まるで、わたしの専属侍女のようだ。
わたしももう少し、周囲の人の名前まで気にした方が良いだろうか?
でも、自己紹介をされてもいない人たちの名前って、どうやって覚えれば良いのだろう?
「シオリ嬢、具合の悪い時に無理をさせてすまない。やはり、この部屋は体調が悪くなってしまうようだな。話に聞いていたよりはずっと良いと思っていたのだが……」
第四王子殿下は周囲を見渡す。
「ああ、それは、アーキスフィーロ=アプスタ=ロットベルク殿が連れている従僕と侍女が先に入って、掃除をしてくれているからです」
「俺たちが先に入ろうとした時は、噂通り、酷かったからな~」
「まさに、怨念がおんねん」
第二王子殿下の檻を囲むように立っていた従者たちが口々にそう言った。
いや、最後のはどうなの?
そして、やはり、単純に大気魔気が濃いってだけではないらしい。
一体、ここに何があるのか?
「やはり、悪意ある思念が多いのか」
「そのようです。ですが! そこの『濃藍』の手にかかれば!! 悪霊なんて怖くない!!」
悪霊?
え?
そんなのがいたの?
わたしの侍女たちやセヴェロさんは毎回、悪霊退治をしていたってこと?
「『濃藍』……? まさか、城下で噂の……?」
第四王子殿下が、わたしの背後にいるヴァルナさんを見た。
「貴女が……」
あれ?
わたしを見ている時の顔ともまた違う気がする。
「これは、お美しい」
……ああ、うん。
わたしの侍女は二人とも美人さんだからね。
だが、それでも存在を希薄にする眼鏡をかけているせいか、あまり目立たないらしい。
そんな環境にあったために、男性からこんな反応は初めて見たし、ちょっと複雑な気分になってしまう。
ヴァルナさんから不穏な気配が漂ってきているせいかもしれない。
まあ、中身は男性だ。
恋愛は異性が良いと言っていたヴァルナさんからすれば、同性から褒められても、あまり嬉しくはないだろう。
「いや、噂を聞いた限り、どんな女傑なのかと思っていたのだ。まさか、こんな小さく愛らしい女性だったとは……。噂とはあてにならないものだな」
いや、ヴァルナさんは確かに通常よりは小さくなっておりますが、それでも、わたしよりは少しだけ背が高いですよ?
「貴女とも話したいが、今はシオリ嬢との話を優先しよう。体調が悪い女性をいつまでも拘束はしておけぬ」
おや?
別にヴァルナさんとお話をしても良いのですよ?
邪魔するつもりはないから。
だけど、第四王子殿下はわたしをじっと見ながら言った。
「シオリ嬢に頼みがあるのだ」
そんな新たな導火線になりそうな言葉を。
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