そんな手は要らない
「この手を取れ。そうすれば、カルセオラリアの王子からも、黒……、アーキスフィーロからも、解放すると約束しよう」
第二王子がそんなことを言いながら、こちらに向かって手を伸ばす。
その行動は酷く怖い物知らずに思えた。
多分、当人は本当にわたしをナニかから救い出そうと思い込んで、その手を差し伸べているのだろうけれど、こっちはそんなことを一切望んでいないのだ。
寧ろ、余計なお世話というやつである。
トルクスタン王子はわたしを縛っているわけではないし、アーキスフィーロさまの側にはこちらからお願いしたような立場だ。
何も知らない外からの言葉なんて、邪魔なだけである。
しかも、この第二王子殿下。
今、アーキスフィーロさまのことを「黒公子」って呼びかけたよね?
それが許せなかった。
その「黒公子」っていうのは、なんとなく、こう異名的な感じがして嫌いではない響きではあるのだけど、侮蔑の意味で使われるなら話は別だ。
いくら王族でも、自国の貴族子息を貶めるようなことを口にして良いはずがない。
駄目だな~。
話せば話すほど、この王子殿下の評価がぐんぐん下がっていくのが分かる。
そろそろ黙ってもらって良いかな?
良いよね?
先に喧嘩を売ってきたのはそちらだ。
わたしに対する好意からくる行動だったとしても、相手の気持ちを考えない押し付けられた正義感など、迷惑行為と大差がない。
それなら、ここから出て行ってもらう方が良いよね?
不敬?
自国民を大事にできない王族のどこに敬う要素があるの?
―――― 行け!!
そんな聞こえるはずのない声が聞こえた気がした。
ずっとわたしを庇うように支えてくれている専属侍女は一切、口を開かない。
でも、それで十分だ。
わたしはいつだってこの腕に護られている!!
そう思えば、王族相手でも怖くない!!
「畏れながら、王子殿下。直答を許していただけますか?」
まずは確認してみる。
口を開く許可を得られなければ、何も言えないから。
「許す」
さらに、わたしに向かって手が伸ばされた。
いやいや、そんな手は要らない。
わたしが必要とするのは、今、支えてくれているこの二本の腕だけだ。
だけど、護られてばかりでは何もできない。
そして、今、わたしはこの場にいる人たちを守らなければいけないのだ。
支えてくれていた二本の腕から抜け出し、そのまま、お辞儀をした。
礼儀大事。
挨拶は基本。
それを見て、何故か、第二王子は目を丸くする。
もしかして、挨拶せずに、手を取るのが正解だった?
いやいや、どんな状況でも挨拶が大事。
相手が礼儀を守らないからと言って、同じ土俵に立つ必要はない。
だから、わたしは高みから見下ろす気分でいよう。
伊達に王族から仕込まれていないのだ。
「ご挨拶するのは初めてとなります、ゼルノスグラム=ヴライ=ローダンセ王子殿下。カルセオラリア第二王子トルクスタン殿下のご同行によりこの国に参りましたシオリと申します」
王族の名前だけは、なんとか頭に叩き込んだ。
だが、実は、この第二王子殿下が一番、ファーストネームに自信がない。
一番、文字数が多いのです!!
口にすれば、たった7文字なんだけど、海外の探偵小説の人物名がなかなか覚えられない身としては、そのたった7文字でも大変なんだよ!!
「ヴィーシニャの精霊よ。よくぞ、この国に参った。俺は歓迎するぞ」
まだわたしは「ヴィーシニャの精霊」らしい。
今、名前を口にしたのに。
どうも、この国の王族って人の話を聞かないマイペースな方が多いらしい。
先行き不安だね。
だが、知ったことではない。
何より、この第二王子殿下にあまり関わりたくもなかった。
改めて目を合わせても、その瞳に寒気がする。
「はい。国王陛下からも、そちらにいらっしゃるアーキスフィーロさまからも良くしていただいております」
ローダンセ国王陛下からは微妙ではあるが、悪い扱いは今のところ受けていない。
タヌキだけど。
アーキスフィーロさまからはずっと良くしてもらっている。
ただ昔、同級生だっただけの繋がりしかないわたしに対して、初日からあそこまで気を配って貰っていることは大変ありがたい。
まあ、トルクスタン王子が連れている人間を無碍にできないって意味もあるのだろうけど。
でも、少なくとも、この第二王子殿下からは良くしてもらったとは思っていないし、良くしてもらいたいとも思わない。
だから、嫌味を交えて、笑いながらそう答えたつもりだったのだが、第二王子殿下は何故か照れたように笑った。
あれ?
この方は、嫌味が通じない?
「それならば、この手を取ってくれ」
ああ、うん。
通じていない。
「何故でしょう?」
わたしがその手を取ると思っている理由が分からない。
そして、出会ったばかりのわたしに手を差し出している意味も、正直、理解できない。
あなたがわたしの何を知っていると言うのか?
