警告する御令嬢
「でもさ~。居候とはいえ、アキの側にいるのって大変じゃない? 具体的には意思疎通。アキ、ほとんど喋らないでしょ?」
マリアンヌさまは新たに注文したお茶を口にしながら、そう切り出した。
この世界には、お茶請けというものがない。
いや、お菓子自体がほとんどないのだから仕方ないのだけど、どうしても、少し口寂しくなる。
これは絶対、お茶を出す時に、必ずお菓子をお供に出してくる九十九が悪い。
覚えのある名前のお茶を口にしたけれど、これもなんか記憶している味と違うのだ。
わたしの護衛はどこまで、わたしのいろいろなものに影響を与えているのだろうか?
「優秀な通訳に助けてもらっていますから、問題ありません」
「通訳? え?」
マリアンヌさまは動きを止めてわたしを見る。
「はい。常にアーキスフィーロさまに付き従っている方が、かなりアーキスフィーロさまのことを理解しているので、苦労はありません」
尤も、現実にはそこまで通訳の助けも借りていない。
アーキスフィーロさまは口数が少なかっただけで、話が通じない人ではないから。
少なくとも、わたしはあの人と意思疎通はできていると思っている。
「え? アキに付き従う? ロットベルク家にそんな人がいた?」
「アーキスフィーロさまには専属従僕がおります。確か、三年前に雇われた……、とか」
具体的な年代は聞いていなかったけれど、話を聞いた限り、この国に還ってきてからすぐにセヴェロさんと出会っているはずだから、間違いないだろう。
「三年前……、ボ……、私が知らないのも無理はないか」
「城に上がれない身分だとも伺いました」
「それなら、ますます知らないや」
セヴェロさんは精霊族だ。
何故か、城の裏庭で倒れていたらしいけど、身分としては平民なのだろう。
だから、上級使用人である執事ではなく、下級使用人である従僕なのである。
因みに、本来は、わたしの専属侍女たちも平民なら侍女ではなく女中であるはずだが、紹介者がカルセオラリアの王族であること、やっていることは侍女と同じなので、便宜上、侍女と呼んでいる。
尤も、王城貴族であることはアーキスフィーロさまには伝えていないが、本来、侍女たちを準備すべきロットベルク家が手配できないのだから仕方ないし、わたしの身分的に本来は侍女が必要なわけでもない。
それに、わたしが生活しているあの空間に、外部から人は来ない。
人前で「専属侍女」という言葉を使うわけでもないから、問題はないだろう。
「知らないうちに、アキの周りも、随分、変わっちゃったんだね」
そう言ったマリアンヌさまは少し寂しそうに笑う。
「マリアンヌ=ニタース=フェロニステさま」
そんな彼女にわたしはなんと声をかけて良いのだろうか?
三年も経てば、いろいろなものが変わっているのは不思議でもない。
この世界は一月31日、一年は12カ月、つまりは、370日。
それが三回……、えっと……、多分、1110日?
それだけの年月が流れている。
実際、わたしだって、この世界に来てかなり変わっているほどだ。
マリアンヌさまが、セヴェロさんのことを知らなかったのなら、アーキスフィーロさまが誰からも愛されていないと思い込むのも無理はないだろう。
セヴェロさんは、アーキスフィーロさまのことを大事にしている。
その口調や態度からでは、酷く分かりにくいけど。
少なくとも、気に入らなければどんなに消えかけていたとしても、契約を持ち掛けることなんてしなかっただろう。
いや、話しかけることもしなかったはずだ。
セヴェロさんってそんな人だと思っている。
「ああ、シオちゃん。さっきから、ず~~~~~っと、気になっていることを言っても良い?」
「はい」
「口調が変えられないなら、せめて、そのフルネームを止めてくれないかな? その名前、嫌いなんだよ」
確かにずっとわたしはフルネームで呼んでいた。
この国では、平民が貴族の名前呼びはできないと聞いていたから、そうしていたのだが、それが気に食わなかったらしい。
でも、自分の名前が嫌いなら、当然か。
「そうなると……、フェロニステ家第三息……」
「昔みたいに、マリアで!! 百歩譲って、せめて、マリアンヌで!!」
わたしが第三息女と言い切る前に、そう言われた。
「それでは、失礼ながら、『マリア』さまと」
流石に昔のように「真理亜」と呼び捨てることはできない。
そこは譲れなかった。
まあ、ケルナスミーヤ王女殿下を「ワカ」と呼ぶのも正直、不敬な行為ではあるのだろうけど、そんなことを知る前にワカと再会したのだから仕方ない。
寧ろ、今更、変える方が怒られるだろう。
「正直、『様』付けも気に食わないんだけど、これ以上はシオちゃんが困っちゃうか」
マリアンヌさまもそこは分かっているようで、溜息を吐きながらも納得してくれた。
「他にもお願い事はあるのだけど、聞いてもらっても良い?」
「わたしにできることでしたら」
できないことを頼まれても承諾するつもりはない。
「また、私と会ってくれる?」
上目遣いで可愛らしくそう尋ねられた。
「アーキスフィーロさまの許可が下りるなら、考えます」
それ以外にもわたしには保護者がいっぱいいるけど。
「良かった~。アキの許可なら、すぐ下りるよ」
どうだろう?
