複雑な気分
「こんな感じでしょうか?」
一気に冷やされた頭から導き出された結論は、落ち着いた声となって口から吐き出された。
大丈夫だ。
まだ大丈夫だ。
そう自分に言い聞かせるように。
「はい?」
栞がきょとんとした声を出す。
その頬や耳からは赤みが一気に引いた。
「私は、悪女っぽく振舞えていましたか? 意外と、自分では分からないものですね」
そう言うことにしておけ。
先ほどのオレがとった行動に、それ以外の理由なんかない、と。
だが、栞は下を向いた後、顔を上げると……。
「必殺!!」
「は?」
「魔気の護り乱れ撃ち~!!」
叫び声と共に、久々に、栞は体内魔気の大量放出をオレに向かってお見舞いしてくれた。
幾つもの竜巻がオレに向かってくるのは本当に、久しぶりである。
一体、何が、栞の気に障ったのかが分からないが、先ほどのオレは揶揄い過ぎだと思われたらしい。
全部、本気なんだが。
だが、当然ながら、そんなことを言えるはずもない。
いつものように、オレに揶揄われただけ。
そう言うことにしておけ。
それ以外の理由は要らない。
それ以外の理由に気付いてはいけない。
このまま傍にいたいから。
「お前なら第二王子殿下を魔力制圧するのも楽勝だと思う」
竜巻に呑まれながらもそんな言葉を口にする。
まあ、ここのところ、ストレスもたまっていたようだから、体内魔気の意図的な放出も、ちょうど良かったということにしておこう。
栞はあまり自分から模擬戦闘を言い出さない。
割と魔法をぶっ放しても許されていた環境から、魔法をほとんど使わない日々に変わったのだ。
しかも、外出もほとんどしなくなった。
栞にしては、かなり我慢の日々だろう。
そうして、幾つもあった竜巻が消えた後……。
「でも、わたしは相手を傷つけることはできないんでしょう? 第二王子殿下の相手なんてできないよ」
栞はそんなことを問いかけてきた。
オレが苦し紛れに吐き出した言葉を聞いていたらしい。
あの轟音の中でよく聞こえたものだと感心する。
あれだけの魔力を放出しても、栞には疲れた様子が見られなかった。
オレでもその膨大な魔法力は恐ろしいと思わなくもない。
「身体を傷つけずに、相手の意識を奪うのはお得意でしょう?」
乱れた髪を手櫛で整えながらオレも確認する。
「得意というわけでは……。誘眠魔法もヴァルナさんに簡単に防がれてしまいますし」
オレは常に警戒しているからな。
だが、それとは違う話だ。
「いえ、魔法ではなく、栞様の『魔気の護り』は、本来、自分を護るためのもので、相手に対する攻撃ではないと言うことです」
そもそも本来、「魔気の護り」が、攻撃であるはずがない。
そうれなければ「護り」という言葉は使われないだろう。
迎撃……。
相手の魔法に反応してそれを打ち落とすことはある。
栞はどちらかと言えばそのタイプに近い。
まあ、先ほどの「魔気の護り乱れ撃ち」とやらは、明らかに攻撃の意思があるが。
乱れ撃ちって言っている割に、相手に向かって逃げ場なく隙間なく放っているんだよな、アレ。
「でも……」
「相手を傷つけない攻撃など、攻撃にはなりませんよ」
「それはヴァルナさんだから……」
その側面はある。
だが、相手がオレでなければ、栞はここまで体内魔気を放出する必要もないだろう。
並の人間なら、空気砲の一撃で終わっていることが多い。
栞の「魔気の護り」を食らって耐えられた人間は、身内を除けば、ストレリチア城下で暴れたあのクソガキぐらいだ。
そして、アイツは人間ですらなかった。
それだけ、普通の人間相手なら、高確率でその意識を奪っていることになる。
「栞様が無意識に放出する魔力には治癒効果があります。そのため、ふっ飛ばしても怪我をしないように癒されてしまうようですね」
それは、「ゆめの郷」で侵入者たちが栞に手を出そうとした時に気付いた。
寝ている時の「魔気の護り」。
ふっ飛ばされた衝撃で脳を揺らされたり、床や壁に打ち付けられても、大した怪我をしないのはそのためだ。
通常、あれだけの勢いでふっ飛ばされて何かに激突したら、身体強化でもしていない限り、この世界の人間でもそれなりの怪我を負うだろう。
それなのに、これまで栞の体内魔気にふっ飛ばされて怪我らしい怪我を負った人間がいないのだ。
意識を飛ばすだけ。
それがどんなに凄いことか。
だが、オレたちはふっ飛ばされた時、それなりに衝撃があるのだから、栞の体内魔気に慣れている身内には無意識に調整しているのだと思う。
……いや、普通、逆じゃねえか?