「いつまでも、そこのロットベルク家で肩身の狭い思いをする必要はない。そなたの境遇をさらに良くすると約束しよう」
ロットベルク家の居候をやめて、城に居候をしろと?
肩身の狭さで言うと、城の方がもっと狭くなるんじゃないかな?
わたくし、庶民ですよ?
城で受け入れられると思う?
わたしの母のような仕事のできる女性ならともかく、この第二王子殿下はわたしの仕事もまだ見ていないよね?
第二王子殿下の背後の人たちも慌てている。
まさか、王子がそんなことを言い出すなんて予想外だったのだろう。
仮にも王族ならば、もっと自分の影響力というものを考えた方が良いと思う。
自分の発言、行動によって、周囲がどれだけそのフォローのために動かなければならないことか。
うん、反省はしている。
わたしも気を付けよう。
「身に余るお言葉、痛み入ります。ですが、わたくしは今の状況に満足しておりますので、心苦しい限りではございますが、ご辞退させてくださいませ」
そう言って、断りながら一礼する。
ここまでしっかり断れば流石に……。
「何故だ?」
え?
分からない?
「王子殿下は、初対面の自分に対して自己紹介どころか、挨拶もない方を信用できますか?」
第二王子殿下はまだわたしに名乗ってもいないのだ。
わたしがその名前を知っていただけである。
そして、第二王子殿下はずっとわたしのことを「ヴィーシニャの精霊」と呼んだままだ。
わたしは名乗ったのに。
相手のことを何一つ知ろうとしないし、相手に自分のことを一切伝えない状態で、どうしろというのか?
少なくとも、わたしは信用できない。
その点、ローダンセ国王陛下はしっかりしていた。
でびゅたんとぼーるの時、アーキスフィーロさまの相方であるわたしの名前まで知っていたのだから。
「相手の話を碌に聞かず、自分の主張、命令だけを押し付けてくる方に従えますか?」
王族だから当然なのかもしれないけど、少なくとも、わたしは嫌だ。
従うなら、話を聞いてくれる人の方が良い。
「相手のことを何も知らない状態で、その指示のままに動けますか?」
少なくとも、相手の正体ぐらいは知っておきたい。
その人が素人か、玄人かなんて、わたしには見ただけで分からないのだ。
「無礼な!!」
第二王子殿下の背後にいた人が、とうとう、我慢できずに叫んだ。
確かに先ほどからのわたしの言動は、王族相手には無礼かもしれない。
でも、第二王子殿下がしていることは非礼だ。
王族ならば、逆に最低限の礼儀は護るべきだろう。
何のための王族の教育なのか分からなくなってしまう。
わたしが庶民だから?
だが、国王陛下が誘致した客人でもある事実を忘れていませんか?
「待て」
だけど、第二王子殿下はその人に向かって、制止の声をかけた。
「確かにこの少女の言う通りだ。だから、このような可憐な少女に向かって品のない大声で威圧するな」
命令し慣れている声。
それは堂々たる王族の姿なのだけど、どうして、いちいち相手を落とすようなことを言うのかが分からない。
「我が従者の無礼を許してくれ、ヴィーシニャの精霊よ」
そして、そう頭を下げられても困る。
その人は、第二王子殿下のために叫んだのだと思う。
王族相手に不敬とも言える態度のわたしに対して、仕える主人を馬鹿にされていると腹を立てるのは当然のことだろう。
でも、それらが全く通じていないってことだよね?
周囲が「第二王子殿下!!」と叫ぶ。
ますます、困ってしまう。
「わたしなどに頭を下げてはなりません。頭を上げてください、第二王子殿下」
「嫌だ」
王族が人前でそんなに簡単に頭を下げたら駄目だと思うのに、第二王子殿下は頭を下げたままだった。
そんなことをさせてしまっているわたしにも、従者たちからの非難の目が集中している。
「ヴィーシニャの精霊が俺の手を取ると言ってくれるまでは、頭を上げない」
そんな「駄々っ子」のような困ったことを言う。
でも、安易に王族の権限を振るうよりはマシか。
そういうタイプではないようだ。
そして、相手から「諾」をもらうまでは、説得し続ける妙な根性もあるっぽい。
やり方は宜しくないけれど。
こんな風に相手が困るようなことを高貴な方がするのは、結局、脅しとなってしまうのだ。
背後にいる従者たちも、「素直に従え」という雰囲気を醸し出し始めている。
従者なら、こんな方法で相手を従えるのは止めるべきことじゃない?
さっきまでは諫めようとしてくれていたよね?
だから、わたしは……。
「承知しました。それならば、そのままでいらしてください」
そう言い切ったのだった。
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