わたしの保護者たちが反対したら、アーキスフィーロさまも承諾はしない気がする。
実際、今回、わたしがマリアンヌさまと会うのも、どこか気が進まないような印象があったし。
「それでは、またお誘いいただけると嬉しいです」
「うん。分かった。すぐにまた手紙を書くよ」
断られるとは思っていない言葉。
そういう相手に対して、もしお断りすることになれば、どうしたらよいだろうか?
うん、ルーフィスさんに頼ろう。
それが、一番、失敗が少ないだろう。
他力本願と言うなかれ。
ただの友人なら、失敗しても問題はない。
だが、相手は貴族息女なのだ。
一つの失敗が命取りになる可能性だってある。
わたしのように不安定な立場にあるものは、そこに気を配らなければならない。
お世話になっているアーキスフィーロさまに迷惑をかけられないしね。
「でも、今日は本当に楽しかったよ。ちょっとだけ中学時代を思い出しちゃった」
マリアンヌさまは照れくさそうに笑いながら、そういった。
どうやら、この様子だと、そろそろ、今日はお別れっぽい。
「本日はお招きいただき、ありがとう存じます。わたくしも、楽しかったです」
だから、無難な言葉を返す。
嘘は言っていない。
だが、わたしもそれなりに楽しんだとは思うが、実のある会話だったか? と問われたら、少し悩むところである。
マリアンヌさまの能力の一部を少し知ることができたが、同時に、かなり難しい相手ということも分かったから。
単純な貴族相手とは違う。
魔力を視る眼を持つ女性。
「ああ、シオちゃん」
その女性はわたしに話しかける。
「これからも、シオちゃんがアキの側にいるつもりなら、大事なことを伝えておくね」
おそらくは、これがマリアンヌさまの本当の目的だと、なんとなくわたしは察した。
相手はお貴族さまの娘だ。
だから、姿勢だけは気を抜かぬよう、臨んでいた。
特に、周囲に声が通らないなら、わたしの評価は姿勢を含めた仕草など、見た目だけで判断されるかから。
それでも、無意識に、背中辺りを中心に力が入ったのが分かった。
「アキのお兄さんと、第三王子殿下には気を付けて」
ビクリと、耳に何かを流し込まれたような、冷えた声。
そして、これまでの明るさから、一転して、暗い海の底に沈んだような表情。
「マリアさま?」
その言葉の真意を尋ねたくて呼びかけたが……。
「私から言えるのは、これだけだよ」
そう言って、マリアンヌさまは笑いながら、テーブルに置かれた魔石に触れる。
その瞬間に、空気が戻った。
息が詰まるような空間から、解放されたような不思議な感覚がある。
思いのほか、緊張していたってことだろうか?
「本日は楽しませていただきました。ロットベルク家の可愛らしいお客様」
そう言って、マリアンヌさまが席を立ち、この国のお辞儀をする。
「本日はお招きいただき、ありがとう存じます。不調法の身ではありますが、マリアンヌ=ニタース=フェロニステさまとお話しできたことは望外の喜びでございます」
だから、わたしは……、他国の貴族にも通じるお辞儀をした。
そもそも、この国のお辞儀は、男性がすることが前提のもので、ロングなドレスを着た女性向きではないのだ。
「シオリ様……」
それを見たマリアンヌさまは……。
「やはり、貴女は一筋縄ではいきませんね」
そう言って、貴族令嬢らしく、口元だけで微笑んだのだった。
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