子息の従僕の懸念
『シオリ様は、あの女について、どれほどご存じでしょうか?』
セヴェロさんから、そう問われること自体は意外でもなんでもなかった。
アーキスフィーロさまから話を聞いた時点で、わたしと彼女が知己であることは伝わっただろう。
だけど……。
「どの女について……でしょうか?」
いくらなんでも、話の切り出し方として「あの女」という言葉はないと思う。
わたしが他に女性の知り合いがいないみたいじゃないか。
『失礼しました。アーキスフィーロ様の元婚約者の女についてです』
まあ、その人だって分かってはいるのだけどね。
その人以外だったら逆にビックリするけどね。
でも、セヴェロさんは名前で呼ぶのが嫌ってことはよく分かった。
そう言えば、一度もセヴェロさんの口から彼女の名前って聞いたことがない気がする。
「ほとんど知らないと思います」
アーキスフィーロさまは言っていた。
人間界での彼女は、作られたものだった……と。
それが本当ならば、わたしは彼女のことをほとんど知らないも同然だ。
『なるほど。アーキスフィーロさまがお伝えした件については?』
「初めて聞くことばかりでした」
まさか、彼女がそんな生まれだったなんて聞いたこともなかった。
庶子だということは事前に聞いていたが、それもこの世界に来てから知った話である。
人間界にいた時の彼女は本当に明るくて、何をしても楽しそうで、普通の……、そう、本当に普通の少女だったのだ。
それが、幼い頃から身を護るために男装を強要されていたとか、義理の母親が命を狙いそうな人だとか、彼氏と思っていた人は実はもっと前から婚約者だったとか、そんな要素は欠片もなかった。
『それでは……、「バラとひなげしの会」に所属していることは?』
「薔薇と雛罌粟……の会?」
なんか、どこかで聞いたことはある。
その時は人間界で難しい漢字だと思ったのだ。
あれは確か……。
「ああ、近年、この国で行われているサークル活動のことですよね?」
確かボーイズラブな話で盛り上がる……とかだっけ?
人間界から持ち込まれたやおい系、耽美系の話を翻訳して楽しんでいると聞いている。
『サークル活動?』
だが、セヴェロさんは不思議そうな顔をした。
そう言えば、そう教えてくれたのはルーフィスさんだった。
わたしにも分かりやすいような言葉で説明してくれたのだけど、この世界にはない言葉なのかもしれない。
「失礼しました。同好の士の集い……でしたね」
同好会、サークル活動、趣味の集まり、そんなイメージらしい。
『そう。その同好の士の集い……とやらの活動に、あの女は積極的に参加している種類の人間なのです』
苦々しそうにセヴェロさんがそう口にしたが、わたしは特に驚きはなかった。
彼女は人間界にいた時も、そういった書物を確かに好んでいたからだ。
―――― 種族の本能とは違うからこそ! その愛は本物なんだよ!!
そうわたしに熱く語ったのは彼女だったから。
そして、わたしも布教活動と称して何度かその手の書物を見せられた覚えがある。
―――― シオちゃんにオススメするのはプラトニックラブ系かな~
そんな朗らかな声が脳裏に蘇ってくる。
そう言いながら見せられたのは、まあ、話としては面白かったと思うが、ずっぽりと底なし沼にハマるほどではなかった。
同性同士ならではの葛藤は、確かに異性間の恋愛では成り立たない悩みだろう。
非生産的と言われたらそれまでの話ではあるが、それでもそれを貫きたいと願う二人は称賛したい。
「趣味の活動ですよね?」
彼女は布教をしても、それを強要することはなかった。
―――― 合う、合わないはあるよね
本人もそう言っていたし。
『前にも言いましたが、非生産的であり、種族を根底から滅ぼすような思考への誘導です』
まあ、生産しないんだからね。
でも……。
「空想の物語なら良いのではないのですか?」
誰に迷惑をかけるわけでもないのだ。
それに、他人の夢にまで規制をかけることなんてできないだろう。
これはわたしの中にある漫画や絵に対する高熱みたいなものだ。
そして、変に禁止されるほど燃え上がってしまう気もする。
『現実の人間を使って、妄想していても……ですか?』
現実……、ああ、生物で想像する人もいるらしいね。
組み合わせとか。
でも、それも脳内に留めておくのなら、セーフだと思う。
外に出さなければ、誰の迷惑にもならないだろう。
『妄想垂れ流しの声が包み隠さず流れ込んできて、心の平安が保たれなくても……、ですか?』
セヴェロさんは下を向いているために、その表情はよく見えないが、拳を握りしめて肩を震わせていた。
既に実害があったらしい。
こんな時は、心の声が聞こえるって確かに、問題かもしれない。
性癖フルオープンでオンパレードだろうし。
でも、こう言ってはなんだけど、女性に限らず、男性もそんな妄想していると思うんだよ?
