会食前の御令嬢
「これで、この中の音は漏れないし、この外の音も聞こえないし、その起動中の通信珠も外に通信できなくなっているからね」
青い石を使って結界を張った後、マリアンヌさまはそう言いながら、わたしの胸元を指した。
だけど、わたしには心当たりがない。
本日は背後に専属侍女がいるから、通信珠は必要ないと思って起動させていないのに。
「なんのことでしょう?」
わたしが問い返すと……。
「ああ、そういうの良いから。ボクの眼を誤魔化せると思わないで」
マリアンヌさまは溜息を吐きつつ、そう答えた。
「これは、今、動いていないはずなのですが……」
そう言いながら、見えにくい紐で首から下げている袋に入れていた通信珠を取り出す。
わたしが本日持っているのはこの通信珠だけ。
だから、これのことだとは思うけど……。
袋から転がり出たのは、仄かにオレンジ色に光っているけど、やはり、動いていない通信珠であった。
「何、これ?」
マリアンヌさまはその通信珠を見て、茫然としながらそう口にする。
その表情から、想像と違うものが出てきたらしい。
だが、これ以外の物となると、別の袋に入れている紅い魔力珠しかない。
でも、そっちは同じ球状であっても、通信珠ではなかった。
そして、万一に備えて雄也さんと連絡を取るための通信珠は、背後にいる九十九さんに渡しているからわたしは持っていないし、そちらも起動していないはずだ。
今回、通信珠を事前に起動させなかったのは理由がある。
この会談に臨む前、ルーフィスさんが言ったのだ。
―――― 制御石、御守り以外の魔石の類は持たない方が良いでしょう
それは、ルーフィスさん独自の情報からだと思う。
よく分からないけれど、マリアンヌさまは特殊な能力を持っているっぽい。
ルーフィスさんは、それを予測、もしくは確信しているのだろう。
そして、それをヴァルナさんも聞いていた。
尤も、ヴァルナさんは護衛も兼ねているから、魔石や魔法具の備え自体は悪いことではないと思って、起動していない状態のを預かってもらったのだ。
ロットベルク家に置いてくるのは不安だったからね。
「それは、『近距離専用小型送信珠[ANR-K-30型―T]』です」
以前、九十九が書き止めてくれた言葉を思い出しながら、そう答えた。
わたし自身は識別魔法の結果を覚えていないが、側で聞いていた九十九は別だ。
そして、それを紙に書いてくれた物を見直せば、わたしでも記憶することは可能となる。
アルファベット部分に自信はないが、彼女は九十九ではない。
流石に通信珠の正式名称なんて知らないと思う。
「そ、送信珠?」
そうそれは通信珠ではないのだ。
「はい。魔力を登録している相手にしかこの声は届かないようになっております」
勿論、「送信珠」は、公的な名前ではない。
わたしの識別結果でしかない名称である。
だけど、相互通信ができないのだから送信珠で間違いはないだろう。
「そのため、これは誰からの通信も受信もできません」
「それって、何の意味があるの?」
訝し気な顔をしながらマリアンヌさまはそう尋ねてきた。
「ナースコールですね。ピンチの時に魔力登録者に、自分の声を届けてくれますから」
普通の人には必要のない機能だ。
だが、わたしがピンチの時には何度も助けてくれた。
それは三代目だけれど、初代、二代目を含めて、本当に心強いお守りである。
持っているだけで落ち着くのだから。
だから、手放す気はない。
それを知っているから雄也さんは、この国に来て間もない頃に、透明で擬態効果のある紐をくれたのだと思う。
魔法具ではなく、魔獣の素材から作られたというソレは、保護色の効果があるのか、わたしの肌や、身に着けている服の色に同化する。
これによって、常に身に着けていても違和感はないのだが、マリアンヌさまには気付かれたらしい。
「魔力登録……? ああ、それで……」
マリアンヌさまはその送信珠をわたしに返しながら……。
「ごめん。シオちゃんを疑った」
何故か、謝ってくれた。
「いえ、それが普通でしょう?」
久しぶりに会う相手が、何も言わずに魔力を帯びた怪し気な道具を持っているのだ。
それを気にしないわけがない。
そうなると、マリアンヌさまの能力は魔力を視る眼なのかもしれない。
以前、情報国家の国王陛下も、わたしの胸元にあった九十九の魔力の気配があるのを、通信珠に込められたものとは知らずに見抜いたことがあった。
それも、酷い誤解付きで。
「怒ってないの?」
「怒るほどのことではありませんから」
寧ろ、送信珠とはいえ、持っていたことを咎められてもおかしくはないのだ。
相手はお貴族さまのご令嬢なのである。
明らかに助けを呼ぶための道具を持っているだけで、相手を疑っているに等しい。
側に送信相手である九十九がいるのだから、これも渡しておくべきだったか……と、ちょっとだけ反省した。
これが、マリアンヌさまだから、問題にされなかっただけで、相手によっては言いがかりを付けられることもあるのだ。
それが貴族社会!
