ヴィーシニャの精霊
「第二王子殿下は、『花の宴』で出会った『ヴィーシニャ』の精霊に、もう一度、お会いしたいそうです」
アーキスフィーロさまがそんなことを言うものだから……。
「『ヴィーシニャ』の精霊なんているのですか?」
思わず、そんな言葉を返してしまった。
ヴィーシニャはこの国に自生している、八重桜に似た花だ。
白くて、見事な花だった。
人間界で見た桜を思い出して、気付かぬうちに涙をこぼしてしまったことを思い出す。
あれは恥ずかしかった。
「いいえ。第二王子殿下が会いたい『ヴィーシニャの精霊』とは、シオリ嬢のことです」
アーキスフィーロさまは困ったように眉を下げた。
いや、何の脈絡もなくそんな話をするとは思っていなかったから、知っている人のことだろうなとは思っていたけど、まさか、自分のことだったとは思わなかった。
しかし、魔界の桜の精霊?
わたしが?
第二王子殿下は眼鏡を掛ける必要があると思われる。
わたしのどこをどう見たら、精霊に見えるのでしょうか?
いや、その「花の宴」……舞踏会のわたしは、確かに白かったけど。
「第二王子殿下がそう名付けたくなるお気持ちも理解できます。あの日の貴女は、まさにヴィーシニャの如く、華やかでありながらも、可憐でした」
お貴族さまはごく自然に褒めなさる。
小さくて可愛いとはよく言われるが、華やかなど、わたしを表す形容動詞としては聞いたこともない。
ストレリチアにいた時は聞いたかもしれないけど、それは「聖女の卵」に対する言葉であって、高田栞のことではないのだ。
「しかし、先ほど第二王子殿下は、わたしに気付きもしませんでしたよ?」
少なくとも、会いたいと言ってくれるなら、その存在を無視するようなことはしないと思う。
「第二王子殿下は、一つのことに集中すると、周囲が見えなくなると聞いております」
それは、王族としてはどうなのか?
視野が狭いってことだよね?
『いやいや、アーキスフィーロ様。今のシオリ様と、あの日のシオリ様は、印象が全く違うせいだと思いますよ』
わたしが考え込んでいると、セヴェロさんが横からそんなことを言い出した。
印象が違う?
それは当然だろう。
化粧も髪も、着ている服も違う。
あの日のわたしは、初舞踏会のために着飾っていた。
つまりは、化粧は凄くて怖い!!
「そうか?」
『いや、そうか? ……って、アーキスフィーロ様の目は節穴か?』
セヴェロさんの口が悪くなった。
第二王子殿下やその従者たちがいなくなっていて良かったと思う。
尤も、そんな状況ではセヴェロさんは話しかけてこないだろう。
ヴァルナさんと一緒に気配を消していたから。
そして、そのヴァルナさんは今も気配を消している。
よくそこまで気配を消せるものだと感心するよ。
存在が薄くなる眼鏡をかけているとは言っても、それだけでここまで気配がなくなるはずがない。
これはヴァルナさんの努力の結果だろう。
ルーフィスさんもそうだ。
二人はずっと努力と研鑽を怠らない。
わたしと会ってからも、わたしに会う前からも、ずっと。
だから、わたしも負けられないのだ!!
「シオリ嬢の魅力は、多少外見が変化したぐらいで損なわれるものではないだろう?」
ふぐわっ!?
考え事をしていたから、アーキスフィーロさまからの褒め言葉が不意打ちに近い攻撃力があった。
お貴族さまは本当に油断ならない。
顔には出なかったはずだ。
気付くとしたら、ヴァルナさんぐらいだろう。
……それはそれでどうなのだろうか?
いや、別に良いのだけど。
『アーキスフィーロ様のように本質を見る人間ばかりではないのです。人間はどうしても外見から判断してしまいます。ボクのこの姿が子供だからって舐められるようなものですよ』
セヴェロさんの言葉はよく分かる。
見た目で100パーセント判断するとまでは言わないけれど、初めて会った人間を最初に判断する基準となるのは見た目だ。
その後、会話していくうちに仕草や内容でその人に対する情報を修正、補整していく形となる。
『シオリ様がアーキスフィーロ様以上の魔力所持者だなんて誰も信じないでしょうし、ヴァルナ嬢がクソデカい金槌を振り回して魔獣の頭を叩き潰すなんて、それを目撃したボク自身も我が目を疑いましたよ』
ちょっと待って?
