主人を護るために
兄貴からの報告書を読み進めていく。
だが、読めば読むほど、胸糞が悪くなる事実しか書かれていなかった。
兄貴は、これをどんな気持ちで調べたのだろうか?
そんな感想しか湧いてこない。
「これは……、緘口令が敷かれるわけだな」
できるだけ、動揺を押さえ付けようとするが、無理だった。
こんな事実、まともな精神状態で受け止めることなどできるはずがない。
少なくとも、オレの未熟さは、兄貴に伝わっているだろう。
せめてもの救いは、オレにとって、身内とも言える人間たちはまだ巻き込まれていないことだろう。
だが、この国にいては、いずれ避けられなくなる気はしている。
栞はこの国の貴族子息の婚約者候補となった。
そればかりか、王族たちから目を付けられてしまっている。
そして、水尾さんも、王族からしきりに誘いが来るようになった。
今は第一王女だけを警戒するだけで済んでいるが、その実力が少しずつ城下に知れ渡り始めている。
いずれ、他の王族たちもその存在を無視できなくなるだろう。
水尾さんの方はトルクスタン王子が懐の深い部分に入れている。
だから、全力で護る意思を見せるだろう。
その分、栞よりはマシだと思うが、井の中の蛙どもが、他国の王族をどこまで意識してくれるかは分からない。
本来なら敬意を払うべき相手のはずだが、王族が何故、そんな立場にあるのかを理解している人間が少なすぎるのだ。
そして、この報告書に書かれている事実を、この国が表に出せるはずがないことも理解した。
例の「音を聞く島」ほど酷い事態ではないが、これらが露見すれば、国が足元から揺らぐだろう。
王族は魔力を重視するし、周りからも重視される。
それは国を支えるためだ。
だが、この国の王族たちは、自国を支えるどころか、その土台となる基礎を腐らせている。
この国の貴族の女たちが、「同好の士の集い」と称して、様々な集団に属したくなる理由がよく分かった。
この国の貴族の男どもは、女を護る気が一切ないのだ。
そして、女たちは単身で身を護ることができない。
そうなると、集団行動をとるしかなくなる。
本来、自国の民を護るべき王族がこんな状態なのだ。
王族の数だけいても、国を護るために何の役に立たないというのは悲劇でしかないと思った。
だが、本来、すぐに露見しそうなこれらが、全く表沙汰になっていなかったのは、隠し方が上手かったのだろうか?
表に出てしまえば、流石に大問題となっているはずだ。
いや、簡単に外に出せるような話でもないのか。
少なくとも当事者たちは、いずれもそう思ったから口を噤んでいる。
だから、被害は拡大し、それにより増長する者たちが増えてしまった。
それぞれが他国の目を気にして行動している結果でもあるかもしれない。
あるいは、大した問題ではないと高を括っている可能性もあるのか。
他国の感覚、それも偉い人間たちの常識は、オレにはよく分からん。
それでも、情報国家は既に知っているだろう。
まだこの国に来て、日が浅い兄貴ですら、たった一人で調べられるようなことなのだ。
人海戦術が使える情報国家の人間たちが、他国のことを全く調べていないとは思っていない。
「栞には?」
オレにとって、一番、大事なのはそこだ。
栞が知っているか、知らないかで、オレも、今後の動きが変わってくる。
「まだ伝えていない」
「そうか」
兄貴はあっさりとそう言った。
オレとしては、栞も知っておくべきことだとは思う。
その分だけ、危険は回避できる可能性が格段に上がるだろう。
だが、知り合いたちが関わっていることでもある。
これらを知れば、栞は間違いなく傷付くことも分かっている。
これは、関りの深さではなく、それだけの状況だということだ。
「勿論、伝えた方が良いのは確かだ。その分、警戒心も強まるだろう」
兄貴もそれは分かっている。
「だが、関係者たちは彼女に何も言わなかったのだ。そのために、主人も深い事情について、知ることを拒んでしまった。そうなると、俺も主人のためだからと出過ぎた真似などできん」
そう言いながら、溜息を吐いた。
それらは単純に「強情」、「頑固」の言葉では言い表せない。
当事者たちが話したがらないのは、単純に、国が絡んでいるだけではなく、もっと個人的な事情からだ。
それを察しているから、栞も深入りしないのだと思う。
「しかし、何も言わなければ、栞にこの国の危険性が伝わらないままだとは思うぞ」
後のために、今、その心を傷付けるか。
今、傷付けることを避けて、後に危険な目に遭わせるか。
この二択なら、断然、前者だ。
伝えても伝えられなくても確実に心が傷付くのなら、少しでも今後の危険性が減る方が良い。
栞がこれらの深刻な事態に気付いていないのなら、しっかりと説明して、注意を促すべきだと思う。
「だが、主人は聞きたくないと言っているのに、無理矢理、聞かせる行いが正しいと思うか?」
