侍女との信頼関係
先ほどから、シオリ嬢の様子がおかしい。
いつもはニコニコしながら、俺とセヴェロの雑談を見ていることが多いのに、今の彼女はちょっとだけ違う気がした。
俺の話し相手がルーフィス嬢だったから?
いや、違う。
そんな感じではない。
明らかに変化したのは、人間界の話をしてからだ。
それも別の中学に通っていた男の名前を出してから、シオリ嬢は表情だけでなく、珍しく、その体内魔気まで変化させた。
彼女の体内魔気の制御はこれまで完璧だった。
だけど、明らかにその時の体内魔気は感情のまま揺れていたと思う。
―――― 来島創
俺が彼のことについて知っているのは、中央中学に通っていたこと。
俺たちと同じ学年で、弓道部に所属していたために、大会でよく顔を見かけていたこと。
それぐらいだった。
話しかけたことはない。
中学の弓道部人口はかなり少ないが、もともと、俺は社交的な人間ではなかったから。
他の部員とは話していたかもしれないが、その来島も必要以上の馴れ合いを好んでいなかったように見えた。
他校の生徒。
他の部活。
だから、彼女との接点はないはずだ。
それでも、あれだけ感情が揺れたということは、過去に何かあったのかもしれない。
そう言えば、あの来島はよくいろいろな女子生徒を連れているという噂を聞いたことがある。
あまり他人に興味がない自分の耳にも届くような話だ。
人の噂には根拠のない憶測や、悪い意味での願望も珍しくないが、彼の場合はどうだったのだろうか?
もしかしたら、シオリ嬢とも過去に関係が……?
そう想像しただけで、胸の奥がざわつく。
駄目だ。
我慢しろ。
セヴェロも言っていたではないか。
―――― シオリ様は間違いなく、生娘だ
―――― 誰の手垢も付いちゃいない
余計な言葉まで思い出してしまった。
だが、その時点で、シオリ嬢は、まだ誰とも深い関係には至っていないのだ。
そのことに少しだけ安堵した。
安堵?
何故だろう?
「ヴィーシニャの精霊!!」
また来た。
ルーフィス嬢の予言通りだ。
ルーフィス嬢が相手をしてくれると言っていたが、俺にさせてもらえないだろうか?
今なら、魔力が高まっている。
いつもよりも大きくて強い魔法が何発でも撃てる気がした。
「その薄緑の髪をしたそこの眼鏡の侍女と勝負させてくれ!!」
ルーフィス嬢をそう表現する人間も少ないだろう。
恐らく事前にあった「緑髪」という単語に引き摺られているのかもしれない。
だが、現実には「濃藍」と呼ばれる女性の姉だ。
ルーフィス嬢まで魔獣狩りに出かけていたら、同じように噂をされていただろう。
トルクスタン王子殿下は本当に部下に恵まれていると思う。
「ルーフィス、任せて良い?」
「勿論です、栞様」
シオリ嬢は、基本的にルーフィス嬢のことを「ルーフィスさん」と呼び、丁寧語で接している。
これは、トルクスタン王子殿下から紹介された侍女であることが一因だろう。
恐らくルーフィス嬢も、ヴァルナ嬢も、「庶民」と言っているが、カルセオラリアの王城貴族である可能性も高い。
彼女たちは、明らかにその所作が庶民からかけ離れているのだ。
そんな相手でも、シオリ嬢は今回のように、俺たち以外の人間の前では、「ルーフィス」と呼び捨て、丁寧語もなくなる。
シオリ嬢自身、誰かに命令し慣れていると思った。
それだけ、自然な流れで相手に願うのだ。
恐らく、国ではそれだけの立場にあったのだろう。
それが、セントポーリアのダルエスラーム王子殿下によって、国から離れることを余儀なくされ、三年以上も他国を巡り歩いていると聞いている。
そんな境遇にあるのに、明るさと清らかさを保っているのは素晴らしいの一言だ。
あまりの理不尽さに、国や王族、人を恨んでもおかしくないのに。
ふと、目の前の黒髪の女性を見た。
ルーフィス嬢から渡された図鑑の写真を熱心に模写している。
横で、セヴェロがルーフィス嬢の動きを実況し始めたにも関わらず、顔を上げようともしない。
身体強化をしているのだろう、恐ろしい速度で、写真は映しとられていく。
その速度もさることながら、正確さに恐れ入る限りだ。
これは身体強化ではなく、本人の実力だろう。
―――― アキ、この絵の色は、我が国の色に似てないかい?
そう声をかけたのは、第五王子殿下だった。
あの絵に描かれた青色に、最初、気付いたのは俺ではなく、王子殿下だったのだ。
―――― 不純物の少ない青玉のように綺麗な青だ
たかが絵の色に大袈裟だと思った。
人間が作り出す色だとも。
だが、しっかりと目を向けてみて、驚いたのだ。
そして、その絵を描いた女子生徒に興味を覚えた。
きっかけは確か、そんなこと。
俺たちとは別の小学校から入学したという、黒く長い髪と平均より低い身長が印象的な少女の存在をその時に初めて知った。
一年生の時、彼女と同じクラスになったマリアンヌが、何故か、妙に気に入っていたこともあるだろう。
時々、彼女の話を聞く機会も増えた。
あんな絵を描くのだから、美術部かと思えば違った。
何故か、女子ソフトボール部。
あんなに小さいのに、重そうなバットを振れるのだろうか?
