恐ろしきモノ
いつものように退室の合図が聞こえた。
その音で、もうそんな時間だと気付く。
この部屋に来ることがあんなに嫌だったはずなのに、こんなにも時間を忘れて過ごせるようになったのはどんな魔法によるものなのか。
「ルーフィス嬢、時間のようです」
エメラルドグリーンの髪色をした女性に声をかける。
「承知しました」
その女性は少しだけ、こちらに目線を寄越すと……。
「一気に片付けます」
そう言って、周囲の男たちを弾き飛ばしてしまった。
先ほどの魔法は、風魔法に似ていたが、空間魔法のようにも見えた。
自分の周囲に結界のようなものを張って、一瞬で、それを膨張させたらしい。
あんな魔法の使い方もあるのだと感心する。
俺はまだまだ勉強が足りないようだ。
「は~、凄い」
黒髪の女性が頬に手を当てて、感心している。
彼女も初めて見たようだ。
『凄いですよね~』
「いや、何故、お前がそこにいる?」
いつの間にか、シオリ嬢の横に、当然の顔をした黒髪の男が座っている。
ちゃっかり椅子を準備している辺り、本当に腹立たしい。
俺がルーフィス嬢に声をかけるまでは、確かにあの集団にいたはずなのに。
『アーキスフィーロ様が声をかけたので、そろそろ、大きめの魔法が来ると思いまして、避難しました』
けろりとした声でそんなことを言う従僕。
だが、その口調ほど楽ではなかったようだ。
珍しく、疲労の色がある。
俺がどれだけ魔法を放っても、飄々とした顔を崩さないこの従僕でも、彼女の侍女との勝負は疲れるものだったらしい。
「お疲れ様です、ルーフィスさん」
「はい、疲れました」
笑みを浮かべて主人に応える侍女は、俺の従僕と異なり、疲労は見えない。
「仕留め損ねましたね?」
「そうですね。少々、狙い過ぎました」
『何の話ですか?』
お前の話だろう。
疲労の色を見せない侍女は、決定打を俺の従僕に与えることはできず、また、俺の従僕は、侍女を捉えることはできなかった。
だが、どうみても、従僕の負けだろう。
第二王子殿下の従者たちを率いて、指示を出して距離を詰めても、それを利用された上、まとめて返される。
俺の時もそうだった。
俺が魔法で足止めをしても、その魔法を利用されるのだ。
魔法は人間界のゲームのように味方に当たらないなんてことはない。
範囲が広ければどうしても当たってしまうから、それを考えて放たなければならないのだ。
これまで、連携など考えたこともなかった。
セヴェロは魔法を放っても勝手に避けてくれるが、第二王子殿下の従者たちにそこまで望めなかったことも理由の一つだろう。
思いっきり魔法を放つのは思っていた以上に難しいようだ。
「それでも、円から足が出ないのは流石だと思います」
「危なかったですけどね」
しかも、この侍女は、指定範囲から動いていない。
自分の両足を少し広げる程度の円を描き、そこから最後まで一歩も出なかった。
どんな訓練をすれば、そこまでのことができるのか?
そして、妹のヴァルナ嬢も同じことができるのだろうか?
できる気がする。
ルーフィス嬢の妹であるヴァルナ嬢は、短期間で「濃藍」と異名がつくほど城下では有名な魔獣退治屋となった。
その戦いぶりをまともに見たことはないが、セヴェロの話では、大きな武器を振るっていたというのだから、ルーフィス嬢と似た戦闘スタイルかもしれない。
「そこの方々と、その檻はどうしましょうか?」
第二王子殿下は檻の中で、まだ意識を飛ばしている。
そして、従者たちは先ほど、ルーフィス嬢によって意識を奪われた。
そのことがこの黒髪の女性は気になったらしい。
迷惑をかけられたのだから放っておけば良いのだ。
仕事が一息つけば、ゆっくりと過ごせるところだったのに、それも邪魔された。
ルーフィス嬢との模擬戦闘は心躍るものではあったが、自分の未熟さを次々と指摘されてしまうのは、やはり、嬉しくはない。
シオリ嬢はずっとニコニコして気にしていなかったようだが、見られているこちらとしては、凄く気にかかってしまうのだ。
第二王子殿下たちについては、俺が普通の貴族子息ならば、使用人たちを呼びつけて託すだけで良いのだろう。
だが、俺はこの城でも避けられている。
この部屋に俺がいるというのに、こんなに人が集まる機会など、これまでに一度もなかったことだった。
だから、どうして良いか分からない。
「本来は、帰る途中で誰かに言付ければ良いと存じますが、今回は一人だけ、起こしましょうか」
俺が迷っている間に、ルーフィス嬢がそう提案してくれる。
俺以上に、彼女は貴族らしい。
自分と誰かと比べることなんてないと思っていた。
それは恥ずべきことだから。
だが、今、俺は年齢も性別も違う相手と自分を比べている。
「どなたを起こしますか?」
「ケールス=ザダート=イースクリンニ様でしょうね。そちらの青い服の方です」
俺は第二王子殿下の従者たちの名前を知らない。
第二王子殿下は、毎回、同じ人間を連れているわけではないのだ。
すぐ近くにいる4人は固定らしいが、それ以外は入れ替わっている。
俺はいつも同じその4人すら覚えていない。
いや、第二王子殿下が俺に接近するようになったのも、三日前からだ。
話こそしたことはあったが、あのデビュタントボールまでは、一度も手紙を貰うことすらなかった。
つまり、シオリ嬢がいなければ、俺は第二王子殿下とここまで関わることはなかっただろう。
「分かりました。起こします」
「シオリ嬢が? いや、ここは俺が……」
意識を失っている相手とはいえ、あまり、男に近付けたくはない。
第二王子殿下の従者たちと話すのも初めてだったが、品があるとは言い難かった。
そんな男たちに……。
「『おはようございます』、ケールス様」
俺が迷っている間に、シオリ嬢が青い服の男に声を掛けると、意外なほどあっさりと目を開いた。
触れてもいない。
大きな声を出したわけでもない。
だが、青い服の男は、無言でゆっくりと身体を起こした後、周囲を見渡している。
ごく自然な目覚め方だった。
もしかしたら、無詠唱魔法か?