……って、これは偏見ですかね?
「そっか~、シオちゃんは度量が広いね」
マリアンヌさまは無邪気に笑った。
こうして見ると、あの頃と変わらないように思える。
そんなはずはないのに。
「とりあえず、話す前に何か頼もうか?」
そう言いながら、マリアンヌさまはメニューと思われる本を渡してくれる。
考えてみれば、ここはレストランのような場所だ。
食事をしながら会話を楽しむ場所ってことなのだろう。
しかし、一つ問題があった。
わたしは、ウォルダンテ大陸言語は読めなくはない。
だが、料理名に関してはさっぱりなのだ!!
そんな情報、仕入れなかったし!!
それにこの国に限らず、外で料理を選ぶ時は、ほとんど護衛の判断に完全に任せていたし!!
その甘えていたツケがこんな形で出てしまった!!
考えてみれば、食事できる場所でお話しする時に、食べたり飲んだりするのなんて当然ですね!!
思わず、感嘆府も大活躍になってしまう。
「あれ? もしかして、ウォルダンテ大陸言語が読めない?」
「いえ、読めます」
読めるけど!
読めるのだけど!!
この名前って何?
想像もできない。
―――― 真実は目に痛い
―――― おせっかいなバカは敵より危険
―――― 賢い嘘は愚かな真実に勝る
これのどこが料理名!?
諺辞典ではないでしょうか!?
「まあ、ウォルダンテ大陸言語って独特だもんね。他国の人間には理解できないか」
そう言いながら、マリアンヌさまは机にあった石板に文字を書き込んでいく。
―――― 甘い嘘より苦い真実の方が良い
いや、だから、それってどんな料理!?
だけど、ここで素直に聞くのは多分違う。
なんとなくだけど、試されているのが分かるから。
それならば……。
―――― 同じ羽根の鳥は生まれない
目に付いた言葉を自分の側にあった石板に書くことにした。
これはリプテラでも見た言葉だ。
聖堂のような雰囲気の不思議な魔法書を売る店で、何度も何度も繰り返し見ることになった本の背表紙に書かれていた言葉。
そして、後に大聖堂でもお目にかかっている。
それは「暗闇の聖女」さまの専用の書棚で。
―――― 彼のモノは自己顕示欲の塊ですので
さらには、そんな声が蘇る。
背後にはその方とよく似た顔の臨時侍女がいることもなんだか不思議だ。
これは偶然か?
それとも必然か?
あの「暗闇の聖女」さまは、悪戯好きなところがあるから、罠かもしれない。
だけど、どちらにしても、わたしにはこのメニューに書かれた料理が分からないのだから、賭けてみても良いだろう。
酒精が入っていない限りは、わたしは何でも食べることができる人間だ。
ちょっとおかしな色合いになってしまった自分の手料理すら、ちゃんと責任を持って食べている。
流石に炭化したものは食べないけど。
専属護衛たちからも止められるし。
「ふ~ん。シオちゃんって他国の出身っぽいのに、ウォルダンテ大陸言語を読めるし、思ったよりもスムーズに書けるんだね」
マリアンヌさまは感心したように言った。
「ウォルダンテ大陸言語で返書をしたはずですが……?」
「え? アレって、シオちゃんの直筆だったの?!」
直筆ですよ。
ここにはいない専属侍女に何度も見せて、ようやく合格を貰ったものです。
「へ~、侍女とかに書かせないんだ~」
わたしの背後にいる侍女二人に向かって笑みを向け、軽く手を振りながら、マリアンヌさまはそう言った。
この結界が張られた直後、ヴァルナさんの気配が少し変化したが、今では落ち着いている。
これはわたしに害がないと分かったからだろう。
そして、マリアンヌさまが手を振ってもその気配は乱れないのは本当に流石だと思う。
だが、もう一人の臨時侍女の方はどうだろう?
マリアンヌさまのことが苦手なようだから、落ち着いていないかもしれない。
わたしに分かるのは乳兄妹であるヴァルナさんの気配だけで、精霊族の気配までは掴み切れないのだ。
「料理、楽しみだね」
マリアンヌさまは笑う。
まるで子供のように無邪気な顔で。
だから、わたしも応える。
「そうですね、楽しみです」
どこか含みのあるソレに気付かないように。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