今、聞き捨てならない情報が紛れ込んでいませんでしたか?
「ヴァルナさんって、打撃用武器も扱えるんですね」
いろいろ武器を扱えることは知っていたけど、まさかのハンマー攻撃とは。
その姿を見てみたかった気もするけど、頭を叩き潰すのか~。
流石に、頭を粉砕された魔獣を見るのはきついものがあるかもしれない。
『シオリ様、驚愕する部分が違います』
「え?」
驚愕する部分?
『ヴァルナ嬢のこの細腕で! あんなにぶっとい金槌を片手で扱う姿を目撃した時のボクの驚きを理解していただきたいです!!』
「ヴァルナさんが戦鎚を扱う姿を見ることができて羨ましいです?」
大きなハンマーだというのなら、戦棍ではなく、戦鎚と呼ばれている物だと思う。
この世界には魔法があるのだ。
だから、細腕であっても、身体強化によって、重たい物を扱うことはできるだろう。
尤も、ヴァルナさんは細腕に見えても、筋肉みっちり型である。
身体強化をせずとも、わたしを抱えて走ることは可能であることは知っているので、何の制限もない状況なら、ヴァルナさんはかなりの物をぶん回すのではないだろうか?
それに昔、読んだ少年漫画でも、美人な女性がドデカいハンマーを振り回す描写があった。
だから、見る分には全然、問題もない。
『違います!! もっと、こう!! あるでしょう!?』
「セヴェロさんが、ヴァルナさんを覗き見していたということでしょうか?」
『違いますよ!! 昨日は、ヴァルナ嬢と行動を共にしていただけです』
おや?
それは知らなかった。
だから、得物をハンマーにしたのかな?
『夜に、一人で出かけようとしていたから、お供させていただいたのです』
「それは……」
付きまとい行為なのではないだろうか?
思わず、言葉を探してしまった。
だが、出てきたのは「ストーカー」という単語ぐらいだ。
『闇夜の逢引はなかなか、良いものでしたよ』
セヴェロさんが良い笑顔でそう言った。
楽しんだことがよく分かる。
しかし、いつの間に?
「セヴェロ、何度も言うようだが……」
アーキスフィーロさまは、大きく息を吐いて、セヴェロさんを窘めようとするが……。
『やだな~、アーキスフィーロ様。ヴァルナ嬢がボクなんかを相手にすると思います? 数多の大型魔獣たちと一緒に、このボクが何度、その大型凶器によって粉砕されかけたことか……』
満面の笑みでそう答えられた。
「それは完全に嫌がられているのではないか?」
そんなアーキスフィーロさまの言葉にわたしも同意したい。
でも、ヴァルナさんの真意が分からない状態で下手なことは言わない方が良いだろう。
多分、何か意味がある。
そうでもなければ、わざわざ金槌なんて珍しい武器を使用して、興味を引くようなことはしない気がした。
ヴァルナさんもルーフィスさんも効率重視な面がある。
だから、扱えるとは言っても、鍛錬でもわたしが見たこともない武器を使うよりは、刺身包丁を振り回す方が、ヴァルナさんらしいのだ。
そうなると、今回、セヴェロさんを引き付ける役目がヴァルナさん、行動がルーフィスさんかな?
何を調べようとしたのかね?
「それでは、そろそろ仕事を始めましょうか。いつまでも、遊んでいると怒られてしまいます」
アーキスフィーロさまがそう言いながら、仕事を開始しようとした。
それに合わせて、ヴァルナさんも机や椅子を準備を始め、セヴェロさんは案内の人から渡された書類を纏めて机に置く。
だが……。
「アーキスフィーロ!!」
そんな乱入者の声で、本日の仕事はまたも中断することになってしまったのだった。
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