初日終了
さて、本日のお仕事は無事、終わった。
基本的には資料纏めってことなのだろう。
第五王子殿下の仕事は雑務が中心だと聞いていたから、今後も書類仕事が主になる気がしていた。
魔獣退治をしろと言われるよりはずっと良い。
尤も、魔獣退治の仕事なら、第一王女殿下が率先してやろうとするらしいので、恐らくは回ってこないだろうとのこと。
それでも、ルーフィスさんから聞いた話では、第一王女殿下はつい最近、その魔獣退治で大怪我をしたらしい。
ルカさんが気付いて、その魔獣たちを退治しなければ命はなかっただろうし、ヴァルナさんが治癒魔法を使わなければ、やはり、命はなかったと思う。
つまり、この大陸には、中心国の王族でも容易に倒せない魔獣が現れることもあるのだ。
そんな魔獣が現れたら、中心国の王族以上の魔力を持った人間が駆り出される可能性もあるだろう。
そうなれば、わたしも無関係ではいられない。
その時は、覚悟を決めるしかないと思っている。
まあ、それはさておき……。
「疲れました」
書類仕事を終わらせた後、最初に出てきたのはそんな言葉だった。
いや、書類仕事が疲れるのは分かっていることだ。
ずっと同じ姿勢だから肩も凝るし、腰も痛くなる。
だから、定期的に身体を解しながら作業を進めていたのだが……。
「なんで、いちいち手を止めて、わたしが絵を描くところを見るのでしょう?」
アーキスフィーロさまも、セヴェロさんも何故か、手を止めて見るのだ。
ルーフィスさんはたまに顔を上げてこちらを見ることはあっても、手を止めることはなかったし、基本は、お仕事に集中していた。
わたしが描いているのは、図鑑に載っている写真の丸写しである。
その図鑑が何故か何種類も準備されているから、資料に事欠かないし、たまに身体の構造の図解もあって、分かりやすいものもあった。
「人が絵を描く姿というのが、珍しいからだと思われます。」
ルーフィスさんがそう苦笑する。
「栞様の絵を描く姿は、ヴァルナもよく見ているでしょう?」
「ヴァルナさんは確かによく見ているけど、手を止めることはないのです」
わたしが絵を描くのをしっかり見る時はあるが、自分が報告書を作成している時などは、先ほどのルーフィスさんと同じように時々、様子を窺うような感じだった。
あんなにガッツリ、しっかり見るのは、当人の手に仕事がない時ぐらいである。
「あの二人の生活環境に他者が存在しなかったからでしょう。他人の動きが気になってしまうのは仕方がありません」
「なるほど……」
指摘されてそのことに気付く。
「つまり、わたしは彼らにとってお仕事のお邪魔になっているのでしょうか?」
手伝うために来ているのに、それでは本末が転がり倒れてしまっているではないか。
「気になられるなら、机を別にするという方法もあります。向かい合っているから、目に入ってしまうのでしょう」
「うぬう……」
正面だから気になってしまうのか。
「それ以外の理由として考えられるのは、目の前で絵を描く者が少ないという珍しさもあると愚考します。アーキスフィーロ様は肖像画を描かれたことも少ないようですからね」
「あ~」
それも納得できる理由だった。
「でも、人間界ではそんな機会もあったと思うのですが……?」
話題にも出たが、友人の顔を描くと言うお題もあった。
それはお互いに自分が絵を描くところを見せ合う時間でもあっただろう。
「この世界に戻って三年以上です。そして、今後もその機会がなければ、やはり珍しさはあるかと存じます」
「ぐぬう……」
だが、お仕事の手を止めてしまうのは本意ではない。
「あまりにも気になるようなら、直接、お伝えしてはいかがでしょうか?」
「でも……」
手伝いの身でそれはどうなのだろう?
気を悪くされないだろうか?
「人間関係を円滑にするためには多少の我慢は必要ですが、言いたいことを飲み込み過ぎるのは、片方だけの負担となります。私も、ヴァルナも互いに言いたい放題ですしね」
確かに我慢は良くないとは思うけれど、言いたい放題言い合えるのは、それは二人が兄弟だからだとも思ってしまう。
「栞様もヴァルナに対して我慢はしますか?」
「多少は?」
流石に全てを言うことはしない。
我慢する時はちゃんとするのだ。
……というか、ルーフィスさんは、わたしがヴァルナさんに言いたい放題だと思っていたのですね?
