思い込む御令嬢
「でも、それはそれとして、シオちゃんは、アキのことを絶対、好きだよね? それは間違いないと思うんだよ」
何故か、マリアンヌさまからそう断言された。
でも、このしつこいほどの念の押し方は、そう思い込もうとしているだけのような気もする。
そんな彼女の真意はどこだろう?
「そうじゃないと、アキが救われない」
「救われない……ですか?」
わかりやすい釣り針だけど、食いついてみる。
多分、ここが核心だと思うから。
「シオちゃんが愛さないと、アキは誰にも愛されないままじゃないか」
ぬ?
結構、失礼なことを言ってませんか?
そして、前後の繋がりが分からない。
わたしがアーキスフィーロさまを愛さなければ、アーキスフィーロさまが誰にも愛されないまま?
いやいやいや、そんなことはないだろう。
あれだけ魅力的な殿方なのだ。
わたしが愛さなくても、いつか、他の誰かから愛されると思う。
「シオちゃんも気づいたとは思うけどね。第二王女殿下のアレは、アキが御自分の思い通りにならないからなんだと思う。愛じゃない。単なる征服欲だよ」
わたしが変な顔をしていたのか、マリアンヌさまがそう付け加えた。
うん、それはわたしもそう思っていた。
あの第二王女殿下の言動は愛とは違う。
アーキスフィーロさまを屈服させたい。
従えたい。
そんな欲望で溢れていたから。
「マリアンヌさまは、アーキスフィーロさまのことを愛されなかったのですか?」
だから、わたしも直球で聞いてみた。
わたしだけが探りを入れられるのは割に合わないから。
「貴族同士の縁談に、愛があると思う? その辺りは、やっぱり可愛いよね、シオちゃん」
案の定、そう微笑まれる。
だけど、わたしは覚えている。
わたしは、中学時代の彼女たちを見ていたのだから。
「わたくしは、中学時代にあなたさまから、全力全開の惚気を聞かされた覚えがあるのですが?」
「やだな~。あんな戯言を本気にしたの?」
マリアンヌさまはコロコロと笑った。
うん、あの時のわたしは本気にしたのだ。
だから、こう口にしてみる。
「アーキスフィーロさまってかっこいいですよね? それは、マリアンヌさまもご存じでしょう?」
「え……?」
突然のわたしの言葉にマリアンヌさまは笑うのをやめた。
いや、表情が抜け落ちた……、と言うべきか?
「顔も美しいし、黒い髪の毛はとてもさらさらです。意外とまつげも長いですよね? いつも凄くお優しいですし、その所作は綺麗で見惚れてしまいます。弓道をしているためか、姿勢もとても良いですね」
「し、シオちゃん?」
「声も落ち着く低音ですし、性格も穏やかで怒ることはほとんどありません。声を荒らげる姿を見るのは、無遠慮な自分の従僕を咎めるときぐらいでしょう。何よりも……」
わたしは、そこで一度、言葉を切って……。
「一度、見たら幸せになれる、あの笑顔がとても魅力的だと思います」
マリアンヌさまに向かって笑って見せた。
「その、言葉……」
どうやら、お気づきのようだ。
「中学を卒業する前に、わたくしに向かって、そう叫んだ方がいらっしゃいました。魅力的な恋人で、とても心配だという言葉とともに……」
これは、わたしが髪を切った後に、マリアンヌさまから面と向かって言われた台詞だった。
三年以上も前のことだから、細部はもちろん違うだろう。
だが、わたしも同意できる点があったから、ある程度は覚えているとは思う。
尤も、自分が幸せになれるような笑顔なんて、あの頃も、今も、まだ一度も見たことないのだけど。
アーキスフィーロさまの感情表現は、とてもささやかである。
そのために、満面の笑みや、嫌悪感で歪むような顔を見たことはない。
今後、わたしがそんな表情を見ることはあるのだろうか?