それはある種、生産的な妄想だからセーフ?
いやいや、時々、とんでもない性的嗜好の方もいらっしゃるでしょうから、男性でもアウトな方はいるかもしれない。
『まあ、確かに個人の趣味嗜好ですよ。ですが、第五王子殿下と自分の主人との妄想を他人に熱く語るような婚約者はどう思いますか?』
「あ~」
それは確かにアウトだと思う。
現実に存在する人間でも微妙な判定になるのだ。
そして、知り合い……、それも自分の婚約者と友人であり仕えるべき相手。
それを妄想とは言え、他人に公言してしまえば、それが真実として受け止められかねない。
「セヴェロさんの言いたいことをようやく理解できました。確かに受け入れるのは難しいと思います」
口に出していなければともかく、一部の閉鎖された場所とは言ってもそこで話していれば、ある意味、風評被害となるだろう。
それがその場だけの話だったとしても、そうは受け取らない人だっているかもしれない。
さらに、別の場所に広まってしまったら、アーキスフィーロさまだけでなく、第五王子殿下の評判にも繋がってしまう。
でも、それが分からないような人……だろうか?
わたしが覚えている限り、彼女はもう少し分別があったと思うけど……。
『そんな女ですよ。主人の相手として好ましくもありませんし、尊敬もできません』
その気持ちは分かる。
誰もがそういったことに理解があるわけではない。
本人は軽い気持ち、妄想を口にしているだけどは言っても、主人の評判を下げているようなものだろう。
「だから、セヴェロさんは、マリアンヌ=ニタース=フェロニステさまが苦手なのですか?」
『苦手……、というよりも相容れない相手ですね。主人と縁が切れたことは、本当に清々しております』
相当、お嫌いらしい。
それでも、なんだろう?
その言葉には嫌悪はあっても、敵意を感じない。
嫌いだけど、敵としては見ていないってことなのだろう。
「因みにアーキスフィーロさまはそのことをご存じなのですか?」
『あの女は「バラとひなげしの会」という名前の集会に参加していることはご存じです。ですが、そこで語られている内容までは流石に知らないと思います』
まあ、それこそ内緒話に似たようなものになるだろうからね。
各々が、妄想爆発させている様を異性に見せることなどできないだろう。
恋バナに花を咲かせている時とはまた違った感覚があると思う。
でも、それはあくまでも趣味の話だから許されるのだ。
勿論、本人の性癖の一部であるとは思うのだけど、わたしがファンタジーな漫画を好んでいたようなもので、想像の世界だから面白いと思う部分もあるだろう。
登場人物たちが魔物に苦しめられている世界が、現実だったなら話を楽しめない。
剣と魔法の世界というが、結局は誰かがそれによって傷付くような話ばかりだ。
現実に起こったならば、許せない。
『それに、何もないところからは生まれないのです』
「え……?」
なんか、どこかで聞いたことがある台詞が聞こえた。
確か、護衛が好んで使う言葉だ。
―――― 無から有は生まれない
思わず、背後を振り向きたくなるのを懸命に我慢する。
『想像はその人間がそれまで触れた出来事や思考の組み合わせです。全く見聞きしたこともないものなど、人間は考えることができません』
言われてみればそうだ。
わたしの一言魔法も、これまでの経験がなければ生まれなかった。
人間界の漫画やゲームで見聞きした情報を含めて、それははっきりと分かっている。
『あの女の中に、そんな願望がないと、どうして言えましょうか?』
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




