予想外な御令嬢
マリアンヌさまは額を押さえながら……。
「想像以上に、シオちゃんにはいろいろな秘密がありそうだ」
そんな当然のことを口にする。
「他国からやってきた上、この国の貴族街にあるような家にお世話になっている時点で、それなりの繋がりがないと難しいでしょう?」
庶民が友人宅に遊びに行くようなものとは次元が違うのだ。
貴族が客人を招くなど、ある程度信用がないと無理だし、長期滞在させるなんて、親族、身内ぐらいしかないだろう。
「……言われてみればそうだね」
わたしの言葉に、マリアンヌさまは納得したようだ。
「ところで、そろそろマリアンヌ=ニタース=フェロニステさまのご用向きを伺ってもよろしいでしょうか?」
わたしを「高田栞」だと認識した上での呼び出しだったなら、今更、人間性の確認のようなことはしないだろう。
それに先ほどから隠されることもなく積極的にわたしからいろいろ聞き出そうとしている。
これが当人の意思なのか。
父親である宰相閣下の思惑があるのか。
現時点では分からない。
だが、いくらお貴族さま相手であっても、わたしは一方的に情報を与えるつもりはないのだ。
「ああ、そうだった。シオちゃんと話していると、いろいろ気になることが多すぎて、肝心の主題を忘れるところだった」
やはり、どれも本題ではなかったらしい。
「回りくどいことを言っても、誤魔化されそうだから、単刀直入に聞くね?」
マリアンヌさまは、背筋を伸ばしてわたしを見据える。
「シオちゃんは、アキのことが好きなの?」
「アキ?」
この場合、季節のことではないだろう。
多分、アーキスフィーロさまのことだとは思う。
それが分かっていても、わたしは聞き返した。
不意に思い出す。
―――― でも! シオちゃん、アキのこと、好きだったでしょ!?
あの時も似たようなことを聞かれた覚えがあった。
それももう、遠い昔の話だ。
「ああ、ごめん。アキじゃ通じないか。もう何年も経っているからね。えっと、アキっていうのは、アーキスフィーロ=アプスタ=ロットベルク、ロットベルク家の第二令息のことだよ」
「アーキスフィーロさまのことですか? 嫌いではないですよ」
好意があるかないかで言えば、ある方にはなるだろう。
だが、まだそこまで深みのある感情は持ち合わせていない。
中学時代は、交流らしい交流はなかったし、再会してからは……、婚約者候補となったけど、それも、「愛することはできない」と言われた上での話だ。
「ああ、でも……、顔は好きな方ですね」
綺麗な顔をしているとは思っている。
その分、苦労しそうだなとも思っている。
実際、苦労が尽きないことは聞かされていた。
でも、同情すべき点は多々あったとしても、それだけで好き嫌いに発展はしないだろう。
いくらわたしでもそこまで単純ではない。
いや、恋に落ちるのは、結構、そのきっかけは単純だったりすることは知っているけど、今回はそれに該当しなかったということらしい。
少なくとも、現時点のわたしは、アーキスフィーロさまに恋はしていないと思っている。
「好きでもないのに、同じ家に住んでいるの? それって、変じゃない?」
探りを入れるにしても、もう少し段階を踏むかと思っていたが、いきなり突っ込んできた。
しかし、婚約者とかそういった観点からでなく、恋人っぽい立ち位置で考えられていることはよく分かった。
でも、好きじゃなくても同じ家に住むことはあるだろう。
具体例を挙げるなら、住み込みの使用人とその家族だ。
料理人とかは朝が早いため、住み込んでいた方が何かと都合が良かったりする。
逆に、好きだとしても、その家の家族でも使用人でもない赤の他人が同じ家に住むのはおかしいと思う。
縁もゆかりもない全くの他人を同じ家に住まわせることはかなり難しい。
それに、警備上とかの問題で、同居の許可をするのはその家の当主さまではないのだろうか?
