子息は言葉を選ぶ
「――――以上が、この国のある貴族子息の半生となります」
アーキスフィーロさまはそう言って、深々と礼をした。
どうやら、話はこれで終わりのようだ。
だが、待って欲しい。
ある意味、一番聞きたかった部分が全くなかった。
いや、かなり壮絶な人生を歩まれているとは思う。
だけど、そこじゃない。
わたしが聞かなければいけないのはそこじゃないのだ。
でも、それを聞いて良いものか迷った。
それだけ話したくないことなのかもしれない。
わたしが迷っていると……。
「アーキスフィーロ様、差し出がましいとは存じますが、よろしいでしょうか?」
背後から声が聞こえた。
ああ、この人は、本当にこんな時に助けてくれる。
「申し訳ございませんが、先ほどのお話だけでは足りないかと存じます」
「足りない?」
黒髪の御仁は不思議そうに問い返す。
エメラルドグリーンの髪色をした女性は、わたしの背後で、いつものように微笑んでいるのだろう。
「はい。一番大事なことを話されていないのではありませんか?」
今のルーフィスさんは、わたしの専属侍女だ。
だが、形の上ではロットベルク家に雇われているようなものである。
金銭はトルクスタン王子が負担しているにしても。
そんな状況で、その家の子息に物申すのは、あまり良くないことはわたしにも分かる。
当人も「差し出がましい」と言っていたのは、当然だ。
侍女や従僕、使用人は家の者が快適な生活にするために生活を整えることが仕事であって、主人たちの私生活にまで立ち入る権利はない。
アーキスフィーロさまは気にされないかもしれないけれど、相手によっては、激昂してクビを切られても仕方ない行為である。
いや、お金の負担をトルクスタン王子がしてくれている以上、アーキスフィーロさまがどんなに懇願してもクビになることはないとも思うけれど、気分は害されるかもしれない。
自分が信用している人に嫌なイメージを持たれるのは嫌だな……。
『ボクもルーフィス嬢に同意します』
だが、そこから、別の声がアーキスフィーロさまの背後からかかった。
「セヴェロ……」
『今回のことで学習したんじゃなかったんですか? 正直、アーキスフィーロ様の不幸自慢なんてシオリ様はどうでも良いんですよ』
いや、どうでも良くはない。
それまでどんな目に遭ったかを知らなければ、今回のように知らないうちに地雷を踏み抜くことだってあるだろう。
だけど、セヴェロさんは続ける。
『今後もシオリ様は狙われることでしょう。王侯貴族の子息や御令嬢たちから。言っておきますが、今も届く書簡は、アーキスフィーロ様宛よりもシオリ様宛の方が多いんです』
え?
そうなの?
わたしに届く手紙は、でびゅたんとぼーるから数日経った今では、数える程度になっている。
でも、アーキスフィーロさま宛はまだ机にこんもりとあるのに……。
『やはり、人間ってやつは醜いよな。悪意あるヤツらは、確実にあの女のことを書いてきているぞ。それも、確実に言葉を選んでいる。悪い意味でな』
セヴェロさんは口調を変えて薄く笑った。
だが、わたしはそんな手紙を目にしたことはない。
そう考えると、セヴェロさんか、ルーフィスさんが選別してくれていたのだと思う。
「本当か?」
『そんなことに嘘をついてどうするんですか? 言ったでしょう? あることないこと吹き込もうとするって。何も知らないシオリ様は格好の標的となるでしょうね』
まあ、弱い所を狙うのは戦略の基本だからね。
セヴェロさんの話からすると、そのアーキスフィーロさまが意図的に隠しているっぽい部分は、確実に、わたしを傷付けるか貶める材料として使われるってことだろう。
「だが……」
それでも、アーキスフィーロさまは迷いを見せる。
「アーキスフィーロさま」
わたしが呼びかけると、アーキスフィーロさまはその黒い瞳を揺らした。
やはり、話したくないことなのだと思う。
だけど……。
「セヴェロさんからお聞きになっているかもしれませんが、わたし宛にマリアンヌ=ニタース=フェロニステさまという方より、お手紙を頂戴しております」
わたしがそう口にすると、アーキスフィーロさまはその黒い瞳を大きく見開いた。
想像もしていなかったのだろう。
だから、わたしは、彼女の話こそ、聞いておきたかったのだ。
「マリアンヌから……?」
「はい。一度、会って話がしたいという内容でした」
