何もない国境
さて、薬の効果が切れたわたしたちは、大きなトラブルもなく国境と呼ばれる場所まで来たのだが……。
「本当に何もないんですね」
国境と言われた場所の、地図に薄い線が引かれていた位置には本当に何もなかった。
わたしは人間界にいたが、大陸ではなく島国で育っているため、国境というものの概念はすごく薄いと思う。
だから、イメージ的には壁とか柵とかで囲って国の境を表し、門に扉などつけて出入りしているようなものがあった。
少なくとも街道ぐらいには見張りとして警備する兵隊や他国へ出入りするために審査する人が置かれていると思っていたのだけど……。
「魔界は他国への基本的に出入りが自由だからね。国境警備隊のようなものもないよ」
「それは、大丈夫なのですか?」
雄也先輩の言葉に疑問を抱く。
魔界では他の国から良からぬことを考えている人が侵入したり、領土拡大の野心を抱いた国が進軍してきたりした時のための備えは必要ないのだろうか。
魔法があるからその辺りは無警戒になっちゃうのかな?
「そもそも人間界がおかしいんだよ。他国に行ってまで悪いことをしようとするなんて……」
「生活基盤がない別の地で私腹を肥やすリスクを背負うよりは、代々の安定した場所で定住する道を選ぶ人間の方が圧倒的に多いようだね。旅行がないのと同じ理由だろうけど、良くも悪くも一般的な人は冒険をしない」
「国の防衛もそれぞれ各国の自己責任だからな。他国が攻めてくる事自体ほとんどないけれど、魔法や結界がある分、人間界よりは警戒しやすいとは思う」
水尾先輩と雄也先輩の言葉に納得できるような、できないような気がする。
本当に何も無ければ良いが、実際にアリッサムの例もあるのだ。
警戒が緩いからそんな状態になったとも言えるのではないか、とも思ったが、流石にこの場でそんなことを口にしようとは思わなかった。
「関所を設けないことで、商人たちの自由営業を許し、そうすることで輸入や輸出も円滑に運営できて物流も滞らない。それに神官たちの巡礼や貴族の他国修行も人間界のように手続きが多いと本来の目的を果たすことが難しくなるからね」
「そうなると……、関税もないんですね」
確か、人間界にはそんな言葉があった気がする。
詳しくはよく分かっていないのだけど……。
「人や物が国を出入りするのに税をかけなくても国を運営できることが大きいかな。ある意味、魔界は資源や財政面において余裕があるってことだろうね」
雄也先輩の説明は分かりやすかった。
確かに国からや人や物が出たり入ったりすることに、国そのものが反対していなければ問題はない。
そのためには、各国が足並みを揃える必要があるけれど、この世界では今さら関税をかけてしまうと国ごと孤立する恐れもあるわけだ。
国単位ではなく世界規模の商業政策の同一化なんて簡単にできることじゃないとは思うけれど、お互いが私利私欲に走らなければそんな体制になってもおかしくはないのかな。
「まあ、細かく考えても仕方ないだろ。現状、こうなってんだから。魔界が厳しく国の出入りを審査していたらオレたちだって簡単に国から脱出しようなんて考えられなかったと思う。難しく考えずに『こんな体制でラッキー』ぐらいで良いんじゃねぇか?」
「……確かにそうなんだけど」
ちょっと扱いが軽すぎではないだろうか?
