子息の従僕の誤算
世の中には思い通りにならないことなんてたくさんある。
それは理解していた。
いや、理解しているつもりだった。
だが、ここまで思い通りにならない人間たちは初めてだ。
ボクには人間の心の声が流れ込んでくるという性質がある。
それはずっとウザったいだけだと思っていた。
強い思い……、それも、汚い感情ほど、はっきりと聞こえてくるから。
だが、今、熱烈に思う。
―――― こいつらの心が読みたい!!
そんな泣き言めいたことを。
心の声が全く聞こえないわけではないのだ。
寧ろ、聞こえる時は無駄に大音量で聞こえてくる。
だけど、それぞれが何らかの対策をしているために、雑音が入った声の方が圧倒的に多い。
主人の方は、身に着けているモノが規格外であるためだろう。
どんなコネやツテがあれば、神力を宿した銀の鎖なんかを腕に身に着けることが許されるのか?
高位の神官でもありえない。
それだけでなく、その全身を包み込むような法力の気配があるのだ。
恐らく、それは彼女自身が身に着けている装飾品の効果だろうとは思っている。
一見、ただの魔力を制御するための魔石が付いた装飾品の数々だが、その魔石部分ではなく土台の方に精霊族の能力を弾くような効果が見え隠れしていた。
普通は魔石に頼るのに、それをせず、土台に処置がしてあるということは、精霊族に詳しい人間が作ったものだと考えられる。
そこまでしているにも関わらず、心の声が聞こえてくることがあるのは、それだけ当人の意思が強いためだろう。
もし、あれらの装飾品がなければ、どんなに多くの人間たちの中にいても、彼女の考えしか流れ込まないという異常事態になってもおかしくはない。
心の声を聞いてしまう自分としては助かるとは思う。
尤も、あの主人は、考え方が突飛だし、心の声は大きすぎるし、思考回路に至っては、「どうしてそうなった? 」と問い質したくなるような変遷を遂げるが、そこに汚い感情はない。
居心地は良いし、心の声は聞き取りやすく、考え方も人間にしては汚くないのだ。
当人は黒いつもりでいるが、まだまだ甘いと言えるだろう。
汚れを知らないわけではない。
悪意に晒されたこともある。
害意も敵意も殺意も他者から向けられたこともあるようなのに、その心は曲がることなく、良く言えば真っすぐに、悪く言えば頑固に我が道を進んでいるようだ。
そして、そんな異常な主人に仕えている侍女たちも、やはり、異常としか言いようはなかった。
その主人から分け与えられたのか、あるいは、元の主人から贈られたのかも分からないが、こちらは分かりやすくその全身に精霊族対策が施されている。
その身体のあちこちに隠されている銀製品の暗器の数々は、そのほとんどが既製品ではないだろう。
そして、どこで手に入れたのかと思うぐらい、法力を帯びている。
当人たちに法力の気配はあまり感じないために、やはり、他者から手に入れたのだろう。
そこまで感覚が鋭くないため、断定することはできないが、この侍女たちに法力があっても、準神官止まりだと思う。
正神官に上がるほどであれば、精霊族が気付かないはずがない。
法力は生まれつきの才能だ。
そして、人間ならともかく、神の遣いであるという精霊族の眼を欺くことはできない。
つまり、この侍女たちに法力の才はないと断言できる。
それを補うだけのナニかはありそうな気配はあるが、分かりやすく法力という形にはならないだろう。
どちらかといえば、精霊族とか同族の力に似ている気がして、探りを入れてみたが、そこはしっかり躱された。
もともと心の声だけを頼りに会話をしている人間が、言葉だけの誘導で、目的を引き出そうというのが間違いであるのだが。
仮に、当人が言っていたように、どこかで精霊と縁があったとしても、人間が精霊の祝福を受けることなど、そう多くはない。
本当に精霊の祝福を受けていたなら、相当、相手の精霊から気に入られたことになる。
「精霊の祝福」と呼ばれるモノは、力の一部を分け与える行為だ。
その分、その精霊の魂を削ることになる。
自分だったら、たかが人間にそこまでする気にはなれない。
精霊族は王族と呼ばれる人間以外を下に見る傾向にあるという。
自分は精霊族の血が流れているだけで、精霊族の群れにいたこともない。
存在を認識した時には、既に、自分は一人だったのだ。
だから、親の顔なんか知らないし、血を分けた兄弟姉妹がいるかどうかも分からなかった。
心の声が聞こえなくても、その人間が持つイメージを読めなくても、それは接触していない時だけだ。
その魂に触れることが許されれば、「水鏡族」に読めない心はない。
水鏡に映すかのように、その感情が流れ込んでくるのだ。
だから、この言葉を口にする。
『シオリ様に触れることをお許しください』
「お断りします」
何故か、当人ではなく、侍女から断られた。
いや、立場上、それは当然だけど、返答が早過ぎないか?