「つまり、ふっ飛ばし攻撃……。意味なし」
栞が困ったように呟いた。
まあ、その点については、オレもそう思わなくもない。
相手に傷を負わせた方が、心を折りやすくなるし、確実に動きに支障は出る。
ふっ飛ばされながら、癒されても、相手だって複雑な気分になるだけだろう。
分かりやすく強者の余裕だとしか思えない。
それに気付くようなヤツなら、栞に喧嘩を吹っ掛けようなど思わないとも思うが。
「それ以外に考えられるのは、栞様が無意識のうちに怪我をさせたくないと思っている可能性もありますね」
相手の能力を測って的確に体内魔気の塊をぶつける。
能力の計算ができているなら、その可能性もあるだろう。
かなり高度な技術と言える。
模擬戦闘を繰り返しても、魔法だけでオレに決定打を与えられない原因はこれだと思っている。
そうでなければ、王族である栞の攻撃を、オレが凌げるはずもない。
「えっと、つまり、第二王子殿下を魔法で倒そうとしても、手加減しちゃう可能性があるってことでしょうか?」
「そうですね。魔法に自信があれば、屈辱的なことでしょう」
王族だから多少なりとも自信はあるだろう。
だがな~。
一貴族の、それも子息でしかない相手から、たった一発だけで沈められたのだ。
しかも、栞やオレたちの体内魔気を試す時に放った魔法ですらない、基本魔法だった。
あれでは、王族だと胸を張れないだろう。
魔力が弱いと言われているカルセオラリアのトルクスタン王子でも、あんなに無様ではないはずだ。
それだけ、普段から魔法を使っている人間とそうでない人間の差は大きいのかもしれない。
あるいは、感応症の効果か。
トルクスタン王子は、幼い頃からアリッサム城に行っていたらしい。
その理由は知らないが、この世界で最も大気魔気の濃い場所に出入りしていたことは間違いないだろう。
そして、水尾さんと真央さんと交流していたとも聞いている。
感応症が働く条件としては、十分だろう。
オレが視たところ、トルクスタン王子の魔力は、この国の国王陛下以外の王族たちよりはずっと上だ。
それにどれだけの人間が気付いていることか。
「ヴァルナさんならばいかがですか? 第二王子殿下を叩きのめすことはできますよね?」
「楽勝ですね」
いくらなんでも、あの程度の王族に負けているようでは、この先、栞を護れるはずがないじゃないか。
「それならば、わたしが失敗した後、任せても良いですか?」
「失敗……ですか?」
「はい。悪女計画、実践してみようと思います」
栞はそう言いながら笑った。
だが、それを聞いたオレとしてはかなり複雑な心境となる。
つまり、あの第二王子を構うってことだよな?
そのやり方が上手くいっても、相手はもっと栞にのめり込む可能性がある。
このオレのように。
「大丈夫ですか?」
「ヴァルナさんがやり方と感覚を教えてくれたので、なんとかなるかな、と」
つまりは、オレのせいか!?
「それによっては、第二王子殿下は敵とするよりも、味方にできそうってことですよね?」
さらにそう続けられては反対できない。
栞の考えは間違いではないからだ。
あの様子だと、それなりのことを要求されそうな感じではあるが、栞の望みなら叶えようとする印象もあった。
「アーキスフィーロさまにはもっと味方がいた方が良いと思うのです」
少しだけ頬を染めながら、他の男のことを語る主人。
その表情が、いつか視た未来視と重なる。
―――― わたしは、あなたのことが……
その顔を、オレは複雑な気分で見つめることしかできないのだった。
この話で121章が終わります。
次話から第122章「国の違乱」です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




