国境で見えた景色
「移動魔法で対象者や魔力に向かって飛ぶ……だと?」
水尾先輩が九十九に確認する。
「……何度かやったことがありますが……」
「場所と違って、対象が人や魔力って簡単にできるもんじゃねえぞ。場所はそこまで変化はしないが、人や魔力はその都度変わるからな」
「「変わる? 」」
九十九とわたしが同時に聞き返す。
「人は魔気や外見だって変化する。それに人間は明確な形を思い描きにくいんだ。それなのに……」
「……相手の魔気を探知で先に掴んでそこに向かって移動しているか、頭と直接繋いでいる通信珠が目的地代わりになっているのだろう」
ちょっと待ってください、雄也先輩。
さらっと言いましたが、頭と直接つながっているってすっごく怖い話なのでは?
確かに通信珠は九十九の頭に直接、声が届くって聞いていたけれど、実はかなり恐ろしいことだったのではないだろうか。
「……ああ。通信珠で自分の魔気と繋がってるわけか。それなら……いや……?」
「でも、兄貴。オレは昔からシ……、こいつに向かっての移動はできてたぞ」
「……そうだったな。昔から見ていたから、俺もその辺りを深く考えたことはなかったが……これは普通じゃないのか?」
雄也先輩も、自然に受け入れていたことが、実は不自然だったらしい。
「血を分けている兄弟姉妹や親子なら他人より魔気を掴みやすいから可能性はある。あと、近距離なら自分が知っている魔気を掴めるのは分かる。でも、少年と高田は、血族関係って感じはしない。……どういうことだ……?」
「まだまだ移動の魔法は魔法国家の人間でも分からないことがあるということだろう。一般的に知られすぎると研究されなくなる。もしくは……知っていても忘れられたか……こちらの方が魔界ではありえそうだが……」
雄也先輩も考え込む。
「……少年。落ち着いてからで良いから今度、それを見せてくれないか?」
「良いですけど……」
水尾先輩は険しい顔をしていた。
それだけ、九十九の移動魔法が普通ではないということなのだろう。
九十九の方も少し戸惑っているみたいだ。
「移動魔法についての議論は尽きないだろうが、今は国境を越えることが先かな。ジギタリス近くに行けば、検証する余裕もできるだろう」
そう言って雄也先輩が、歩き始めた。
釣られるように、九十九も後に続く。
「うおっ!?」
九十九が声を上げた。
そして、風もないのにその髪や衣服が一斉にはためいたのが分かる。
「い、今のって……」
「少年の魔気に変化はないぞ。少し動揺した瞬間に膨れたぐらいで、国境を通過した時の風は少年のものじゃない」
「あれほど髪の毛が揺れたのに?」
水尾先輩の言葉に思わず聞き返してしまった。
「魔法で揺れたわけじゃなくて大気魔気……、自然の風で揺れたのと同じだからな。国境だけ常に強風状態と思えば良い」
下から吹き上げるようなもの?
でも、先ほどのは、どちらかというと九十九に向かって突風が吹き付けたような感じだった。
それに、九十九の前に雄也先輩が通り、さらにその後に水尾先輩が通ったのに、二人は九十九ほどの変化はなかった。
これは個人差ということなのだろうか?
「…………」
国境と言われている場所を前にして、わたしは思わず足を止めてしまった。
九十九は真っ向から吹き付ける風。
水尾先輩は撫でるような風。
一番始めに雄也先輩が通り過ぎた時はこんな現象が起きるなんて考えてなかったからそこまでしっかり見てなかったけれど、九十九ほど激しいものではなかったと思う。
では、魔力が封印されているというわたしの場合はどうなるんだろう?