だから、息子とは言っても、勝手に住まわせることはできないと思っている。
尤も、それはわたしの感覚であって、マリアンヌさまは違うのかもしれない。
「住んでいるというか、お世話になっているというか。カルセオラリアのトルクスタン王子殿下が親戚であるロットベルク家に滞在する以上、その連れの一人であるわたしが下手なところには行けません」
わたしが婚約者候補に収まっていることは、アーキスフィーロさまはマリアンヌさまに告げていないのだろう。
ロットベルク家としても、王家に報告はしているっぽいけど、既に縁が切れているフェロニステ家にわざわざ伝えていないのだと思う。
だから、数ある理由の中から、最も無難な答えを口にした。
トルクスタン王子やその従者たちは、親戚であるロットベルク家に滞在していることになっている。
実際、水尾先輩と真央先輩は、部屋こそ専属侍女として宛がわれた場所ではあるが、トルクスタン王子の近くにいるのだ。
九十九や雄也さんも、その近くにトルクスタン王子の従者用としての部屋があるらしい。
流石、お貴族さまのお屋敷は部屋数が多いと思う。
つまり、トルクスタン王子が連れてきた人間の中で、わたしだけが離れている形になる。
一応、名目上はアーキスフィーロさまの婚約者候補であるためだ。
本来なら、トルクスタン王子が滞在中の部屋から離れた客室に案内されるところだったが、いろいろな理由からアーキスフィーロさまの私室を改造して部屋を作ってもらったために、アーキスフィーロさまの私室にかなり近い。
ただそれをこの場で言うつもりもなかった。
そんなことを言えば、余計な誤解を招くことは確かだろう。
面倒ごとは避けたい。
「でも、シオちゃんは、中学の時、アキのことを好きだったでしょう?」
「どうでしょう?」
それはわたし自身もよく分かっていない。
寧ろ、知りたいぐらいだ。
初恋とも違う感覚だったことは確かだし、ちょっとだけ普通の同級生とも違う感情を抱いたことも否定はしない。
———— その綺麗な黒髪、似合っているのに切るのは勿体ない
初めて……、長いだけのわたしの髪を褒めてくれた異性。
そういえば、アレ、なんだったんだろう?
でも、流石にアーキスフィーロさまはもう覚えていないよね?
「あの時にも聞いた気がするけど、私と付き合い出したって話を聞いたから、あんなにも長かった髪を切ったんじゃないの?」
「いえ、髪はちょうど切りたかった時期だったのです」
もとは、確か、何かの願掛けだった覚えがある。
願いが叶うまで切らない! ……みたいな、小学生っぽい感情。
でも、伸びる頃には、その願掛けがなんだったのか、すっかり忘れていた気がする。
その程度の願掛けだったのだ。
それに、かなり重くなっていた。
一本、一本は大した重さじゃなくても、腰まであると、それなりの重量である。
三つ編みなど、髪を一つに纏めて振り回すと、結構な凶器となるのだ。
「受験直前に?」
「受験直前だったからだと思います」
髪を切りたくなったタイミングと、近所の美容室が安くなった時期が一致しただけだった。
いや、その裏にもいろいろあったけれど、今となっては大したことではない。
その結果、わたしは九十九と出会い、今の人生を選択した。
後悔したことが全くないとは言わないけれど、満足はしている。
それに、あの時、九十九と会わなければ、その先にあったのは確実なる悲劇だった。
だから、今は、あの時の選択は間違っていないと胸を張って言い切れる。
「高校入学と同時よりは、都合が良い時期だったのは確かですよ」
美容室の激安な日だった。
それ以上のきっかけはない。
「ですから、わたくしが髪を切ったのは、アーキスフィーロさまには関係ございません」
それは、あの時期、ワカにも言ったことだった。
尤も、あの髪を切った日に、人生そのものが変わってしまったから、正直、それどころではなくなったというのが正しいのかもしれないのだけど。
「それに、誕生日だから、なんとなく気分を変えたくなったと思うのはおかしいですか?」
「え? あ? あれ? 誕……?」
わたしの問いかけに、マリアンヌさまが目を白黒させた。
その意外な反応にわたしの方が戸惑ってしまう。
「あ……、そういえば、シオちゃん。三月生まれだった……」
知っていたのか。
それはちょっと意外だった。
教えたことはなかった気がするのに。
「あの頃、ケイちゃんが、『耳の日』はちょっと特別な日だって言って、二年生の時に変な劇を……」
さらに、ここで、演劇部のワカが登場するとは思わなかった。
そして、一般的な「ひな祭り」よりも「耳の日」って辺りが、素直じゃないワカらしい。
マリアンヌさまも演劇部だった。
それも三年時には副部長だったのだ。
だから、部長だったワカのことを覚えているのは当然だろう。
しかし、変な劇ってなんだろう?
ちょっと気になる。
「ホントに……、あれは、偶然、だった……?」
まさか、三年も前のことをここまで引っ張られているとも思っていなかった。
尤も、あの仕組まれた激安セールを偶然と言って良いかは謎だけど……。
「どれのことかは分かりませんが、先ほども言ったように、あの頃、わたしが髪を切ったのと、アーキスフィーロさまは無関係です」
これだけはちゃんと主張しておいたのだった。
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