何の話をしたいのかは分からない。
だけど、なんの予備知識もなく話せるとは思わなかった。
尤も、彼女への返答は「わたしでは決められないので、アーキスフィーロさまを通してね」と書いて既に送っているのだが、それは、添削指導をしてくれたルーフィスさんしか知らないことだ。
『ああ、確かに来てましたね。舞踏会の次の日と、後は二日前に』
わたし宛に届く手紙は、一度、セヴェロさんが確認している。
だから、彼が知っていてもおかしくはない。
『ただ……、二日前に届いた方は、封書の宛名と差出人部分はともかく、中身は全く理解できない言語で書かれていましたが、シオリ様には読めましたか?』
セヴェロさんの眉間にしわが寄った。
確かにアレは読めないだろう。
封筒は、舞踏会の次の日に来たものと変わらなかったのだが、その中身が違ったのだ。
「はい、知っている言語だったので、問題なかったです」
彼女は、日本語で手紙を書いてきたのだ。
つまり、わたしが人間界を知っていると断定して送ってきたのだと思う。
舞踏会で歌ったせいか。
それとも、わたしが人間界で会った「高田栞」だと気付いているのか。
あの手紙の内容からは判断ができなかった。
余計なことを書かず、用件だけを伝えるもの。
ある意味、当たり障りのない文章だった。
いや、もしかしたら、まだ探りを入れている段階なのかもしれない。
わたしは人間界にいた時と、顔は変わっていないが、あの時は、でびゅたんとぼーるのためにいつもと違った装いだった。
その上、正妃殿下の侍女たちによって、髪や顔を整えられていたのだ。
そのために、わたしの印象は、人間界にいた頃とかなり違ったと思う。
それに、この世界には似たような顔立ちの人は珍しくもない。
自分の魂の元だったり、遠いご先祖だったり、何らかの形で繋がりのある、「祖神」と呼ばれる神さまの影響を受けるためらしい。
人間界で会った人と似た顔をした人だっていた。
だから、顔や雰囲気が似ているからって、会話をするまではその本人と断定できなかったりする。
なんで見ただけで分からないのかと安易に責めることができないのだ。
この世界の判断材料は体内魔気。
魔法国家の第二王女殿下が言うには、類似品はあっても、全く同じ体内魔気というのは存在しないらしい。
指紋と同じように親兄弟、双子であっても、違うそうな。
勿論、どこぞの先輩のように様々な手段を使って、表面上に出ている表層魔気だけを誤魔化すことはできるそうなので、過信は禁物とのこと。
まあ、つまり、人間界で会った人と似ているからって、その本人と判断することは、魔法国家の王族たちですら難しいものだとは聞いている。
特に、人間界はその体内魔気を誤魔化して生活している人の方が多かったらしいからね。
閑話休題。
「シオリ嬢に話す必要はあると思っている。だが、今はまだ……」
『アホか。あんたの都合なんて、そんなの知ったこっちゃねえんだよ』
迷いを見せるアーキスフィーロさまに対して、辛辣な言葉を投げつけるセヴェロさん。
『王族、身内、あんたにどれだけの敵がいると思ってるんだ? なんなら、シオリ様に届いた封書を、何の精査もなく直接渡したって良いんだぞ?』
いや、それが本来、普通だよね?
わたし宛に届いたお手紙を、わたしが読めないっていうのはおかしくない?
それだけ酷い言葉、内容が並んでいるってことなんだろうけど、読む分には大丈夫だと思うんだけどな。
『アーキスフィーロ様に届くお誘いの八割増しぐらいに卑猥な言葉が並んでいる。さらに、傷付けようと言う意思が増し増しの謗りの単語も盛り沢山だ。何より……』
セヴェロさんは一度、言葉を切り……、笑った。
『アーキスフィーロ様が隠そうとしていることにしたって、全く事情を知らないバカどもが好き勝手に解釈して、誇張された文章を羅列してシオリ様に伝えようとしている。それでも、アーキスフィーロ様は我が身可愛さに……、違うな、あの女を……』
「セヴェロ!!」
セヴェロさんの言葉を、いつになく強い叫びで制止した。
「それ以上、お前に話す権利はない」
「そうですね。その問題に関しては、ボクは無関係ですから」
セヴェロさんはそう言いながら、肩を竦めたのだった。
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