お金に換えられない価値
『ヴァルナ嬢。このシオリ様の無自覚さは天然なのでしょうか? それとも、これこそ真の傲慢なのでしょうか?』
セヴェロさんは首を振りつつ、ヴァルナさんに尋ねる。
「天然でしょう」
それに対してヴァルナさんは迷わず返答した。
『まず、あの女はシオリ様がセントポーリアの王族と気付いた上で、何度も非礼を犯しています。それはご理解いただけますか?』
「非礼?」
はて?
心当たりがない。
『言葉遣い、作法などを含めた言動の全てが、いずれも貴族息女風情が、他国の王族に対してするものではありません。逆に、シオリ様の方が上位者に対する礼儀をご存じのように見えました』
「でも、わたくしには公式的な身分など……」
セヴェロさんの言葉に反論しようとするが……。
『公式的な身分はなくとも、そのお身体に流れている貴き血脈は、一つの財産です。しかも、無知によるものではなく、気付いているからこそその罪は重いと言えるでしょう』
さらに、そう続けられた。
確かにこの血肉は財産だということは分かる。
始祖から連々と繋がれてきたもの。
それは、お金に換えられない価値がある。
『シオリ様は大袈裟だとお思いかもしれません。ですが、これはこの国の教養の話です。他国の王族に対して、敬意も畏怖の念も全く持たぬなど、本当にこの国の貴族教育とやらは、程度が低いと私は思います』
今のセヴェロさんの姿と相まって、妙に説得力を覚えた。
この国の貴族教育を咎めながら、同時に、それを見逃しているわたしも悪いと言われているような気がしてならない。
「そのことに触れた方が良かったでしょうか?」
『「いいえ」』
わたしの問いかけにセヴェロさんだけではなく、ヴァルナさんも首を振った。
「あの方は栞様をセントポーリアの王族と言っておりましたが、栞様自身はあの場でそれを認めませんでした。言質を取らせなかったのです。それなのに、そこを指摘してしまえば、婉曲ではありますが、認めてしまうことになりかねません」
おおっ!?
そうか、そうなっちゃうんだ。
お貴族さま、難しい。
『仮にも精霊族の血が入っていれば、大陸神のご加護や……、それ以外の神々の加護にも気付くはずです。そうなると、あの女の眼は、当人が言うほど万能ではなさそうですね』
万能とは言っていなかった気がするが、自信はありそうだった。
「精霊族の血が入っていれば、大陸神の加護とかも分かるのですか?」
『大陸神については、はっきりと分かりますね。ただ、他の神の加護は視えにくいように、この「神扉の守り人」が何か、仕掛けているようです』
そう言いながら、セヴェロさんはわたしの左手首を見た。
そうなると、この法珠のついた御守りのことだろうか?
それとも、魂に結んだという「神隠し」?
……名前からして、こっちの方かな?
わたしがシンショクされていると気付いた恭哉兄ちゃんが、その魂を神さまから視えないようにしてくれたはずだ。
『但し、加護が視えにくくても、この肌にヒリつく感覚は消えません。精霊族ならば、その血が濃いほど、貴女を慕うか、逃げるかを選ぶでしょう』
少し前なら、いろいろとショックを受けていただろう。
だが、わたしはあの「音を聞く島」でいろいろと知った。
精霊族は、大陸神の加護が強い王族たちからの命令には逆らえない。
自分の意思とは無関係に従わされてしまう。
それは、太古の神々からの約定……らしい。
それは逃げる。
絶対に逃げる。
力を持った上位者に逆らえないのは、神も、人間も、精霊族も、魔獣も同じ。
だから、仕方ない。
まあ、理解はできても、納得はしたくないのだけど。
『それを分かった上で無視するような大物か。それとも、無知による愚者か。あの女はどちらだと思われますか?』
それは、わたしを試すような言葉。
雄也さんからも、本物の恭哉兄ちゃんからも、わたしはいつも試されている。
「その二択なら大物説。ですが、三択ならば……、答えは先ほどセヴェロさんが教えてくれたことだと思います」
『おや? それは……?』
「わたしのことを少しでも友人だと思ってくれているから、神の加護があっても、他国の王族の血を引いていると気付いていても、この内部に踏み込もうとしてくれるのではないでしょうか?」
わたしは鈍い。
それはあちこちで言われているのだから認めるしかない。
だけど、今回は、二人が、マリアンヌさまはわたしのことを嫌いじゃないという結論を出している。
それならば、自意識過剰な思考ではないだろう。
まあ、相手の気持ちを勝手に決めつけた上で成り立っている自分中心で偉そうな考え方だとは思うけどね。
「踏み込もうとしなければ、相手のことなんて、何も分かりませんからね」
つまりはそういうことだ。
だから、マリアンヌさまは最初に言ったのかもしれない。
———— この子たちの前だとシオちゃんが腹を割って話せないよ?
