子息の面倒な事情
男性と女性という性別の存在をはっきりと意識したのはいつだっただろうか?
わたしは多分、小学校に入学した時だったと思う。
勿論、世の中、そんな単純に割り切れるものばかりではないことも今は知っている。
体の性と心の性が不一致であったり、恋愛対象が同性異性のどちらもおっけ~だったり、男女のどちらの特徴も持って生まれたりとか、逆に性別がなかったりと、事例を探せば千差万別の言葉通り、いろいろあるだろうけれど、今回、それはおいておこう。
わたしの通っていた小学校は、名簿は男女で分けられていたし、体育の授業や行事ごとなどは男女別々に整列をしていた。
でも、入学前……はどうだっただろうか?
母親しか近くにいなかったから分からない……と言いたいが、入学前に伯父に会ったことがある。
その時、伯父は声が低いとか、母と顔はどことなく似ているのに体型が全く違うとか、母とは異なる生き物であることは分かったから、なんとなくだけど理解していたとは思う。
だから……。
「マリアンヌ嬢は、男性と女性という性別に違いがあることを知らなかったのです」
そんなアーキスフィーロさまの言葉に思わず、首を傾げたくなった。
わたしのように過去の記憶を封印し、母親としか接していなかったわけではない。
アーキスフィーロさまのように、極端な育児放棄の目に遭ったわけでもない。
それなのに、マリアンヌさまが、性別の違いを知らなかったというのはどういうことなのだろうか?
「5歳に性別の違いを意識することが難しいのは分かるのですが……」
人間界でも保育園、幼稚園に通っていたなら意識するとは思う。
いや、両親が揃っていれば、それだけで男女の違いは分かる気がする。
「マリアンヌ嬢は、生まれた時より男児として育てられていました。そのため、自分は男児だと……、いや、この世に性別による違いというものが存在することも知らなかったと言っておりました」
「……と、言うと?」
「父親と母親の形が違うことは知っていたけれど、それは、普通の個体差だと思っていたようです」
形が違うと言うのは、体格とか骨格とかだろう。
そんな性別の違いを個体差……、個人差と認識……、まあ、幼児の感覚だったら……、そんなこともあるのかな?
自分の記憶がないために、この世界の幼児期というものがよく分かっていないから、ちょっと判断に困る。
貴族の子女だから、大聖堂の「教護の間」で触れ合ったことがある子供たちとも感覚と教養は異なるとは思う。
知らないことは一人で考えても分かるはずがないのだから、後で、専属侍女たちに聞くことにしよう。
尤も、彼……女たちも、普通の幼児期を過ごしていない気がする。
それでも、この世界の一般的なことはルーフィスさんなら知っているはずだ。
自分の知らないことこそ、知りたがる人だから。
「そのために、マリアンヌ嬢は、父親であるフェロニステ卿ともども、処罰されるところでだったそうです」
「え!?」
「先ほど、シオリ嬢が言ったように、王族を欺く行為だったからです。男児と偽って、女児を異性である第五王子殿下の元へ友人候補として連れて行くというなど、許されることではありません」
それは確かにそうだ。
下手すれば、異性である以上、自分の娘を第五王子の婚約者候補とするために抜け駆けしていると疑われかねない。
あれ?
でも、そのマリアンヌさまの父親であるフェロニステ卿は現在、この国の宰相である。
一度でも、悪いことした人を、そんな重要なポジションに置くだろうか?
「それでも、マリアンヌ嬢が性別の偽ったのは、当人の意思ではありませんでした」
わたしの疑問を察したアーキスフィーロさまはその答えをくれる。
「そして、マリアンヌ嬢が女性であることを確認したのが、口の堅い従僕一人だったこと。第五王子殿下による懇願。何より、子息の魔力の暴走によって、マリアンヌ嬢自身も大怪我を負っております。それら全てが、陛下の御宥恕へと繋がったと言っておりました」
ぬう。
話を聞いた限り、隙がない論だと思う。
だけど、そんな単純な話ばかりだとは思えない。
王家への偽装行為だ。
それは、どこかで国王陛下を始めとする王族たちへの侮りともとれる。
それを単純に許したとは思えない。
どこかで、取引めいたことが行われたのではないだろうか?
