子息が知らない面
『貴女方は、どうして、いきなり倒れてしまった人間を放っておいて、すぐ傍でイチャイチャできるんですかね?』
倒れた精霊族は起きるなり、そんな明らかに皮肉が混ざった言葉を口にしたのだが……。
「特にイチャイチャした気はないのですが……」
それに対して、主人はごく普通の言葉を吐き……。
「大したことはないと判断しましたので……」
オレは、思っていたことを言わせてもらった。
先ほどまでオレたちがしていたのは、本当にごく普通の日常会話でしかないのだ。
確かに目の前で人が倒れたのだから、少しぐらいは慌てるべきなんだろう。
だが、そうなると、立場上、栞の専属侍女であるオレが動くことになる。
起こすにしても、触れることになるのだ。
そして、この目の前の精霊族は、触れることで、その相手が持つ情報を読み取る特殊能力を持っている種族だ。
情報国家ならば垂涎の能力だとは思う。
そんな精霊族に、自ら手を伸ばして、自分の情報をくれてやった主人ほど、オレはお人好しにはなれない。
何の対価もなく、オレ自身の情報を安易に渡す気など、さらさらないのだ。
だから放置した。
その判断は間違っていないだろう。
「でも、セヴェロさんはどうして倒れてしまったのですか?」
主人は曇りのない顔でそんなことを尋ねる。
彼女自身もなんとなく予想はしていた。
だが、それが正しいかは分からない。
だから、ちゃんと当人から確認したいのだろう。
だが、オレは予想ではなく確信していた。
一人では考え付かなかったが、彼女が口にした理由が全てだ。
この精霊族は、触れてはいけないモノに触れてしまった。
その影響は人間よりも大きいと思っている。
『まさか……、貴女の記憶に、あそこまでとんでもないモノたちが在るなんて思わないじゃないですか』
「どれでしょう?」
栞は首を捻った。
まず、その疑問がおかしいことに気付いて欲しい。
『思わず悩んでしまうほど、とんでもないモノたちと遭遇している部分にまず、疑問を持ってください!!』
オレもそう思う。
栞はいろいろな能力を持っているが、その中でも際立つのが、トラブルに巻き込まれてしまう能力と、突飛な発想、強すぎる思い込み、そして、それらを全て受け入れ、慣れてしまうほどの適応力だ。
オレや兄貴も慣らされてしまった感はあるが、それでもそこは「この主人なら止むを得ない」という、前提があるからだ。
それぞれがいきなり遭遇して、許容できる範囲など、とうの昔に超えているが、何が遭っても、「この主人だからな」と思えば、ほとんどのことは乗り越えられるだろう。
寧ろ、「どうしてこうなった!?」と驚きの叫び声を上げるだけで済んでいるこの主人は、明らかに感覚がおかしい。
「今代の大神官さまですか?」
『まず、「神扉の守り手」が最初に出てくるという点がおかしい』
「縁が深いだけですよ」
だが、その縁が齎した出来事が強すぎる。
オレは栞の過去を視た限りでも、出会いに関する話が、既に普通ではなかった。
人間界にいた頃、記憶を封印中の栞が母親に連れられて、たまたま行った場所に、隣国の王族と、後の大神官になる男と同時に出会い、さらに、人間界にいるはずのない魔獣に襲われるなど、ツッコミ所しかない。
しかも、人間界はこの世界の神の手が届きにくい場所でもあった。
それなのに、仕組まれたかのような偶然の積み重なりが、ただ「縁」の一言だけで片付けられるものか。
さらに言えば、その縁がなければ、今の栞やオレたちはない。
普通ではありえない細い繋がりが、太く大きな力を引き寄せたことは間違いないだろう。
「他には……、『暗闇の聖女』さまでしょうか?」
『その名前は以後、お控えください』
どうやら、苦手らしい。
気持ちは分かる。
オレも苦手だ。
兄貴も多分、そうなのだろう。
何しろ、「人類の天敵」とまで言うような相手なのだから。
「それ以外だと……」
『貴女は、人の身で、神や精霊と関りすぎです』
どうやら、このままでは埒が明かないと思ったのか、栞の発言を制止させる。
