借りた物
『さて、不埒な輩たちもヴァルナ嬢が追い払ってくれたことですし、目的であるお話を始めましょうか』
食事を終えて、周囲に遮音結果を張った後、まずセヴェロさんがこう切り出した。
「不埒?」
はて?
そんな人いたっけ?
「許可なく、女性の身体に触れようとする男など、『不埒』と呼んで差し支えありません」
ヴァルナさんが不機嫌そうにそう言った。
さっき近づいてきた人たちのことらしい。
わたし自身は自覚がなかったが、女性の身体に触れようとする……その響きだけで、確かに「不埒」って印象はある。
尤も、その人たち触れようとしただけで、触れられてもいなかった。
そこまで距離も近くなかったから、わたしに声をかけてきたのかも分からなかったぐらいだ。
それに、もう少し近づいていたら、確実にわたしの「魔気の護り」が大放出していたという専属侍女の見立ては正しいだろう。
触れられかけたというわたし自身が気づいていなかったのだから、それを止めるのは間に合わなかったかもしれない。
無意識、怖い。
でも、フォークを3本も壁に突き刺すのはやりすぎだと思うのですよ。
しかも、次に投げるナイフまで準備していたようだし。
わたしの専属侍女兼護衛は、綺麗な顔しているのに、行動が怖い人です。
『おやおや、ヴァルナ嬢。あの方々が、私に触れようとしても同じような行動をとってくれましたか?』
何、聞いてるの? セヴェロさん。
「当然です」
『あ、あれ? そこは、「そんなわけがありません」といつものように、低い声で冷静に答える場面ではありませんか?』
そして、聞いておきながら、何故、動揺するのか?
「そのお姿に対して無遠慮に触れることを許せると思いますか?」
『なるほど。確かに』
セヴェロさんは今、恭哉兄ちゃんの見た目である。
しかも、15歳ヴァージョンの上、化粧しているたけのヴァルナさんと異なり、完全に性別を変えている状態なのだ。
そこで、九十九がいつものような対応をとることができるはずがない。
「あの方からそのお姿をお借りしている以上、少しでも汚さないようにするのは当然のことです」
……いや、単純に真面目なだけだった。
確かに、借りたものは汚さずに返すべきである。
だが、少しだけ何かが違う気がするのは気のせいだろうか?
『つまり、この姿なら、ヴァルナ嬢から守ってもらえるということですね?』
あ。
セヴェロさんが調子に乗り始めた。
「勿論、その姿で阿呆なことをしでかせば、容赦なく蹴り飛ばします」
安定のヴァルナさんである。
だが、恭哉兄ちゃんにそっくりな女性を蹴り飛ばすなんて……。
「少し前に、その顔の持ち主よりかなりズタボロにされた不満もございますし」
できるらしい。
いや、ちょっと待って?
大神官さまから、なんで、そんなことをされているの?
そして、いつ!?
少し前って、もしかしなくても、最近、大聖堂に行った時かな!?
『ちょっ!? どこをどう聞いても、それは私怨ですよね!?』
慌てるセヴェロさん。
「ええ、その件に関しては私怨ですよ」
それに対して、いつものように淡々と答えるヴァルナさん。
「でも、先ほど、余計なことをおっしゃられていたようですし、私がその顔に不満をぶつけるにはちょうど良い機会だとは思いませんか?」
しかし、続く言葉はかなり酷かった。
『暴力はいけません!!』
そうだね。
暴れるのは良くない。
ここは大衆食堂。
つまりは、公共の場である。
「ヴァルナ。そろそろ、セヴェロさんを虐めるのはやめなさい」
「承知しました」
勿論、ヴァルナさんに揶揄う気などないだろう。
この専属侍女は100パーセント本気である。
真面目だから。
でも、振り上げた拳は何事もなく下ろさせなければいけない。
話が進まないからね。
「それで、二人はどこまでわたしたちの会話を聞いていたの?」
まずは、そこが分からないと話にならない。
二人のことだから、何らかの形で話を聞いていたと思うのだけど。
『私は、ほとんど聞こえていました。魔石による遮音効果は、私には効果がなかったようです』
ちょっと待って?
