側面
改めて、この娘が欲しいと思った。
だが、どんなに手を伸ばしても、娘はその手を見ることすらしない。
「王子殿下は庶民であるわたしを正式な王子妃にすることはできないでしょう? でも、アーキスフィーロさまは正妻にしてくれることができるのです」
だから、その言葉を意外に思った。
上昇志向、権力志向があるような娘には見えなかったから。
「王族の方が何かとそなたを護れるぞ?」
「わたしが必要としているのは、より強い権力ではなく、国の縛り……、いえ、結びつきですね」
「国の結びつきならば、王族の方が強かろう?」
わけが分からない。
普通に考えれば、王族の手を取るのが最善だ。
特に、どんな罪を着せられているのかは分からないが、この娘が中心国の王族から追われていることを知った。
それならば、匿うものは大きい方が良いのではないか?
「友人ならば友情が、寵姫ならばその寵愛がなくなれば、庇ってもらえなくなるでしょう? でも、正妻ならば、互いに愛がなくても外から簡単には手が出せなくなります」
そうはっきりと告げる少女の顔は酷く大人びていて、この娘がそれなりに人生経験を積んでいることを理解する。
「ならば、俺が王族から抜ければ……」
口にして、その言葉が魅力的なものに思えた。
もともと王子という立場は煩わしいものだ。
兄弟間で争うのも嫌だった。
この国は、兄上が背負えば良い。
そうすれば、俺は……。
「そこまでわたくしを買ってくださる理由は分かりかねますが、それでは前提が崩れてしまいますよ?」
娘は笑った。
これまで、怯えるような顔しか見せなかったのに、この鉄格子で隔てれば、俺にも笑ってくれるらしい。
「前提?」
「わたくしは、貴族の庇護を受けたいのです。第二王子殿下が王族から抜けたら、市井に下りるしかなくなるでしょう?」
「あ……」
そういうことか。
それでは確かに意味がない。
自分の意思で王族を抜ければ、貴族籍も与えられないのだ。
だが、それを自分よりもずっと年下であろう、この娘に指摘されてしまったことが酷く恥ずかしかった。
あの侍女のことも気になるが、この娘はもっと気になる。
黒い髪、黒い瞳。
幼さを残すその顔も身体も実に好みだ。
だが、それ以上に、落ち着いた会話の端々から、伝わってくる教養。
そして、その振る舞い。
恐らくは、セントポーリアの貴族令嬢なのだろう。
それも、セントポーリアの王子が執着し、世界中を探してでも捕まえたくなるほどの娘だ。
日本神話を知っていたことからも、人間界へ行けるほどの立場にあることも分かった。
これが何よりも大きい。
それならば、セントポーリア国王陛下に直接打診すれば、俺が王族から抜けることなく、この娘を自分のモノにすることもできるかもしれない。
そんなことを夢想する。
だが、娘はそれすらも打ち砕く。
「それに、わたくし自身が、アーキスフィーロさまにお会いして、あの方を支えたいとも思いました」
その言葉に頭を殴られたような気分になる。
やはり、顔か?
男はやっぱり顔なのか?
それとも、あのアホみたいに強大な魔力か?
「あの方は優しすぎて、貴族として生きることが難しそうですよね」
その視線の先には黒公子がいる。
そのヤツを見つめる穏やかな表情を、少しでもこちらにも向けて欲しいと思った。
「そうだな。だから、そなたを守れない」
我ながら嫌な言い方をしていると思う。
だが、このまま、あの黒公子にこの娘を渡したくはなかった。
優しいだけの男にこの娘を守れるとは到底思えない。
「そうでしょうか? カルセオラリアの王族の血を引き、この国の貴族子息でもある方です。真っ当な神経を持っていれば、どの国でも不当な扱いをされることはありません。その縁者となれば、他国の人間も手を出すことは躊躇うでしょう」
娘の言葉は、この国にいる人間たちは真っ当な神経を持っておらず、あの黒公子を不当に扱っていると糾弾している気がした。
だが、それは事実だ。
気付けば、あの黒公子はこの国の人間たちから忌み嫌われていた。
そのきっかけなど思い出せないから、特に理由はないのだろう。
国王陛下はかなり気に入っておられるようだが、そのことが、他の貴族たちにとっては余計に気に食わない要素となっている。
「だが、あの男には傷がある」
「傷……、ですか?」
「宰相の娘より婚約破棄された。これは貴族として大きな傷だ」
どうして、こんなことしか言えないのだろう。
この娘が明らかにあの黒公子に好意を持っていて、自分にはその一欠片も向けられない。
だからといって、ここで、黒公子を貶めたところで、自分の小ささを思い知らされるだけなのに。
「婚約破棄、解消はそれぞれの事情があるため、なんとも言えませんが、それを傷と思うのは何故でしょうか?」
心底不思議そうな顔で、黒髪の娘は俺に問い返した。
「何らかの瑕疵がなければ、婚約破棄など、女の方からされまい? それでなくとも、黒……、アーキスフィーロは、精神的に脆く、簡単に魔力の暴走を引き起こす。傍にいれば、そなたにも害があるぞ」
「……そうですか」
俺の心が通じたのか。
娘は少し悲し気な顔をして、アーキスフィーロの方を見る。
ここでさらに押すべきか?
