子息の従僕からの提案
『そんなわけで、本日はよろしくお願いします、ヴァルナ嬢』
「意味が分かりません」
セヴェロさんが挨拶をしても、ヴァルナさんはその表情を崩さない。
そして、いつものようにキレのあるツッコミは健在である。
知らない人が見れば、ヴァルナさんという女性はクールビューティーと呼ばれる種類の人間だと勘違いしてしまうことだろう。
だが、違う。
九十九はヴァルナさんになると、表情があまり出なくなるだけだ。
そして、極端に口数も減る。
それだけ、彼にとって、女性を演じることは難しいらしい。
少しの時間、見知らぬ人たちの前で取り繕うことはできるが、長時間となれば誤魔化すことが難しくなる。
根は男性なのだ。
それは当然の話だろう。
雄也さんみたいに自然な表情、口調になれるほうがおかしいとわたしも思っている。
『先ほどお伝えしたように、本日は、ボクもシオリ嬢のお供をすることになりました』
セヴェロさんはニコニコと笑っている。
まるで、嬉しさを隠しきれないように。
でも、ヴァルナさんは変わらない。
戸惑うこともなく……。
「分かりました」
淡々とそう告げた。
『おや? てっきり反対されると思っていたのですが?』
「栞様が承知したなら、反対する理由などございません」
まるで、侍女の鑑のような言葉である。
でも、その脳内はツッコミで大忙しだろう。
表情には出ていないけれど、なんとなく、そんな気がした。
まあ、わたしだけでなく、あの場にいたルーフィスさんも反対していなかったのだ。
それが分かっているから、ヴァルナさんも納得したのだと思う。
わたしよりも、ルーフィスさんの信用度が高いのは今に始まったことではない。
『それで、ボクはどのような装いをしましょう? ヴァルナ嬢の理想の女性になればよろしいですか?』
「へ……?」
世間話のように軽く言われたセヴェロさんの言葉がすぐに理解できず、我ながら微妙な返答になったことだけはよく分かった。
ヴァルナさんの理想の女性……?
何故に?
いや、気にはなるけど、表面上、ヴァルナさんは女性である。
女性が思い描く理想の女性……とは一体?
自分の目標とする同性ってことなのだろうか?
「イメージが必要ならば、私ではなく、主人である栞様の意思に従ってください」
頭が混乱しているわたしを他所に、ヴァルナさんは涼し気な顔のままそう言った。
『あ~、シオリ様の理想の女性だと、難しそうなんですよね』
「難しい?」
先ほどから疑問しか浮かんでいない。
なんでセヴェロさんが理想の女性に拘っているのかも分からないのだ。
『シオリ様はイメージがしっかりしすぎています。それでは、ボクは現実に存在する女性しか形作れません』
ああ、何の話かと思えば、セヴェロさんが変身するって話だったのか。
確かに今は男性……少年の姿である。
どんなに幼く見えても、異性のままでは、今回、わたしに同行することはできないらしい。
「現実に存在する女性の姿では駄目なのですか?」
その方がイメージしやすいのではないだろうか?
そう思って確認したのだが……。
『駄目ですね』
わたしの問いかけに対して、セヴェロさんはきっぱりと答える。
『現実に存在する人間では、ここにいることの説明が難しくなります。人間はどこで繋がっているか分かりませんからね』
なるほど。
姿を変えられると言っても、やはり、そこには何らかの制限があるらしい。
『曖昧なイメージによる輪郭が朧げな夢や理想の形、この世界に存在しない人間、絶対に二度と会うことができない故人などが良いですね。ああ、現実に存在する人間でもその性別を変更するだけでも随分、印象が変わるとは思います』
確かに九十九も雄也さんも、若返って女装しただけでかなり印象は違う。
いや、コレは化粧の技術でもあるのだろうけど。
「それならば、その姿で性別変更をすれば良いだけではございませんか?」
暫く考えて、ヴァルナさんがそう提案する。
でも、多分、その案は駄目だろう。
少なくともわたしはそう思っている。
『それは駄目ですね。別方向の説明責任が生じます』
「別方向の、説明責任……?」
『こちらにも事情があると言うことで、そこは汲んでください』
ヴァルナさんは訝し気な顔をしたが、セヴェロさんはその理由について、口にする気はないらしい。
『普通は理想、夢となれば、イメージがぼやけてしまうのですが、シオリ様は『理想の女性』という言葉に明確な目標でもあるのか、現実に存在する女性を思い描かれたんですよね~。そして、その思いが強すぎて、それを塗り替えるのは少々、難しそうです』
言われて、理解する。
確かに、「理想の女性」という言葉から、わたしは自分がなりたい現実の女性を思い浮かべた。
まだ全然、届かない。
でも、大きな目標。
性格や姿形の話ではなく、その生き方、考え方、行動力に少しでも届きたいと手を伸ばす。
同じ血が流れているというのに、全く追い付ける気がしない、自分の理想。
『特にその方がここにいるとなれば、王族から捕獲要請がかかるでしょう?』
「……捕獲要請って……、わたしの母親は珍獣ですか?」
『珍しい魂という意味ではそうでしょうね』
ぬう、否定されなかった。
だけど、どうやら、セヴェロさんはわたしの母親のこともご存じらしい。
心を読まれたのかな?