逆に振り回されないか?
自分に向かってくるボールは怖くないのだろうか?
あんなに小さくてか弱そうなのに。
そして、二年生で初めて同じクラスになった。
その時にあった一年生に対する部活動紹介。
それまで、普通の少女だった彼女は、少しだけ、その印象を変えた。
同じ部活の生徒会長が投げたボールをその場に落として止める技術。
あんな狭い壇上の上でやるものではないと、野球やソフトボールを知らない俺でも分かるようなことを二人は強行したのだ。
本当は軽く放る予定だったから学校側も許可したのに、投手を務めた生徒会長が土壇場で変えたと後から聞かされて、思わず、苦笑してしまった。
生徒会長……、後に魔法国家アリッサムの第三王女殿下だったと知ることになるあの女性は信じていたのだ。
あの小柄な少女なら、なんなく、大役をこなすだろう、と。
その目は確かだった。
野球部の連中が、「アレならキャッチャー要らなくないか? 」、「捕手要らずだな」と会話していた。
それを聞いた他のヤツらが、彼女のことを「捕手要らずの小さい女子」と呼ぶまでにそう時間はかからなかった。
気付けば、「捕手要らず」だけになっていたが。
目立つ少女ではない。
でも、目立たないかと言われたら、意外にもそうではない不思議な少女。
際立って優れた才能があるようには見えないのに、気が付けば、視界に入ってくる。
そう思ったのは俺だけではなかったようで、第五王子殿下の従者の一人が彼女に声をかけようとして、周囲の鉄壁の防御に泣いたらしい。
後に演劇部の部長を務める同級生の女子生徒が常に彼女の傍にいて、一学年下に彼女を崇拝するような後輩もいて、さらには、一学年上の生徒会長も彼女を気に掛けている。
本当に隙がなかったようだ。
その一学年下の後輩が、彼女に付き纏い過ぎて問題化した時も、平然としていた。
まるで歯牙にもかけないかのように。
今にして思えば、その姿は、実に高位の貴族らしい。
庶民が何をしようとも、自分には関係がないのだ。
害を害とも思っていない大物さも貴族令嬢と言えばそうなのだろう。
―――― 隙も苦労も他人に見せないところがアキによく似ているよ
―――― 他人に甘え方を知らないところとかもね
マリアンヌが笑いながらそう言っていた。
『いや~、ルーフィス嬢。見事に振り回していますね~。全部、寸止め。ボクが数えられる範囲で、今ので37回、いや、38回目になった……ですね。後、何回遊ぶつもりでしょうか?』
セヴェロの呑気な声で、思考から現実に戻される。
『アーキスフィーロ様、見てくださいよ。第二王子殿下だけでは足りず、他の従者たちも混ざり始めても、ルーフィス嬢の動きを止める人がいません。相当、多対一に慣れていますね』
「お前は仕事をしろ」
『考え事をしていて、手を止めているアーキスフィーロ様には言われたくありません』
だが、セヴェロの言う通り、ルーフィス嬢の動きは恐ろしいものがあった。
男たちに囲まれても、臆することなく、手にした星球式鎚矛で牽制しつつ懐に入らせない。
先ほどから、第二王子殿下の従者たちが魔法を放って動きを止めようとしている気配もあるが、その全てをいなしている。
まあ、普段から従者たちが連携の動きを練習していないため、動きがちぐはぐとなっている所を上手く突いているようだが。
魔獣退治で評判となっているヴァルナ嬢も強いが、その姉であるルーフィス嬢も引けを取らない。
セヴェロが笑って見ているわけだ。
本来なら、一方的な展開になるはずなのに、その結果は真逆なのだから。
しかも打ち倒せるタイミングで倒さずに寸止めで相手の動きを止めている。
倒した方が、相手は体勢を整えるまでに時間がかかるのに、それをしない。
わざとバランスを崩させたり、それを利用して共倒れにさせたりしているが、これまで一度も当てていない。
ここまで、違うものなのか。
他国と我が国の実力は。
『シオリ様は見ないのですか?』
仕事中のシオリ嬢に声をかけるな。
これだけ集中しているのに邪魔するな。
そんな俺の心の声が聞こえているはずなのに、セヴェロは平然と声をかけた。
シオリ嬢は手を止めて……。
「ルーフィスなら心配いりませんよ」
そう微笑んで、また作業に戻る。
そこにあるのは絶対的な信頼。
揺らがない信用。
それだけではなかった。
「それに、たまには遊ばせてあげないと……」
ポツリと呟かれた言葉。
たったそれだけなのに、彼女がどれだけ自分の侍女のことを気に掛けているのかが分かる気がしたのだった。
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