例えば、大怪我の補償とか。
安全なはずの王城で、貴族息女が大怪我を負うような事故が起きたなんて、外聞が悪すぎるだろう。
そして、その事故がなければ、露見することもなかった。
そのまま、性別の偽装が続いたことにはなるだろうけど、その治療と共に、王城で起きた事故の口封じとして、互いに何もなかったことにしたとかはあり得るかもしれない。
それ以外では、フェロニステ卿を降格させたくなかった人が暗躍している可能性もある。
あるいは、父娘の罪を見逃す代わりに、今後、二心なく国に尽くせと、どこかのタヌキ陛下から迫られた、とか。
「シオリ嬢?」
わたしの様子がおかしかったのか、アーキスフィーロさまが気遣うように呼びかけてくれた。
「ああ、申し訳ございません。いろいろな話を聞いて、少し戸惑っておりました」
脳の処理はなんとか追い付いているけど、この情報量は多すぎるとは思う。
でも、アーキスフィーロさまに、元婚約者の話を聞きたがったのはわたしなのだ。
ちゃんとしっかり聞いて考えなければならない。
「もう大丈夫です。お話の続きをお願いします」
これで終わりと言うことはないだろう。
だから、わたしはその先を促した。
「分かりました」
アーキスフィーロさまはわたしの言葉をどう受け止めただろうか?
好奇心が強いって思われたかもしれない。
だが、それならそれで構わない。
わたしがこの国の事情を知りたいと思っているのも事実なのだから。
「フェロニステ卿もマリアンヌ嬢も陛下の御宥恕によって許されました。そして、そのままマリアンヌ嬢が10歳になるまで、いえ、第五王子殿下が他国滞在期に入るまでは、そのまま男装を続けるようにと厳命されたのです」
「それは、命……、いえ、王命が出されたということでしょうか?」
危ない。
うっかり「命令」って言葉を使いかけた。
わたしの背後には、ずっと話を黙って聞いてくれている専属侍女たちがいるのだ。
彼女たちの前で迂闊に「命令」って単語を口にできない。
「そうなります。それによって、マリアンヌ嬢の身も守られ、そして、王子殿下の友人候補からも外されることはなくなりました」
そこまでして繋ぎとめる価値があるってことか。
恐らく狙いはマリアンヌさまではなく、父親であるフェロニステ卿の方だろう。
でびゅたんとぼーるで話しかけられたが、あれだけでは有能かどうかは分からない。
感情を出し過ぎだと思ったけど。
「8歳の頃、マリアンヌ嬢と私との婚約が人知れず結ばれました。その事情は先ほどお話した通りです。そして、第五王子殿下が人間界へ行く日に、マリアンヌ嬢は男装を止め、私との婚約が公表されることにななりました」
「え……?」
一瞬、アーキスフィーロさまが何を言ったのかが分からなかった。
いや、確かに先ほどアーキスフィーロさまが話してくれた過去の中にも、第二王女殿下を回避するために、こっそりと婚約者となったという話は出てきた。
だけど、ちょっと意外過ぎてビックリしたのだ。
わたしは、その辺りの経緯は隠されると思っていたから。
だから、あっさりと口にされ、そこに驚きを隠せなかったのだと思う。
だけど、第五王子殿下が人間界へ行く日に?
なんで、わざわざその日を選んだのだろう?
「マリアンヌ嬢は、もう性別を誤魔化すには無理がある状態でした。ですが、第五王子殿下から離れてしまうと、マリアンヌ嬢の身は危険だったことでしょう。そのために、既に、国内の貴族子息と婚約していることを公表したのです」
第五王子殿下が10歳ならば、マリアンヌさまも9歳にはなっている。
男児はそうでもないけれど、女児は既に第二次性徴が始まっている子もいる年齢だ。
特に、マリアンヌさまは、その……実に女性らしい身体つきだった。
流石にあそこまで成長はしていなくても、身体の変化があれば、誤魔化せないと言うのは理解できる。
「国内の貴族子息と縁を結んでいれば、正妻から命を狙われる理由が減ります。他家との繋がりを自ら断つなど、貴族の妻の判断としては愚行ですからね」
アーキスフィーロさまとマリアンヌさまの婚約した経緯というか、その理由は分かった。
互いの身を護るため……ということだったのだろう。
そして、婚約したことをすぐに公表できなかったのは、マリアンヌさまが男装していたからだったのか。
いろいろと複雑かつ面倒な事情があったらしい。
「私の国内での評判は悪いですが、王家からずっと登城を望まれ続けております。つまり、私に価値がないわけではありません。フェロニステ家にとっては悪い縁でなかったのでしょう」
アーキスフィーロさまの登城理由は、罪の償いという意味であったと思う。
だけど、その理由が表に出していなければ、周囲には分からない。
寧ろ、王族たちから重用されているようにしか見えないだろう。
だけど、やっぱり、あの国王陛下から「タヌキ」の印象が拭えないのだった。
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