今のは、既に準備していたよな?
予測されていたのか?
『え~? 別に邪な気持ちなんてないですよ? それに、ボクに性別なんてあってないようなものじゃないですか』
「今のセヴェロ様は男性です。未婚の異性である栞様に触れることは許されません」
正論ではある。
だが、そこに見え隠れするナニか。
この侍女たちは、主人を過剰なまでに護っている。
「イメージのためですよね? それならば、仕方ないのでは?」
だが、その思いは、主人自身には届かないらしい。
「『水鏡族』は、触れることで、相手の全てを理解してしまうという能力を持っております。許可できません」
どうやら、この侍女は、「水鏡族」の能力を知っているらしい。
こう言っては何だが、「水鏡族」は、そこまで有名ではない種族だ。
人間が勝手に作った区分の中では、中級精霊と呼ばれる位置に属しているが、名も能力もそこまで知られていないと聞いていた。
「わたしには、知られて困ることなんて……」
「栞様?」
侍女の緑色の瞳が細められる。
―――― 何、寝ぼけてんだ!?
相当、強い思いだったらしく、心の声が流れ込んできた。
数々の自衛すら通過するほどの感情。
それは察したのか、主人が少し考えて……。
「多分、全部読んだら、セヴェロさんが後悔するとは思いますけどね」
邪気のない笑みで、そんな不吉な予言をした。
『後悔……とは?』
「美しく気高いモレナさまをご存じでしょう? その方を超える厄介な存在すらも知ることになります」
さらに、続けられる言葉。
そこに口頭で付け加えられた余計な情報だけで、既に及び腰になってしまいそうになる。
彼女が口にした存在は、精霊族たちの中でも危険人物とされていた。
精霊族でありながら、人間たちと接触する。
人間たちと接しながらも、精霊族としての役割を忘れない。
神にも頭を垂れない誇り高き「魂響族」。
そんな存在を超える厄介な存在なんて、そう多くはない。
そして、この女性は自分に都合の良い嘘は言わないだろう。
少なくとも、彼女自身は本当にそう思っている。
『あ~。やはり、シオリ様よりヴァルナ嬢に触れたいかもしれませんね』
「それこそ、主人として許せません。それよりは、わたしで我慢してください」
そう言って、手を差し伸べた。
これは罠か?
それとも、別の意図があるのか?
「栞様!!」
「黙って、ヴァルナ。あなたよりは、わたしの方が良い」
この女性は基本的に腰が低く、人当たりも良い。
だが、時折、このように、貴族……いや、王族に似た空気を出す。
「セヴェロさんを巻き込みましょう」
そう言って微笑みながら手を出す姿は、純朴で何も知らない少女のようでもあり、妖艶で相手を狂わす悪女にも見える。
この手に触れたら、恐らく、もう何も知らなかったふりはできなくなるだろう。
そんな予感がした。
取引を持ち掛けた側であるにも関わらず、何故、そんな風に思ってしまうのだろうか?
だが、退くことはできない。
たかが、魔力が強いだけの人間に気圧されるなんて、そんなことは自分の矜持が許さなかった。
だから、手を伸ばす。
ごく普通の小さく白い女性の手。
そこに何か黒い気配を視た気がした。
「知ってます? セヴェロさん」
その手に触れる瞬間。
「精霊族は、『聖女』に逆らえないんですよ?」
そんな決定的な言葉を口にされ、襲い来る大量の情報に呑み込まれたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