でも、確かにこの国でその姿を目撃されると、捕獲はともかく、ちょっとばかり面倒なことになるのは分かる気がする。
そこまで有名な容姿ではないけど、知る人ぞ知る……って感じだ。
特に中心国の国王やそれに仕える人たちは多少なりとも気に掛けているだろう。
実際、フレイミアム大陸のクリサンセマムからは使者が直接訪ねてくるほどだった。
あの会合で初めて姿を見せた母は、謎多き女性のであるが、セントポーリア国王陛下に仕えていることだけは知られている。
少しでも、これ以上、わたしとの繋がりを見せないようにする方が良い。
『そのため、ヴァルナ嬢の理想の女性ですよ。これなら、全く、全然、これっぽちも、問題ない!!』
「問題しかございません」
……ぬ?
ヴァルナさんの理想の女性だと問題はないとセヴェロさんは主張するけれど、当人は何故か否定する。
いや、セヴェロさんの念の入れようだと、確かに警戒したくはなるか。
なんで、そこまでヴァルナさんの理想の女性に拘るのだろう?
『そうですか? ヴァルナ嬢ならば、いっぱいいるんじゃないですか?』
セヴェロさんは意味深な笑みを浮かべながら、ヴァルナさんに問いかけた。
だが、理想の女性がいっぱいいるってどういうことだろうか?
いや、ヴァルナさんはその中身がお年頃の男性なのだから、いろいろなイメージは盛り沢山なのかもしれないけど、「理想の女性」を「好みの女性」、「好きなタイプ」という言葉に置き換えると、かなり複雑な気分になる。
『もう一度、貴女がお会いしたい女性は本当にいませんか?』
だが、さらに続けられたセヴェロさんのその言葉で気付く。
確かにそういった意味では、わたしよりもヴァルナさんの方が、候補が多くなるのは当然だった。
ヴァルナさんは幼い頃に、自分の母親と教師となってくれた女性を亡くしている。
もう一度、その姿を見たいというのなら、セヴェロさんの提案に乗るのも悪くないだろう。
尤も、母親の方は難しいとも思う。
確か、生後一カ月ほどで亡くなっているらしいから、覚えてもいないだろう。
覚えていないよね?
『ボクは、誰かの持つイメージを映し出し、その姿を変えることができます。貴女が思い描く強いイメージ。どんなに思い焦がれても、もう二度と会うことができない大切な女性は本当にいませんか?』
さらにセヴェロさんは誘いかける。
「おりません」
だが、ヴァルナさんははっきりと拒絶した。
「そんな感傷的な部分は疾うに捨てましたから」
そして、さらに続けられた言葉はヴァルナさんではなく、九十九としての言葉なのかなと思う。
『なるほど、理解しました』
もっと食い下がるかと思えば、意外にもあっさりとセヴェロさんは引き下がった。
『しかし、ボクの姿がこのままではちょっと困りますね。どうしたら良いでしょうか?』
そして、このままでは困るのも本当らしい。
イメージがないと姿が変えられない。
いや、イメージがあれば姿を変えられると言うのが、既に普通ではありえないことではあるのだけど。
「理想とかに拘らなければ、大丈夫だと思いますよ」
わたしはそう答える。
現実の人間の姿に変えるのは、あちこちで問題が生じる可能性がある。
それは理解した。
それならば……、現実に存在しない女性を思い浮かべれば良いんじゃないかな?
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