そう思ったが……。
「本当に、かっこいい人だなぁ」
ポツリと呟かれた言葉に、動きが止まる。
先ほどまでと違う口調。
だが、かっこいい?
アーキスフィーロが?
やはりこの娘もあの顔が良い、と?
だが、よく見ると、その視線の行く先が、少しだけズレている気がした。
同じ方向には、薄い若緑色の髪をした女性の姿があった。
その女性は先ほどから、同じ場所から一歩も動いていない。
俺に仕えているヤツらが、あらゆる方向から飛び掛かっても、あのアーキスフィーロが魔法を放っても、その両足は動くことなく、固定されているかのように、床に張り付いている。
ま、まさか?
この娘の恋愛対象は男ではない?
だが、それならば納得できることも多い。
セントポーリアの王子から逃げていることも、俺の手を取らないことも。
女が好きならば当然だろう。
なんてことだ。
この娘は男の良さを知らないのだ。
力強さも、逞しさも、雄々しさも、猛々しさも、溢れる生命力も、迸る熱い情念も、内から湧き起こる本能的な快楽も。
一過性のものならば良い。
女は同性に憧れる時期があると聞く。
だが、その思い込みがずっと続けば?
それは、この娘にとって不幸しか生まれない。
女は女に嫁げないのだから。
「ヴィーシニャの精霊!!」
「はい?」
何も知らない無垢な黒い瞳が、俺に向けられる。
そこにあるのは戸惑いだった。
だが、安心して良い。
そなたは俺が救ってやる。
「俺は!!」
そう言って、目の前にある鉄格子を強く掴んだ時だった。
この程度の物なら、俺の力で簡単に圧し折れるだろう。
だが、力を込める前に、音もなく、視界が黒く染まった。
何が起こったか分からない。
だが、俺が最後に見たのは、焦ったようなヴィーシニャの精霊の横顔。
ああ、そっちではない。
こっちを向け。
その方向は、そなたを不幸にする人間しかいない。
そう告げたかったが、それは適わなかった。
****
「鉄球が、飛んだ!?」
「あ~、またゼルノスグラム王子殿下が、あの娘に迫ったんすね~。懲りない人だ」
「……っつ~か、俺たちを相手にしながらもよく見えてますね」
従者たちが口々にそう言う。
その時点で、思ったよりも、第二王子殿下は人望があるわけではないようだ。
俺と第二王子殿下の従者たちは、ルーフィス嬢に指導してもらっていた。
その指導は的確で、従者たちについていた癖とか、俺の魔法に対する集中力とかを指摘していく。
彼女自身は先ほどからずっと星球式鎚矛を振るっていた。
長柄武器で、しかも、大きく重量があるというのに、片手で細い枝を振り回すかのように軽く素早く扱っている。
従者たちが懐に入ろうにもそれを許さない。
俺の魔法が当たらないことは分かっていたが、ここまで話にならないとも思っていなかった。
だが、一番、驚くべき点は、彼女が、第二王子殿下の従者たちの名前を全て覚えている所だっただろう。
8人もいる。
それも初対面のはずだ。
それなのに、ルーフィス嬢は一人もその名を違えることがなかった。
そして、先ほど。
その長柄武器の先端についていた棘付きの鉄球が外れて、第二王子殿下を捉えていた檻の側面に突き刺さったのだ。
目の前で起きたにも関わらず、何が起きたかも分からなかった。
だが……。
「栞様!!」
そう言って、床に描かれている円からルーフィス嬢が飛び出した時、俺たちも状況を察した。
いつの間にか気が付いていたあの第二王子殿下が性懲りもなく、シオリ嬢に迫ったということに。
そして、それに気付いたルーフィス嬢が、シオリ嬢を守ったことに。
俺は、視野が狭い。
あの第二王子殿下が意識を取り戻していたことも、シオリ嬢に迫ったことにも気付かなかった。
そのことが、酷く、悔しかったのだった。
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