それは、心外だ!!
「主人の本音も引き出せないとは、専属侍女としては未熟ですね」
違った!?
主人に我慢させている方が問題だと、この専属侍女殿は言っておられる!?
「この国に来てから、栞様は自分を押し殺すことが増えました。そのために、この部屋にいる時ぐらいは本音を吐露していただきたいと私も弟も思っております」
その気持ちは嬉しい。
我慢が良くないこともわたしは承知している。
だけど、それを癖にしたくはないのだ。
やはり、どこかで線引きは必要だと思っているから。
そして、いつまでも甘えてばかりもいられないから。
それでも、うっかり、奇妙な声は出てしまうのだけど。
「しかし、栞様が言うように、見惚れて仕事の手が止まってしまうのは困りものですね。やはり、注意することは必要でしょう」
今、不思議な言葉が聞こえた気がするが、相手はルーフィスさんだ。
呼吸をするかのようにわたしを褒めてくれても不思議ではない。
「アーキスフィーロさまに、なんとお伝えすれば角が立たないでしょうか?」
「それぐらいなら、私からお伝えしますよ?」
「いえ、侍女からの進言より、わたしの方が効果的だと思います」
わたしは庶民だが、一応、アーキスフィーロさまの婚約者候補としてここにいる。
その侍女よりは聞き入れてもらえるだろう。
いや、仕事の見事さからルーフィスさんからの方が聞いてくれそうな気もするが、何事も体面、体裁、立場、そして、それらのための建前は大事だ。
「それならば、アーキスフィーロ様に直接、お話するよりはセヴェロ様にお伝えすることをお勧めします」
「分かりました」
確かにわたしが直接言うよりも、そちらの方が良さそうだ。
それでも改善されなければ、直接、現行犯で注意することも考えよう。
「まあ、絵を描かなければ良いだけの話なのでしょうが……」
「それはお勧めしかねます」
やはり、駄目らしい。
わたしもそう思う。
文章だけよりは、絵や図を描いた方が姿かたち、その外見的な特徴が相手に伝わりやすくなる。
それに、文章だけだとちょっと疲れる人もいるだろう。
絵や図は、読む側からも、ちょっとした息抜きになるのだ。
トルクスタン王子はカルセオラリアでわたしに絵を描くように言ったのは、見た目の特徴を正確に伝えるためだった。
あれは現物を前にしていたから、様々な角度、好きな構図で描けたので良かったと思っている。
そして、正確な絵なら、他の人間は現物を見なくても対象の区別ができるようになる。
まあ、トルクスタン王子はそれでも毒草と薬草を間違える稀有な才能の持ち主ではあった。
それでよく調薬をして、他者に呑ませる気になるものである。
薬物判定植物の功績はとても大きい。
少なくとも、死人が出たことはまだないらしいから。
「しかし、どうやって、セヴェロさんにお伝えしましょうか?」
セヴェロさんは基本的にアーキスフィーロさまの部屋に常駐している。
「そこの遊技場に呼び出しましょう」
確かに私室に直接呼び出すよりはマシか。
性別は変えられる人だけど、アーキスフィーロさまも良い気はしないだろう。
「セヴェロ様は、お屋敷内を動かれる時間帯があります。当主様からの仕事や食事を受け取るためには、どちらかが行動しなければなりません」
アーキスフィーロさまは部屋から出ない人だった。
魔獣退治には出かけていたみたいだけど、食事やお仕事の受け取りはセヴェロさんの役目だったらしい。
「それならば、セヴェロさんとの接触の方はお任せしてもよろしいでしょうか?」
セヴェロさんもあまりこの家が好きではないようだから、必要以上に徘徊することはないだろう。
下手すれば、移動魔法を使って最速移動することも考えられる。
そうなると、わたしが接触できる自信はない。
「どんな手段を使ってもよろしいでしょうか?」
ルーフィスさんが妙に良い笑顔でそんなことを言うものだから……。
「なるべく、穏便にお願いします」
わたしも表情筋が引き攣らないように、できる限りの笑顔でそう答えるのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