腹を割らせてでも、わたしのことを知りたかった。
それは人間界のマリアンヌさまにはなかった行動だったと思う。
わたしはあの言葉を宰相閣下のご命令で、いろいろ暴露させるためだと解釈したのだが、違ったのかもしれない。
それが、単純にもっと知りたいだけだったら?
全く意味が変わってしまうではないか。
「栞様」
「はい!!」
思考の途中で割り込んでくる声。
妙な声ではなかったが、思わず背筋が伸びるような返事となってしまった。
「焦らないように。決めつけないように。まだたった一度のお話です。相手を理解したわけでもありません。今回の一件だけで貴女の全てを伝えるにはまだ早い。そうは思いませんか?」
それはまるで、諭すような声。
———— 焦るな
それが……。
———— 決めつけるな
いつもの声で脳内に再生される。
———— 会って一度で何が分かる?
でも、足りない。
———— まずは相手を知れ
全然、足りない。
———— 簡単に自分の情報をくれてやるな
あの声が聞きたい。
———— なあ、オレの主人
本物が聞きたい。
「そうですね。まだ一度だけです。もしかしたら、それで警戒心を解こうとされた可能性も否定できません」
ヴァルナさんの言葉を噛み砕く。
昔の友人を疑うのは嫌だ。
だけど、相手はそう思っていないかもしれないのだ。
「ありがとう、ヴァルナ。ちゃんと頭は冷えました」
それならば、警戒心をすぐに解くわけにはいかない。
わたしの迷いを見抜いた上で、ヴァルナさんはそう言っているのだ。
「何のことかは分かりませんが、栞様のお役に立てたなら、光栄に存じます」
いつもよりも高い声。
距離のある言葉。
それでも……。
———— 一人で悩むな
そう言われた気がした。
たったそれだけで泣きたくなるのはどうしてだろう?
しかも、本物の声じゃない。
わたしの記憶があの声で勝手にそう再生しただけ。
いや、理由なんてとっくに分かっていて。
そして、分かったところでどうしようもなくて。
『落ち着いたところで、続きを話しましょうか』
そんなセヴェロさんの言葉で、先ほどの話に戻った。
そして、いろいろと話し合って、出た結論は……。
「結局、マリアンヌさまの真の目的は分からないまま……、ということですね」
『あの女が目的を隠していたようですからね』
わたしの言葉に、セヴェロさんは肩を竦めて答える。
『ところで、シオリ様。実は、アーキスフィーロ様のお顔、お好きなのですか?』
だが、セヴェロさんから、とんでもない方向からの確認が入った。
「嫌いじゃないですね。綺麗なお顔だと思います」
人間界にいた時もモテていたことは知っている。
その漏れ聞いた理由は、部活動や学業の成績や、性格ではなく、圧倒的に「顔」だった。
『その後も、結構、いろいろな理由を挙げていたじゃないですか。あれに驚きました。シオリ様は、アーキスフィーロ様に異性として興味をお持ちではないように見えていたので』
おそらくは、人間界でマリアンヌさまから言われた言葉を言っている時の話だろう。
まあ、そこに嘘はないから問題もないけれど。
『私は少しだけ安心できたのです』
「安心……ですか?」
『はい。あの女の言葉のようで業腹ですが、あのアーキスフィーロ様を本当の意味で愛してくれる人間はいなかったですから」
———— シオちゃんが愛さないと、アキは誰にも愛されないままじゃないか
そんなマリアンヌさまの言葉を思い出す。
三年間、ずっと側にいるセヴェロさんも同じように思っているらしい。
でも……。
「わたしもアーキスフィーロさまを愛しているわけではありませんよ?」
そこだけは誤解されては困る。
いや、婚約者候補なのだから、問題はないのだけど、この場で誤解されたくはないので、はっきりと主張しておく。
『無関心よりも良いという話です』
アーキスフィーロさまに関心があるという意味ならば、マリアンヌさまもそうだったし、セヴェロさんだって、こんなにも心を砕いている。
わたしがそう思って首をひねっていると……。
『種が蒔かれているなら、いつか、芽吹くことを期待したい。そんな話ですよ』
セヴェロさんはそんな意味深な言葉とともに笑うのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




