子息の従僕との密会
『月が綺麗ですね、シオリ様』
黒い髪、蒼い瞳の可愛らしい容姿をした精霊族は、意味深な笑みをわたしに向ける。
この様子だと、この精霊族は、人間界のあの逸話を知っているのだろう。
「そうですか? わたしにはよく見えません」
だから、無難な言葉を返す。
今、ここから見えているのは紅月。
もう一つの蒼月は、この場所からはちょっと見えにくいようだ。
その代わりに、蒼月のような瞳を持つ精霊族がいる。
『シオリ様は本当に手強い』
黒髪の精霊族は楽しそうに笑った。
「そんな話をするために、こんな夜遅く、こんな場所にわたしを呼び出したのですか?」
そうだとしたら、暇人だし、迷惑だろう。
今の時間は、二十三刻半。
日付が替わる前の時間である。
いつものわたしならとっくに寝ている時間だ。
一般的にも呼び出す時間ではないと思う。
『少しぐらい雑談に付き合ってくれても良いじゃないですか』
「雑談ならば、昼でもできるでしょう?」
『いつもは邪魔な主人がいるので、なかなか雑談も許されないのです』
いや、邪魔って……。
そして、あれで雑談が許されていない状態なのか。
結構、セヴェロさんはお喋りしている印象なんだけどね。
『そんな冗談はここまでにして……』
ようやく、本題に入ってくれるらしい。
『今日のお連れ様は、ヴァルナ嬢ですか? 状況的に、ルーフィス嬢の方がシオリ様に付き添うかと思っていたのですが』
セヴェロさんが言うように、本日、わたしの背後にいるのはヴァルナさんである。
「最近、ルーフィスさんを使い過ぎているので、少し、休んでいただこうと思いまして」
使い過ぎていると言っても、わたしの専属侍女たちは適宜、それぞれの判断で交替をしている。
午前中は、ルーフィスさん、午後からはヴァルナさんが多い。
同時にいたのは、アーキスフィーロさまの書類仕事をお手伝いしていた時とか、何か事情がある時ばかりで、基本的にどちらか一人が背後にいる。
専属侍女たちは、わたしから離れる時間も必要なのだ。
尤も、ヴァルナさんはルカさんに付き添って外出することもあるし、ルーフィスさんもヴァルナさんに任せて何やら動いている時もあるから、離れていると言っても、二人が本当に休めているかは分からない。
でも、体調管理はルーフィスさんもヴァルナさんもしっかり気を付けているっぽいから、よっぽどのことがない限り、わたしは口に出さないようにしている。
気遣いはするけど、それだけだ。
言ったところで、簡単に考えを曲げてくれる人たちでもないからね。
それぞれの職業に対する矜持の問題もある。
友人としてではなく、職人たちとして信じるなら、わたしは無理して身体を壊さないようにと願うことしかできない。
まあ、今回、ルーフィスさんではなく、ヴァルナさんが背後にいるのは、別の事情ではあるらしいけど、その事情については聞かない方が良いらしい。
―――― 好奇心は猫を殺す
それは彼らを如実に表す言葉。
あの優しい笑みに惹かれて近付けば、たちまち網に絡め取られるだろう。
まるで、食虫植物のようだ。
「栞様。何やら酷いことをお考えではありませんか?」
背後から、勘が良すぎる専属侍女から鋭い指摘が入る。
「ソンナコトナイデスヨ~」
わたしは本当のことしか考えていない。
それを酷いことだというのなら、それは、専属侍女たちの性格の問題だと思う。
整った顔、甘い声で、予測可能、回避不可能な罠を仕掛けてくるのだから、本当に質が悪い。
これまでに一体、何度、「わたしの専属護衛たちが一番の敵だ!!」と思ったことか。
それでも返答が片言になってしまったのは、少しばかりの罪悪感とわたしは背中しか見せていないのにあっさりと見抜かれた驚きがあったということだろう。
この専属護……、侍女は本当に油断できない。
わたしがそんなことを考えていると、クスクスと楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
『不思議ですね』
その笑い声の主はそんな風に切り出した。
『シオリ様と常に一緒にいるのはルーフィス嬢の方なのに、ボクの眼には、ヴァルナ嬢との方が、強い絆を持っているように視えます』
さらに続けられた言葉。
でも、わたしにとっては何の不思議もない。
嘗血しただけのルーフィスさんよりも、乳兄妹の上、嘗血までしているヴァルナさんの方が、わたしとの絆が強いのは当然である。
さらに言えば、一緒に入る時間は最近こそルーフィスさんの方が長いけれど、それまではヴァルナさんの方がずっと長かったのだ。
それこそ、わたしの魔法に対する耐性が格段に強くなってしまうほどに。
「セヴェロさんが話したかったことは、そのことについて……でしょうか?」
てっきりアーキスフィーロさまが昼間、話したことについてだと思っていたのだけど……違った?