「大丈夫か?」
向こう側から九十九が声をかけてくれる。
それだけ自分も驚いたのだろう。
わたしが戸惑う気持ちも分かってくれるようだ。
普通に考えたらわたしは無風、変化なしだと思う。
大気魔気なんて見えないし、感じないから。
でも、九十九や雄也先輩、母に言わせれば、この身体のどこかに眠っているような状態らしい。
つまり、いきなり飛び起きる可能性もあるのだ。
「……考えすぎだよね」
今までが今までだ。
過剰な期待をしたところでどうにかなるような問題なら、わざわざ封印とやらを解放してもらうために国外まで出る必要はないだろう。
城下を出て数日過ごしただけでも、魔界は広く国内で身を隠すことだって難しくはなさそうだということも分かったのだ。
そう思って、足を踏み出す。
「うわっ!?」
下から不意に身体の中を凄い風が吹き上がった気がした。
それにあわせて、くらり、と頭の中が揺れたような気配。
移動魔法によく似た浮遊感によって、自分の足元がおぼつかなくなっていく。
ぐらぐらとする思考の中、目に映っている景色は二重……、いや、多重に見えた。
ぺらぺらと本のページがめくれていくように視界の中の風景が次々と重なり、瞬く間に変わっていく。
先ほどまでのフルカラーな景色。
色あせた薄い褐色の光景。
すりガラスでぼかしたような灰色の風景。
そして、白や黒などの点のみで表された情景。
自分が見たもの、自身が観たもの、誰かが視たものまで、目まぐるしく重なっては泡が弾け飛ぶように消えていく。
自分であって自分ではない感覚。
自分の居場所が分からなくなりそうな錯覚に陥り、思わず目の前にある眩しい銀色の光に手を伸ばす。
そしてそれを掴もうとして……、視界は重くて暗い闇に閉ざされた。
いや、正しくは黒い大きな何かがわたしの目の前を覆っていた。
『見るな』
耳の奥でそんな声が聞こえた気がして急激に、世界は色を取り戻していく。
それは長いようで一瞬の出来事。
死の淵で見るという走馬灯のような普通ではありえない現象だった。
「大丈夫か!?」
焦りが浮かんだ黒髪の少年の声。
――――― 黒髪?
――――― それはおかしい。
――――― 彼は昔……。
わたしは九十九に肩を掴まれ、先ほどまでの場所に戻る。
「だ、大丈夫です。で……、あれ?」
なんとなく口を押さえる。
わたしの口から九十九に対して出た言葉が何故か丁寧語だったから。
「……本当に大丈夫か?」
明らかに先ほどまでとは違った声色。
それでも、訝しげな表情をしながら、彼はわたしの身体を支えてくれていた。
どうやら、わたしは倒れたらしい。
「そ、走馬灯のようなものを見た」
「……大丈夫じゃないのは分かった」
先ほどの見たものが何か……。
それはわたしにも分からない。
もしかしたら封印されていた過去の記憶とやらも一緒に見たのかもしれないけれど、それも断言はできなかった。
何故なら、今の自分より少しだけ高い位置からの目線だった映像もあったから。
「記憶の混濁が見られているようだな。やはり、封印の影響はあったか」
雄也先輩がまじまじと見ている。
「ほんの僅かだけど、体内魔気の流れ……、変調が分かった。早くここを離れた方が良いかもしれない。大丈夫だとは思うが、敏感なヤツなら何かを察するかも知れねえ」
水尾先輩が後ろを向きつつそんなことを言った。
あのグロッティ村から出てくる人間たちを心配してのことだろう。
「そうだな。九十九、そのまま彼女を連れてこい!」
「分かった」
九十九は雄也先輩の言葉を聞き入れ、わたしの身体を引き寄せる。
「お? もしかして、お姫さま抱っこってやつか?」
どこか嬉しそうに言う水尾先輩の言葉を深く考える前に、わたしの身体は宙に浮き、そして、そのまま九十九の肩に担がれた。
もうおなじみとなっている米俵を担ぐスタイルである。
いや、流石にわたしの重量は米俵のように60キロもないけど!
「いや、少年……。流石にそれはないだろう」
水尾先輩のどこか呆れたような声。
「これが一番、荷物を持ちやすいんですよ」
「に、荷物!?」
間違ってはないけれど、否定はしたい乙女心。
「お前の状態がまともじゃねぇから仕方ないだろ。この状態が嫌ならとっとと起動しろ。手足に力が入ってない状態の人間ってかなり重いんだぞ!」
「お、重っ!?」
先ほどから事実を言ってるんだろうけど、あまりにも直接的すぎる言葉が並んでいる。
毎度のことながら、彼はもう少し言葉を選んで欲しい。
しかし、九十九の肩に担ぎ上げられても、一切の抵抗なく、だらんと下がっている両腕と両足。
それらをなんとか動かそうとしてみるけど、その気配すらない。
なんとなく、演劇部がやっていた人形のパントマイムを思い出した。
「これはこれで、青春だなあ」
「……青過ぎるだろう」
前方を歩いて行く二人のどこか他人事のような声が風に乗って届く。
九十九は、「重い物」を担いでいるにも関わらず、わたしが歩くよりもかなり早いペースで前に進んでいるのが変わっていく地面だけでも分かる。
完全なるお荷物。
それも、重量感溢れる物らしい。
そんなわたしは仕方なく黙って目の前にある彼の背中を見るしかなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
 