「好きで神や精霊たちと関わっているわけではないんですよ?」
『分かっていますよ。そのほとんどが貰い事故のようなものだと。それでも……、「導き」はともかく、「白」はありえません!!』
「あの方も勝手に現れたのですが……」
栞が戸惑うのも分かるが、この精霊族が言いたいことも分かる。
普通の人間は、精霊はともかく、神と接する機会などない。
神官や神女と呼ばれる神を信仰しているヤツらだって、そのほとんどは、生涯、会うことはないだろう。
精々、大聖堂で、その姿絵を拝むか、柱として支えている彫像を磨くことしか許されていないのだ。
だから、大神官と出会って、僅か三カ月ほどで「神降ろし」をしやがる女なんて、「規格外」という表現では収まってくれないとは思っている。
『「白」の姿は、何も精霊族風情が視て良いモノではありません』
「それで、倒れたのですか?」
『ソレと思われるモノを認識する前に、脳が受け入れることを拒否しました。そして、ボクの意識が強制的にシャットダウンさせられたようです。その映像の欠片も残っちゃいません』
どうやら、創造神の姿が原因だったらしい。
そんな気はしていた。
オレや兄貴も彫像を通して視ただけで、直接、会ったわけではない。
しかも、その姿の細部を脳に留めることはできなかった。
覚えているのは、ただ、白かったことだけ。
そして、栞は、大聖堂の部屋でその化身と接したらしいが、その化身の姿は覚えていても、創造神そのものはやはり曖昧らしい。
絵に描けないと言っていた覚えがある。
それだけ、視てはいけないモノで、覚えても良くないモノなのだろう。
だから、栞の記憶を通して、それを視ることになる前に……、この精霊族はぶっ倒れてしまった。
そういうことなのだと思う。
しかし、微妙に人間染みたことを言いやがるな、この精霊族。
「えっと……、それは申し訳ないことを?」
栞も困っている。
精霊族にとって衝撃的な出来事だろうし、かなりの情報量であることは認識していただろうが、そこまでのことだったなんて、彼女にとっては予想外だったのだろう。
『ボクが勝手に読もうとしただけです。そこはボクが悪い。貴女は謝る必要はありません』
虎の尾だとは分かっていただろうが、好奇心に負けて踏んでしまったのは、実は神獣の尾だったようなものだ。
だが、まさかそんな「神子」と呼ばれる人種が、その辺の庶民面をしているなんて考えない。
そう言った意味では栞も悪いと言える。
『その気配や教養の深さから、橙の王族だとは思っていたんですよ。だから、精々、その辺の情報だけでも、読めればと思っていたのに、まさか、「白」の加護持ちだったなんて……』
前に会った精霊族は見ただけで、ある程度、相手の加護まで看破した。
尤も、栞については、かなり深く視なければ読めなかったことを思い出す。
魂がブレているとかなんとか言われていたが、もしかして、それは創造神の加護が邪魔をしていたのか?
「セヴェロさんの能力は、全部、読めるわけではないのですか?」
『ボクは純血ではないことは言いましたよね? つまり、ただの先祖返りなので、触れた相手の全ての過去までは読み取ることはできません。心の声と同じように、途切れがち、断片的に視覚情報、聴覚情報が流れ込んでくるだけです』
つまり、栞の全てを見抜いたわけではなかったらしい。
そのことに、少しだけ安堵する。
『だから、分からない』
黒髪の精霊族はその前髪を揺らす。
『何故、貴女は、アーキスフィーロ様に庇護を求めたのですか? 全く、必要がないでしょう?』
それは射抜くような瞳。
この精霊族からすれば、ごく自然に思い浮かぶ疑問なのだろう。
どれだけの情報を読み取ったのかは分からないが、もっと大きな権力を持ったモノたちと繋がることができるのは確かだ。
「必要ですよ」
だが、栞は迷いなく答える。
「わたしが、護りたいものを護るために」
それも、これまでにない強い瞳で。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