ルーフィス嬢もヴァルナ嬢も使えるようだが、シオリ嬢も使えるのか?
いや、俺が魔法をぶつけた時は、シオリ嬢もそれに対抗するために詠唱していた覚えがある。
だが、兄を眠らせた時は、無詠唱だった。
魔封石を兄に跳ね返して、その後に呪文詠唱らしいものはなかった気がする。
「ご、御令嬢? 私は一体……?」
青い服の男は確認する。
ヴィーシニャの精霊と言わなかっただけマシか。
シオリ嬢は人間界の桜にも、この国のヴィーシニャにも似ていると俺も思っていたが、あの第二王子殿下と感性が同じであることを認めたくはなかった。
「わたくしの侍女にふっ飛ばされて、意識を失っておりました。お加減はいかがでしょうか?」
「ふっ飛ばされて……? それで、頭が……」
頭を押さえつつ、状況を確認している。
だが、混乱はしているようだ。
無理もない。
飛ばされたのは本当に瞬間的だった。
それも、外から見ていたから分かっただけだ。
当事者であれば、何が起きたか理解できないままに、倒れていたことだろう。
「ケールス=ザダート=イースクリンニ様。私どもはそろそろ戻りたいと存じます。申し訳ございませんが、後のことをお願いしてもよろしいでしょうか?」
だが、その混乱している頭が整理し終わる前に、ルーフィス嬢は次の言葉を叩き込む。
しかも、笑顔で。
実に見事だった。
本来は、それを俺がしなければならないのに。
「あ? ああ、はい」
そして、青い服の男は、状況を把握しきる前に言質を取られてしまったのだ。
第二王子殿下が入ったまま、鉄球が衝突した状態で側面が壊れている檻。
今も倒れている同僚たち。
その後始末など、容易ではないだろうに。
起き抜けに顔の整った女性に声を掛けられた上に笑いかけられるなど、慣れていなければ現実とは思えないはずだ。
どんな理由で選定された男なのかは分からないが、気の毒だとしか言う以外ない。
だから……。
「ルーフィス嬢は、何故、あの男を起こそうとしたのかを伺ってもよろしいか?」
帰り際、そんな疑問を当然のように口にする。
特に意味がなければそれでも良かった。
だが、わざわざ名指しをしたのだ。
この聡明な女性が無意味なことをするとも思えない。
そして、意味があるならば、それを知っておきたいとも思った。
「いろいろありますが、低血圧であるために、起き抜けではすぐに行動に移せない点が一番大きいですね」
言われてみれば、自然な目覚めではあったが、その動きは緩慢だったことを思い出す。
つまり、後始末を押し付けるのに、都合が良かったと言うことだろう。
改めてゾッとした。
その手管についてではない。
俺が恐ろしいと思ったのは、そんなことまで知っている部分だ。
従者の名前だけならば、調べれば分かるだろう。
だが、体質的なものまでそう簡単に分かるはずがない。
特に、弱点のような部分ならば尚更だ。
自分の侍女の恐ろしさに、シオリ嬢は気付いているのだろうか?
そして、同時に、この国で起きたことも、全て知られているのではないか?
そんな不安も襲ってくる。
あの出来事は、国がその全てを覆い隠すことにした。
誰にも知らぬようにひっそりと闇に葬り去ったのだ。
そのために、その当事者であっても、その全容を知ることが許されなかった。
自分が知るのはその一端だけである。
それなのに、気が付けば、数少ない大事な物を全て失っていたのだ。
そんな許されざるこの国の闇を。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




