伸ばされた手
「この手を取れ。そうすれば、カルセオラリアの王子からも、黒……、アーキスフィーロからも、解放すると約束しよう」
第二王子がそんなことを言いながら、こちらに向かって手を伸ばす。
その行動は酷く悍ましいものに見えた。
当人は善意と思い込んでその手を差し伸べているのだろうけれど、滲み出る傲慢さと優越感は隠しきれていない。
これは、典型的なこの世界の王族の姿だ。
変に助けない方が良かったのではないだろうか?
だが、オレが栞を抱き抱えて移動しなければ、あの精霊族がやっていただろう。
栞がうっかり、第二王子をふっ飛ばすことがないように。
どんなに魔力が強くても、魔気の護りで王族すらふっ飛ばしてしまうような人間はそう多くない。
寧ろ、捜す方が大変なのではないだろうか?
尤も、そんな攻撃的に見える魔気の護りを持つ人間自体少ない。
この辺り、栞は父親に似たのだろう。
さて、どうしたものか?
その当事者である栞は、オレに支えながらも悩んでいる。
つくづく、妙な男に目を付けられる女だ。
しかし、この第二王子が、あの港町でのことまで知っていたことは意外だった。
あの「音を聞く島」についての事後処理に、ローダンセ国王陛下の補佐をしていたのは第二王子だったと聞いている。
そこから、近くとは言え別大陸のことまで調べているのは無能ではない。
しかも、あの酒場は既に店主が交代しているというのに。
ふと栞の気配が変わった。
先ほどまであった困惑、混乱が消えていく。
どうやら、迷いがなくなったようだ。
それなら、オレが思うのはたった一つだ。
―――― 行け!!
何があってもフォローはしてやる。
最悪、全てを捨てて逃げても良い。
それぐらいの準備は既に済ませている。
だから、栞は好きなように動け。
「畏れながら、王子殿下。直答を許していただけますか?」
栞は、声を震わせることなく、そう言い切った。
気が弱そうに見えても、栞は、この辺り肝が据わっている。
「許す」
さらに伸ばされた手。
栞はオレから離れ、背を向けると、そのまま、差し出された手を取る素振りも見せず、淑女の礼をした。
まるで、その手が視界に入っていないかのように。
淑女の礼は、ワンピースの裾を両手で軽く握るため、この王子の手を取ることはできない。
それを見て、第二王子は目を丸くする。
素直に自分の手を取るより、挨拶を選んだことに驚いたようだ。
だが、普通に貴族子女としての教育を受けていたら、これが当然のことだろう。
目上の人間に対して、挨拶もなく、相手が言うままに行動するなど教育を受けた人間ではありえない。
それでも、驚いたのだから、この国の貴族の女たちは、挨拶よりも王族の要望最優先と教育されていると考えた方が良いのかもしれない。
だが、栞は他国の人間だ。
だから、そんな暗黙の了解よりも、国際的な決まりを優先することは、別に非礼に当たらない。
「ご挨拶するのは初めてとなります、ゼルノスグラム=ヴライ=ローダンセ王子殿下。カルセオラリア第二王子トルクスタン殿下のご同行によりこの国に参りましたシオリと申します」
口上を述べる口調が、いつもより早く感じる。
目上の人間に対して緊張している感じはないが、少しだけ逸っている印象があった。
もっと落ち着け。
「ヴィーシニャの精霊よ。よくぞ、この国に参った。俺は歓迎するぞ」
さらに第二王子はそう言った。
これは、ダメだ。
栞は、話を聞かない人間は、男女関係なく、嫌悪を示す。
多少なら良い。
だが、全く、自分の話を聞かない人間に対しては、これまで例外なく余所余所しい態度をとってきた。
要は、会話する人間を選ぶと言うことだろう。
尤も、そんな相手でも、聞く姿勢をとれば話を聞くようになるのだから、甘いと言わざるを得ないのだが。
「はい。国王陛下からも、そちらにいらっしゃるアーキスフィーロさまからも良くしていただいております」
栞は笑ったのだろう。
第二王子は少しだけ顔を赤らめて嬉しそうな顔をしやがった。
……ああ、これ。
栞は完全に好意を持たれている。
もともと気に入っていた相手だ。
それが、目の前で話しかけ、可愛らしい表情を自分だけに見せる。
それだけで、あっさりと陥落するほど年上の王族がチョロいとは思わないが、少なくとも先ほどよりも高い熱を伴ったことは分かる。