それはそれでどうなの?
遮音効果、意味なし!!
魔石の効果がなかったってことは、人間の魔法を無効化するようなものだと思うけど、そうなるとセヴェロさんって、どれだけ精霊族の血が濃いの?
「私は、マリアンヌ様については唇の動きでおおよその発言を判断し、栞様については、体内魔気の反応で判断できる範囲のことしか把握をしておりません」
こちらはまさかの読唇術!?
あれって、漫画の世界だけではないんだね。
しかし、わたしの方は体内魔気のみか。
背後に立っていたためにわたしの方の唇の動きは読めなかったらしい。
でも、唇をじっと見つめられているって多分、かなり恥ずかしいよね?
そういう意味では、ちょっと助かったかもしれない。
『シオリ様は、あの女と既知の間柄で、向こうもそれに気づいて接近したってことに間違いはありませんか?』
セヴェロさんが確認する。
まずはそこかららしい。
「そうですね。わたしはアーキスフィーロさまから聞いて知りましたが、彼女の方は……」
あれ?
魔力で判断した?
でも、この件に関してはそんなこと、言っていなかったような?
人間界では封印されていたわたしの魔力は、魔法国家の王女たちですら全く分からなかったと言っていた。
人間界は大気魔気が薄いせいか、体内魔気の働きがかなり落ちて、知覚能力も鈍くなるらしい。
勿論、魔力の大きさや属性など、大まか、大さっぱなことは分かる。
鈍くなるだけでなくなるわけではないのだから。
だけど、わたしの魔力は、法力によって封印されていた関係で、身体に触れなければ、その封印の気配も分からなかったし、魔力が完全にない人間にしか見えなかったそうだ。
そして、法力は魔力と違う。
大神官である恭哉兄ちゃんが言うには、精霊族相手に法力は通じるとも言っていた。
そうなると……?
「顔とか、雰囲気で判断したとしか思えません」
正直、わたしの顔は三年前からほとんど変わっていない。
身長は……、数センチ伸びたけど、微々たるものだ。
どこかの護衛弟のようにニョキニョキ伸びたわけではない。
そういえば、再会した人たちは、迷いもなく「高田栞」だと断定する。
つまり、体内魔気で確認することは、できなくても、わたしだと判断できてしまうということになるだろう。
でも、よく考えれば、それはおかしなことでもない。
同じ顔の人がいても、体内魔気で判断しようという感覚の方が不思議なのだ。
それだけ、この世界は魔法やらで同じ顔になったりすることができるということなのかもしれないけどね。
「セヴェロさんは。マリアンヌさまが魔力を視る眼をお持ちということはご存じだったのですか?」
『いいえ、知らなかったです。多分、アーキスフィーロ様もご存じないかと』
やはり、そうか。
父親も知らないって言っていた。
だけど、なんで、そんなことをわたしに教えてくれたのか、さっぱり分からない。
これまで秘密にしていたなら、尚のことだ。
『アレは少々、厄介な能力ですね。シオリ様の背後にいた私が精霊族の血が濃いことも気付いたかもしれかせん」
そうか。
マリアンヌさまは、人間や魔獣、精霊が体内に内包している魔力とか、生命力、霊力とかが視えると言っていた。
そうなると、セヴェロさんの正体に気付いてもおかしくないし、何よりも……。
わたしは、そこまで考えて斜め向かいに座っている専属侍女を見た。
濃藍の髪、翡翠の瞳を持つ侍女と目が合う。
何よりも、この侍女の出自にも気付かれてしまった可能性もあるのだ。
わたしはそのことに今更ながら気づいて、ゾッとしたのだった。
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