「言った本人が忘れていたようなことをよく、覚えていたね」
「とても、印象的でしたから……」
ここまで堂々と惚気られると、いっそ清々しいとさえ思った覚えがある。
「尤も、わたしがアーキスフィーロさまのことをどう思っていたとしても、マリアンヌ=ニタース=フェロニステさまには関係のない話だとは思いますが」
もう婚約を解消して、他人の状態だ。
確かに幼馴染だったとしても、無関係であることは変わりない。
「それに、今後、アーキスフィーロさまが誰からも愛されなかったとしても、それを気にするのはご本人だけでしょう?」
あの様子だと本人は気にしない気もする。
寧ろ、当然だと思い込んでしまうだろう。
たから、マリアンヌさまが心配される気持ちも分からなくもないのだけど、それを口にされるなら話は別だ。
まだ公に言っていないし、知っているのは身内と王族ぐらいっぽいけれど、わたしはアーキスフィーロさまの婚約者候補の身である。
それなのに、余計な口を挟むというのなら、迎え撃つ必要があるだろう。
「シオちゃんは、愛さないの?」
わたしは再会したその日のうちに、本人から、妻として愛することはできないと言われておりますけどね。
だが、それを口にする気はない。
それはこちらの事情だから。
「居候の身にそこまで求められても困ります」
それこそ、余計なお世話というやつである。
勿論、「婚約者候補」として、必要とあれば、そのように振る舞うつもりではある。
あのでびゅたんとぼーるがそうだった。
今後もあの時のように、同行者が必要な時や、周囲の風除けを願われればそれに応じることだろう。
そして、アーキスフィーロさま自身も大事にするつもりもある。
これだけお世話になっているのだ。
それ自体は、自然にそうなるだろう。
自分に対して気遣いをしてくれるし、尊重もしてくれる上、ある程度の許容もしてくれる人間に対して何の感情も抱かないはずがない。
でも、異性として心を寄せるかどうかは全く別の話だとは思う。
良い人だと思う。
魅力的でもある。
自虐的だったり、後ろ向きなところもあるけれど、自分自身とその過去の全てに折り合いをつけて頑張っている人だ。
それでも、なんだろう?
やはり、何かが違う……と自分の中で思ってしまうのだ。
だから、これはアーキスフィーロさまは悪くない。
単純にわたし自身の問題なのだろう。
「それなんだけど……、シオちゃんはどうしてロットベルク家で居候なんかやってるの?」
「トルクスタン王子殿下から頼まれたからですね」
だから、婚約者候補となった。
トルクスタン王子はこの国で味方の少ないアーキスフィーロさまを支えてほしいという意味もあったのだろう。
だけど、マリアンヌさまのように愛してほしいと願われたわけではない。
だから、引き受けたようと思ったのもある。
強制されて誰かを愛せるとは思えなかったから。
分かりやすい政略結婚なら、いろいろ諦めもつくしね。
そして、トルクスタン王子の方も、これは一種の政略結婚のようなものと考えていたのだと思う。
だから、互いに大切にしあう心というのは大事だけど、愛し愛される必要性までは考えていないだろう。
そして、自分の恩人でもあり、兄の名誉を守ったらしいわたしを野放し……、もとい、そのまま放置ができないというお節介な面もあった。
加えて、わたしならアーキスフィーロさまを好きにならなくても、邪険にしないだろうという思惑もあったと思う。
トルクスタン王子は、他人であるわたしのことよりも、自分のことを考えるべきじゃないかとは思うけどね。
「トルクスタン王子殿下から頼まれなければ、アキに会うこともなかった?」
「ありませんでした」
その前からローダンセに来ることにはなっていたけど、トルクスタン王子がわたしたちを会わせようと考えない限り、出会うことはなかっただろう。
アーキスフィーロさまはあの部屋からほとんど出ない方だったのだ。
あの人の生活の全ては、あの部屋で完結している。
だから、トルクスタン王子の連れとしてロットベルク家に暫く滞在していても、わたしたちが偶然出会う機会すらなかった。
まあ、魔獣退治とかするために外出はしているっぽいけど、それもわたしが寝ているような時間だからね。
「アキのことを本当になんとも思っていない?」
「信頼できる人だとは思っております」
いきなり押しかけてきたわたしを追い返すこともなく、受け入れてくれた。
それどころか、過分な心遣いをもらっている。
こちらが心配になるほど信用されている。
背後にいる臨時侍女の存在がその証明だろう。
自分の護衛や補佐を一時的に外してまで、わたしを気に掛けてくれた。
「信頼、信頼か~。信頼ね~」
マリアンヌさまはわたしの言葉を何度も反芻した後で……。
「ま、今はそれでいっか」
そう結論付けたのだった。
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