選ぶ理由
「ヴィーシニャの精霊!!」
いきなり、叫ばれた。
しかも、起き様に。
自分の名前ではなくても、自分のことだと分かっているから複雑だった。
だが、無視はできない。
相手は王族なのだ。
「お目覚めですか? 第二王子殿下」
一応、声をかける。
「おおっ!? ここは常世の国か!?」
「いいえ、契約の間です」
いきなり、聖霊界に行かないでください。
「そして、そなたは、木花之佐久夜毘売命か!!」
「日本神話の美しい女神と一緒にしないでください」
そして、木花開耶姫は安産と子育ての神だったはずだ。
未婚女性に言うのは失礼ではなかろうか?
美人さんって言ってくれているのは分かるけど、かなり複雑である。
「何を言う。日本の霊山たる富士の山に祀られた木花之佐久夜毘売命は、桜の語源としても有名ではないか。美しきヴィーシニャの精霊たるそなたに相応しい女神であろう?」
……そっちも知っているけど。
ああ、適当に言ったわけではないのか。
「そうなると、俺は、夫である瓊瓊杵尊だな」
なんでやねん。
だが、そう言うなら、わたしにも考えがある。
「なるほど。木花開耶姫とともに一緒に嫁いできた石長比売を追い返し、永遠の命を失った上、一晩で身籠った木花開耶姫に『自分の子ではない』と言い放った天孫でいらっしゃいますね?」
わたしがそう口にすると、第二王子殿下は目を見開いた。
瓊瓊杵尊は確かに初代天皇とも言われている神武天皇の曾祖父らしいのだけど、残されている古事記でも日本書紀でも「夫としては酷い男」の印象しかない。
父親からの押し付けのような石長比売のことはともかく、一晩だって身籠る時は身籠ると思うのですよ?
「ヴィ、ヴィーシニャの精霊……」
第二王子殿下は立ち上がり、よろよろと、目の前の銀色の棒を掴んだ。
「そなたは古典……、いや、日本神話を嗜むのか?」
「日本神話もギリシャ神話も現代語訳されたものを簡単に読んだだけの知識しかございません」
流石に原文で読む気などなれない。
今なら、ギリシャ神話は読めてしまう気がするけど、当時のわたしは中学生以下のお嬢さんだったのだから。
そして、日本神話……、古事記や日本書紀は多分、一生、原文で読める気がしない。
「つ、つまり『みとのまぐわひ』なんかも知っていたりするのか?」
「……セクハラですか?」
第二王子殿下が口にしたのは、神話にはつきものの、子作りの話だ。
有り体に言ってしまうと、性行為の話である。
特に日本神話は国造りの話でもあるから、そういった描写が多いのは仕方がないことだろう。
でも、それを知っているか? ……と、問われるなら、セクハラと言って差支えはないと思う。
「はっ!? 確かに!! これでは、卑猥な英単語を目当ての女子生徒に訳させて反応を見ようとする中学生男子たちと何ら、変わりがなかった!!」
自覚がなかったらしい。
そして同時に、わたしの周囲にはそんな変態的な思考を持つ男子生徒がいなくて良かったと思う。
「許してくれ、ヴィーシニャの精霊よ。俺はそんなつもりはなかったのだ。ただ、日本神話の美しさ、奥深さを知る人間にはこれまで会ったことがなかった。それで、つい……」
第二王子殿下は金属の棒を握りしめながらうなだれる。
いや、「つい」で、セクハラされるなんて、ほとんどの女性は嫌がると思うのですよ?
まあ、知らなければ通じない話である。
でも、「まぐわひ」の時点で、文系ならば古典が好きではなくても、ほとんど意味が分かってしまうとは思うけどね。
「ところで、ヴィーシニャの精霊よ。この……、そなたと俺との間にある、鉄格子はなんなのだ? 先ほどから邪魔で仕方がないのだが……」
第二王子殿下は金属製の棒……、改め、金属でできた格子を掴みながら、尋ねてきた。
それは、最初に尋ねるべきことではないだろうか?