「それでも納得できないなら、発想を変えてみろ。お前が好きなRPGはいちいち国境審査をしていたか?」
「……なるほど」
九十九の言葉にすごく納得してしまった。
彼の言うRPGは、ゲームの進行上、簡単に別の国へ入れないようなイベントはあっても、基本的には出入り自由なものが多い。
その辺りは、プレイヤーにいちいちストレスを与えないための製作者たちの考え方なのだろうけど。
そう考えると、魔界でも出入り自由にしているのはお互いストレスを抱えないためなのかもしれない。
なるほど、こんな意味でも魔界はファンタジー。
分かっていても改めて人間界との違いを意識する。
「でも、何もないのに国境ってどうやって分かるんですか?」
そうなると今度はこっちの疑問。
地図だけでは正確な位置なんて分からないと思う。
でも地図を見る限り、割ときっちり真っ直ぐな線が引かれていたように見える。
「「「ああ」」」
わたし以外の三人の声が重なった。
「この先、すっげー大気魔気が変化しているんだが、それが高田は分からねえんだな」
「魔気をまったく感じられないってことだね。なるほど、これだけの空気の流れも掴めないほどなのか」
「オレでも分かるぐらい激しい変化だが……。お前にはやっぱり視えないんだな」
水尾先輩、雄也先輩、そして九十九がそれぞれ呟く。
それはいずれも大気魔気……、大気中の魔力の話だった。
そして、どうやら分からないのはわたしだけってことは理解できる。
その大気魔気とやらを感じないわたしには何も見えないけれど、普通の魔界人には何かが視えるってことだろう。
「通り抜けの影響もなければ良いんだが……」
「魔気が感じられないなら大丈夫だろ。兄貴は心配症だな」
雄也先輩の言葉に、九十九が楽観的な反応をした。
「魔気が感じられないからって、高田自身に魔気がないわけじゃねえんだろ? 先輩の心配は当然だ。国境越えについては分かってないことの方が多いわけだからな」
「九十九も徒歩で越えたことはないからな。危機意識が薄いのは当然だろう」
「……普通は徒歩で国境なんか越えねえよ。商人や神官ぐらいだろ。……ってか、先輩は徒歩で越えたことがあるのか?」
「転移門は簡単に使わせてもらえるものではないからな。隣国のジギタリスやユーチャリスには街道を使って何度か通っているよ。そんなに離れた距離でもないからね」
いや、結構、離れてましたよ?
「それなら先輩は、わざわざ歩かなくても、ジギタリスまで魔法で行けるんじゃないのか?」
「……一般的な魔界人は簡単に他国まで移動できない」
「そうなのか?」
「大陸間を移動したような水尾さんは基準外ですから」
移動魔法や転移魔法は魔界人にとっては一般的な魔法ではあるが、それらは遣い手の魔力に左右されるらしい。
普通はある程度魔法に自信があっても、数十キロぐらいが限度であり、大陸間を横断するような数千キロ単位の魔法は集団魔法と呼ばれる魔法を使えば、できる可能性はあるが、個人でできることではないと、少し前に聞いた覚えがある。
「連続転移は?」
「……連続転移をして、その都度明確な到達地点をイメージできる人間もそう多くはないと思う」
「……そりゃそうか」
雄也先輩の答えに水尾先輩は納得したようだ。
「転移魔法って連続でできるんですか?」
そんな水尾先輩と雄也先輩との会話に、わたしではなく九十九が疑問を浮かべた。
「基本的に魔法はイメージが伴えば連発できる。お前の得意な風魔法もそうだろう? 移動魔法も転移魔法も連続で使うことは可能だ。但し、どこへ移動するか分からんから普通は明確な目的地をしっかり思い浮かべるだろうがな」
「……できるのか。……って言うか、兄貴はそれを知っていたのか」
九十九が分かりやすく不機嫌な顔を見せる。
「考えれば分かることだろう? 但し、無闇矢鱈な転移魔法は他人様に迷惑をかける可能性もあるからあまりオススメはしないけれどな」
そこでわたしはふと気になった。
「明確なイメージって場所じゃなくて対象が人であっても、できるんですか? 会いたい人を思い浮かべるとそこに行けるような……」
「できるぞ。前にオレもそれでお前の所に飛んでるからな。通信珠に込められている自分の魔力も目印になったが」
わたしの疑問に九十九が答えた。
そう言えば、彼は人間界で何度もわたしの所へ移動している。
その場所をはっきり教えていない時でも、狂いなくわたしに所に現れていたのだ。
つまりは、そ~ゆ~ことなのだろう。
「は?」
ところが、そんな九十九の言葉に、今度は水尾先輩が意外な反応をしたのだった。
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