『ああ、すみません。単に、気になっていただけですよ』
セヴェロさんが困ったように笑う。
だが……。
『でも、ヴァルナ嬢。精霊族の血が流れていませんか?』
その続けられた言葉に、思わずぎょっとしてしまった。
そんなこと、考えたこともなかったから。
九十九に……、いや、ヴァルナさんに、精霊族の血?
父親は、情報国家の王弟だ。
事情がない限り、王族に精霊族の血をわざわざ混ぜることはしないだろう。
だけど、母親の方は?
出自ははっきりしていないけれど、聖歌を歌える程の神女だったらしい。
だから、その可能性がないとは言えなかった。
「存じません」
だが、ヴァルナさんはそう言った。
「父母は幼い頃にいなくなりました。その出自も私は知らないままです」
言われてみれば、九十九が生まれて間もなく、母親は亡くなっている。
さらに父親は三歳だった。
二歳上とはいえ、同じく幼い頃に両親を亡くしているルーフィスさんがいろいろ覚えている方がおかしいのである。
だから、それらの言葉に一切、嘘はない。
「亡くなった」とは言わず、「いなくなった」と、別の意味にもとれる言葉を使っているだけだ。
この辺り、彼らが隙のない部分だなと思う。
「ただ私は、精霊族より、祝福を頂いたことがあります。そのため、普通の人間よりは精霊族の気配が強いかもしれませんね」
精霊族の祝福?
ああ、そういえば、九十九は祝福を目の前で受けたのを見た。
それも、特濃だった。
いや、口付けただけで、深くはなかったけれど、迫力はあった。
しかも、そのお相手は、紅い髪の角刈り、筋肉質で体格の良い男性型精霊族……。
九十九にとっては、封印したくなるような過去だろう。
『祝福? 契約ではなく?』
セヴェロさんが不思議そうに問い返す。
わたしの頭にあの現場が浮かんでいたが、それは読めなかったらしい。
「既に友人が契約していた精霊族でしたから」
『ああ、なるほど』
あの時、召喚された精霊族は、確かに楓夜兄ちゃんと契約していた。
『シオリ様にお仕えするに当たって、精霊族の使役契約を交わしたのかと思ったのですが、違うのですね』
「使役契約?」
聞き慣れない言葉が出てきた。
使役ってことは、楓夜兄ちゃんがやっているようなことかな?
『おや? シオリ様はご存じないのですか?』
「存じませんねえ……」
わたしの精霊族に関する知識は実に中途半端である。
大神官である恭哉兄ちゃんと、精霊遣いである楓夜兄ちゃん、その二人から聞いた話と、実際に接した精霊族に対しての知識しかない。
『あ~、そうなると、これは、この大陸限定の教養かもしれませんね』
このウォルダンテ大陸は魔獣と精霊が多いと聞いている。
だから、この大陸しかない知識や情報もあるのだろう。
単にわたしがモノを知らないだけかもしれないけど。
尤も、精霊族を一時的に隷属させる方法なら知っている。
それはあの「音を聞く島」で自衛のために教えられた。
精霊族たちは、大陸神の加護が強い王族たちには強制的に従わされてしまう。
そのために、誰でも使える方法ではないが、少なくともわたしには使える方法ではある。
尤も、その精霊族の基準がはっきり分かっていない。
あの「音を聞く島」にいた精霊族たちは、その全てが「狭間族」と呼ばれる混血児だった。
それでも、有効だったとは聞いている。
事前にそのことを知っていたら、わたしは目の前で、水尾先輩を攫われることもなかったと悔しく思ったのだった。
あの時、わたしは声を出せたのだから。
『使役契約を交わしたわけでもないのに、そこまでの結びつき……。人間とは実に不思議ですね』
セヴェロさんのその蒼い瞳には何が映っているのだろう?
少なくとも、わたしとヴァルナさんとの間には、精霊族の使役契約と呼ばれるものに近い関係が視えているようだ。
そうなると、魂の結びつき?
なんか、ちょっと照れくさいね。
いや、そんなことよりも……。
「お話があると言われたので、お誘いに応じましたが、そうではなかったようですね?」
こちらの事情を聞き出そうとする話なら、断った方が良かったかもしれない。
一応、寝ては来たけれど、それでも、習慣的にこの時間には寝ておきたいのだ。
こんな話なら誘いに乗らない方が良かっただろう。
わたしが場を離れようとすると……。
『ああ!! 申し訳ありません!! 気になってしまったのでつい、好奇心を優先しました』
そんなことを言われて引き留められた。
『いや、シオリ様だけでなく、ヴァルナ嬢までセットになってくるとは思わないじゃないですか。せっかくのこの機会に、少~しぐらい親睦を深めたいと思ってしまうボクの心も察してくださいよ』
「親睦を深めたいなら、逆効果だと思います」
『これは手厳しい』
いや、普通だと思う。
隠したいってほどではないけれど、こちらから話そうとしないようなことを聞き出そうとするのは男女関係なく、嫌だろう。
『それでは、本題に入りましょうか』
セヴェロさんが笑みを深める。
どうやら、ようやく、話してくれるらしい。
『シオリ様は、あの女について、どれほどご存じでしょうか?』
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