「わたくしの侍女が言うには、魔獣を捕らえる檻だそうです」
「魔獣だと!?」
「何回言っても伝わらないのは、王族であっても、獣も同然だとか」
ルーフィスさんは容赦ない。
さらに言うならば……。
「あちらにおられる従者の方々に許可を取った上での行動です」
「アイツら……」
わたしの顔を向けた方向に、第二王子殿下の背後にいた8人の従者たちがいた。
その従者たちは、ルーフィスさんから動きの指導を受けている。
その中にアーキスフィーロさまもいて、8人と連携をとって、ルーフィスさんを攻略中らしい。
セヴェロさんは離れた場所で楽しそうにそれを見ている。
本日の仕事が落ち着いた後、魔力枯渇の状態から回復した従者の一人が、ルーフィスさんに指導を願ったことからそれは始まった。
自分の動きが未熟だから、見て欲しい、と。
顔を真っ赤にしながら。
ルーフィスさんはそれを了承した。
そしたら、他の回復した従者たちから我も、我もとなり、気付いたら、また8対1となっていたのだ。
最初と違い、そこには邪な気持ちがなくなっていた。
従者たちの表情はいずれも真剣そのものだ。
それでもルーフィスさんは捕らえられない。
そうしているうちに、セヴェロさんがアーキスフィーロさまに混ざるよう、促したのだ。
暇ならば、少し、身体を動かせ、と。
その結果、アーキスフィーロさまを中心としたフォーメーションのような形となり、今に至るというわけである。
「何故だ? アーキスフィーロも……?」
「アーキスフィーロさまの魔法ならば、あの侍女の動きを一瞬だけ止めることができるからでしょう」
尤も、一瞬だけだ。
アーキスフィーロさまは魔力が強いため油断はできないようだが、呪文詠唱型の魔法使いなので、威力はともかく、発動に時間がかかる。
だから、9人が同時にかかっても、ルーフィスさんは揺らがない。
床に縁を描いて、そこから出ないというとびきりのハンデ戦でも問題なく、あしらっている。
「あのアーキスフィーロでも、一瞬しか止まらない……だと?」
「カルセオラリアの王族から遣わされた侍女なので、侍女としても護衛としても、実力は折り紙付きですよ」
正しくは、セントポーリア国王陛下からだと知ったら、この王子さまはどんな反応を見せるだろうか?
「一体、何者なのだ? ただの侍女ではあるまい?」
「分かりません。あの侍女に関しては、トルクスタン王子殿下にお尋ねください」
そして、トルクスタン王子もその全ては知らないとも思っている。
本当にわたしの侍女は何者なのだろうか?
出自は知っている。
でも、それだけが全てではない。
なんで、わたしを助けてくれているのか?
その本当の理由すら知らないのだけど……。
「それでも、いろいろな場面で何度も助けられております。味方が少ないわたくしにとってはそれだけで十分、ありがたい話でしょう」
この国で、たった一人で戦わないといけなくなる可能性もあった。
それでも、彼らは自分の姿を偽ってまで、わたしの側にいてくれる道を選んだ。
「俺も味方になるぞ?」
「あの侍女はわたくしに命を預けると言ってくれるのです」
そして、実際、身体を張って、わたしを護ってくれたこともある。
それを疑うことなんてできない。
あの人は、一度、わたしの我儘のために死にかけているのだ。
それでも、恩を着せるようなことも言わず、黙って微笑んでくれる。
「それが芝居と言うことも……」
「実際、第二王子殿下も体感されたでしょう? 普通なら、許可があっても、王族に対して武器を向けるなんて躊躇うはずです」
嫌な言葉が続きそうな気がしたので、その言葉を遮る。
何も知らない人間が、わたしとあの人たちのことを勝手に語って欲しくない。
「それに、芝居だとしたら、彼女を紹介してくれた、トルクスタン王子を信じ込んだわたしが悪いということですね」
あなたの不用意な言葉が、他国の王族批判に繋がることを理解していますか?
そう言いたいのを我慢して。
「だ、だが、アーキスフィーロではそなたを守れまい。俺なら、セントポーリアの王子からもそなたを守れる」
なるほど。
あの手配書がわたしのことだって気付いていたのか。
そして、アーキスフィーロさまの側にいる理由も。
そう考えると、わたしの名は知っているらしい。
だが、無理だ。
少なくとも、この国の王族ではわたしを庇うことはできないだろう。
「少し話しただけでも、そなたが可憐なだけでなく、聡明で、意思が強い少女だということは分かる。だから……」
「この国の王族では、わたしを護ることができません。そう判断したから、トルクスタン王子もアーキスフィーロさまをご紹介くださったのだと思っております」
何度も、この王子殿下の言葉を遮って申し訳ない。
本来なら礼儀知らずな行いだ。
だが、この王子殿下は許してくださるだろう。
それぐらいは甘えさせて欲しい。
こちらは、それだけ不快な思いを我慢しているのだから!!
「何故だ? アーキスフィーロには何の力もない」
「この国の貴族子息に匿われているというだけで十分なのです」
この王子殿下は知らないようだけど、婚約者候補なのだ。
それは、いざとなれば、婚約を結ぶことができる距離にあるということである。
「それは、第二王子である俺よりも?」
「はい」
それは当然だろう。
何故なら……。
「王子殿下は庶民であるわたしを正式な王子妃にすることはできないでしょう? でも、アーキスフィーロさまは正妻にしてくれることができるのです」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