面倒なことになる気がしていたが、よりそれが深まったらしい。
「それならば、この手を取ってくれ」
「何故でしょう?」
「いつまでも、そこのロットベルク家で肩身の狭い思いをする必要はない。そなたの境遇をさらに良くすると約束しよう」
随分、突っ込んだことを言ったな。
それは、単純に交流を願うと言うよりも、城に迎え入れると言っているようなものだ。
その言葉には流石に、第二王子の背後にいるヤツらも動揺している。
この国の人間は総じて顔に出やすいらしい。
まあ、第二王子の従者だから、他国の要人たちとやり合う機会はなかったか。
寧ろ、公式的に高い身分を持たないはずなのに、他国の王族たちや高位の神官たちと交流する機会が多すぎる栞の環境が異常なのだ。
「身に余るお言葉、痛み入ります。ですが、わたくしは今の状況に満足しておりますので、心苦しい限りではございますが、ご辞退させてくださいませ」
そう言って、栞はまた裾を持って一礼する。
ここまでくれば、流石に鈍いヤツでも気付くだろう。
栞が第二王子の手を取りたくないと言っていることに。
態度でも、言葉でも、栞は明確に第二王子を拒絶したのだ。
それに気付いて、第二王子たちの背後も騒めく。
首を捻っていたヤツもいたが、横にいたヤツから説明されて、納得して、憤慨という時間差の反応を見せた。
「何故だ?」
「王子殿下は、初対面の自分に対して自己紹介どころか、挨拶もない方を信用できますか?」
正論だ。
確かに第二王子は栞に向かって、まともに自己紹介も挨拶もしていない。
百歩譲って、自己紹介は省略しても良いだろう。
一応、この国の王族なのである。
知らない方が恥と言えなくもない。
だが、挨拶がないのは論外だ。
しかも、初対面の挨拶もない。
そして、栞はちゃんとしていた。
この点に関しては、第二王子は非礼を咎められても仕方のないことをしている。
相手が庶民だと思ってなめているのか?
それとも、そんな判断ができないほど無能なのか?
そのことが、事前情報とは随分、違う気がした。
「相手の話を碌に聞かず、自分の主張、命令だけを押し付けてくる方に従えますか?」
栞は、第二王子の言葉が願いや要望ではなく、主張や命令の押し付けと言った。
だが、王族はそんなものだ。
こちらの立場など考慮してくれない。
それは望み過ぎだろう。
「相手のことを何も知らない状態で、その指示のままに動けますか?」
それも、状況によると思う。
その指示が場にあった的確なものなら、オレは従うだろう。
現場のことはそれに携わっている人間が一番、よく知っているはずだ。
素人がしゃしゃり出て、場を荒らすことは避けたい。
「無礼な!!」
第二王子の取り巻きの一人が叫んだ。
王族の従者としては当然の反応だ。
いちいち叫ぶ必要はないと思うが。
「待て」
だが、第二王子はそれを制す。
「確かにこの少女の言う通りだ。だから、このような可憐な少女に向かって品のない大声で威圧するな」
そう言いながら、鋭い目を叫んだ従者に向けた。
周囲が言葉を呑んだ辺り、こちらには届かなかったが、体内魔気で威圧したのだと思う。
それだけで、栞がかなり気に入られたことが分かる。
従者たちを気遣うよりも、目の前の女を手に入れたいってことだ。
「我が従者の無礼を許してくれ、ヴィーシニャの精霊よ」
さらにそう頭を下げる。
周囲が「第二王子殿下!!」と叫んだ。
栞も戸惑っている。
「わたしなどに頭を下げてはなりません。頭を上げてください、第二王子殿下」
「嫌だ」
思わず声をかけた栞に対して、拒否の言葉。
子供かよ、とも思うが、これは違うだろう。
本当に、幼い思考ならば、身分があっても、こんなに人間を引き連れることなどできない。
「ヴィーシニャの精霊が俺の手を取ると言ってくれるまでは、頭を上げない」
「…………」
一見、子供のような駆け引き。
それでも、お人好し、善人と言われるような相手にはそれなりに効果がある。
だが……。
「承知しました。それならば、そのままでいらしてください」
栞は容赦なく、言い切ったのだった。
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