「まあな」
今回のことは、オレや兄貴は完全に部外者だ。
国の問題であり、個人の思惑や意図はどうにもならない。
だが、主人は違う。
他国の事情に首を突っ込んでも良いことはないが、確実に巻き込まれる位置に、オレたちの主人は立っている。
なるほど。
兄貴がオレに意見を求めるわけだ。
事情を知った後。
事情に巻き込まれた後。
いずれにしても、栞の行動は予測できない。
傷ついて泣くだけなら良い。
それならば、慰めるだけで済むから。
それが一番、平和的で問題も少ないだろう。
だが、忘れてはいけない。
オレたちの主人は「高田栞」なのだ。
素直に傷ついて泣くだけの女であるはずがない。
どちらかと言うと、義憤に駆られて動かれる方が困る。
時として、オレや兄貴が止められないほどの行動力がある主人なのだ。
単純に、今以上に目立つ行動をとって、周囲の意識を引いてしまうだけなら救いはあるだろう。
何よりまだ常識の範囲内と言える。
だが、あの「音を聞く島」の時のように「祖神変化」を引き起こされては、オレたちにはどうにもならない。
そして、精霊族が集うこの地ではその可能性がないとも言い切れないところが、オレたちの頭が痛くなる部分である。
これらの記録を伏せて、それとなくこの国の危険性を伝えるという手もあるが、その深刻さは半減するだろう。
身近な問題としてとらえることが難しくなるからだ。
同時に、事情をある程度伏せたとしても、これまでの状況からこれらの事実に気付かれてしまう可能性が高いとも思ってしまう。
鈍いように見えて、妙なところで勘の良い女だから。
正義感だけで他人を救うことはできない。
だが、正義感がなければ誰も救えない。
だから、兄貴も迷っている。
だけど、恐らく、正しい答えなどない。
始めから、全てが間違っているのだから、正解などあるはずがないだろう。
「オレなら、様子見を推奨する」
いろいろ考えて、そう結論付けた。
これは一種の逃げなのかもしれない。
だが、現時点ではそう言うしかないだろう。
「その理由は?」
「今日会ったあの女はこの辺りの事情こそ話さなかったが、栞に対して忠告をしている。それで、警戒心は強まったと信じたい」
あくまでも願望だ。
だが、何もないよりはマシだろう。
「まあ、現状ではそうするしかないな。後は、当事者の善意に期待しよう」
「善意?」
「事情説明は、当事者の……、特にマリアンヌ嬢からの言葉が一番だ。今は互いに警戒しているが、いずれは話さざるを得なくなる日がくるだろう」
それがいつの話かは分からない。
それでも、隠し通すには限度があるということか。
だがな~。
普通に考えれば、墓場まで持って行ってもおかしくないような話なのだ。
そのために、そう簡単に腹と口を割ってくれるだろうと楽観視はできない。
「もっと手っ取り早いのは、話したくなる状況を作り出すという手だな」
「あ?」
話したくなる状況を作り出す?
「一番、目に見えて効果があるのは、情報操作だな。世論の誘導とも言う」
「簡単に言っているが、そんなことができるのか?」
「この世界に限らず、人間と言うものは噂が好きだからな。相手の信じたいこと、都合の良い話、耳触りの良い言葉を交えながら、少しずつこちらの意図に添う方向に誘導することはそう難しくはない」
好きな言葉を吐く相手は都合が良いということか。
だが、それでも、簡単にできるとは思えなかった。
「標的に直接言う必要などない」
「あ?」
「言っただろ? 人間は噂が好きなのだ。特に、『内緒』、『内密』、『ここだけの話』という言葉をさり気なく含ませて、友人と話しているだけで、勝手に聞き耳を立てて、火を煽り、煙を多方向に流してくれるだろう」
火のない所に煙は立たぬ。
そんな人間界の諺が頭を過った。
「なるほど。それで、オレはどんな種類の種火を作れば良い?」
オレがそう口にすると、兄貴はニヤリと笑って……。
「無論、この部分だな」
報告書の一文を指し示す。
「もともと、火元にそこまで大きな期待はしていない。練習台だと思って気楽にやれ」
実験台というからには失敗しても大きな影響はないということだろう。
不慣れなオレが、兄貴の言うように気楽にできるはずもないが、それでも何もしないよりはマシか。
これは人を傷つける行為。
そして、それを知れば、栞も少なからず動揺するだろう。
だけど……。
―――― わたしは九十九を心から尊敬するよ
そんなことを誇らしげに言う主人だから。
「おお、好きにやってやる」
オレも、彼女を護るために、手段を選ぶつもりはなかった。
この話で120章が終わります。
次話から第121章「国の治乱」です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




