子息と契約
「それで、契約しちゃったのですか?」
アーキスフィーロさまの帰国? いや、帰界? 直後にあった話を聞いた時、思わずそう口にしていた。
明らかに怪しい。
いや、本人? ……本光も、そう言っているぐらいなのに……。
「契約をしたというか……。あれは、騙された気がします」
騙された?
「人聞きが悪いですね~。あれは、正当な契約ですよ」
そして、その騙したと思われる光はいけしゃあしゃあとそんなことを言った。
この様子から、契約相手の光は、セヴェロさんのこと……なのだろう。
三年前、人間界から戻った後に、二人は出会ったらしい。
でも、光ってことは、セヴェロさんはかなり、精霊族の血が濃いと思われる。
いや、それより、アーキスフィーロさまの話に出てくる登場人物に、なんとな~く、知人たちの気配を感じるような気がするのはわたしの気のせいでしょうか?
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その不思議な光は、奇妙な話を子息に持ち掛けた。
『怪しげな光と契約する気はないかい?』
だが、子息も簡単には頷けない。
その声が言うように、明らかに怪しいのだ。
まず、何故、こんな場所にいるのか分からなかった。
ここは、人気はないが、王城の敷地内である。
そう簡単に部外者が侵入できるものではない。
そして、その怪しい光は、明らかに弱っている。
口調こそしっかりしていようだが、光は先ほどから点滅しているのかと思うほど、弱くなったり、強くなったりしていた。
だが、それでも、この光が何者かも分からないのだ。
そんな相手から持ち掛けられた契約など、警戒心の薄い幼子ぐらいしか了承しないだろう。
『まあ、警戒するのは無理ないか』
それは相手も心得たものだった。
『寧ろ、あんたの境遇ならば、周囲に対して無警戒でいる方がおかしい』
その声は軽快に笑う。
『だが、逆に考えてみようか。今のあんたは既にどん底だ。生きていると言うよりも国の都合で生かされていると言った方が良い。そんなあんたが、今更、何を怖がるんだい?』
「怖がっているわけではない。姿も見せぬ相手を疑わしいと思うのは当然だ」
この光が本体ではない可能性もある。
それに会話が成り立っている時点で、魔獣ではないだろうが、精霊族でも人間の味方とは限らないのだ。
精霊族の考え方は人間とは異なる。
それは、第五王子殿下の側にいた精霊族の性質からもよく分かることだった。
『ああ、そうだね。それなら、ちょっとだけ、その怪しい光に触れてくれないかな?』
「何故だ?」
『ここまで弱っているとさ。誰かが触れないと、人の形が作れないんだよ』
どうやら、触れるまでは光の状態のままらしい。
このまま見捨てても良いが、それは憚られた。
―――― 城の裏に行けば、坊やは救われるよ
あの部屋で聞いた声。
あれはあれで怪しくはあるのだが、あの声を子息はどこかで聞いたことがある気がしたのだ。
それは覚えていないほど、遠い昔。
この精霊族が……、本当に子息の救いになるのだろうか?
それとも、何か別のモノと間違えている?
迷ったが、子息には、その判断材料がなかった。
仕方なく、手を伸ばす。
「触れるだけだ。契約はしない」
『おや、触れてくれるんだ』
その光は楽しそうな笑い声を上げた。
その光に触れると、ひんやりとした感覚があった。
まるで、光と言うよりも、冷たい水に触れた気がした。
そして、指先から波紋が広がり――――。
『契約、完了!!』
そこには黒髪、青い瞳の…………、10歳ぐらいの少年の姿があった。
状況的に、この少年が、先ほどの光なのだと思うが、問題はそこではない。
「ちょっと待て。今、契約完了とか言わなかったか?」
『言ったよ』
その少年はけろりとした顔で悪びれもせずにそう言った。
そこには、弱弱しさは一切、感じない。
光だった時は、あんなにも消えそうだったのに。
『ボクに触れて、人型になることを望んだだろ? あそこまで弱っていると、相手が望んだ姿にしかなれないんだよね~』
「詐欺じゃないか」
『人聞きが悪いことを言うなよ。主人が聞かなかっただけだろ?』
確かに聞かなかった。
だが、それは契約する気がなかったからだ。
『精霊族は、お互いが望んで触れ合うことが契約の第一歩なんだよ』
「俺は望んでいない」
光に触れたことは認めるが、契約は望まなかった。
『望んだよ』
だが、黒髪の少年は笑いながら言った。
『ボクが人型になれたのがその証拠だ。主人はボクを求め欲した。その想いがなければ、ボクが人型になれるはずがない』
さらにはそう断言された。
だが、やはり子息には心当たりがなかった。
誰かを求め、欲した?
そんな思いなど、抱くはずがないのに。
『救いを求めただろ? 多分、それだ。主人は自分が思っている以上に、誰かに側にいて欲しいんだよ』
そう言われて気付く。
子息は、人間界に行くまで、人との交流はほとんどなかった。
だが、人間界で知ってしまった。
人との会話、触れ合い、そして、温もり。
これまで知らなかったもの、得られなかったものに、心が動かされたのだ。
だが、再び、この国に戻ってきて、思い出してしまった。
あれは、一時の夢だったと。
『理想の女の姿になってやっても良かったけど、この国ではそれだと、主人の傍には居られないんだろ? だから、ボクは男になったんだろうね』
事もなげに、精霊族は言った。
「どういうことだ?」
『ボクは先祖返りらしいんだけど、姿かたちだけでなく、性別も変えられるんだよ。お偉い研究者たちが言うには、純血ではない精霊族として性別の変更ができるって、かなりのレアケースらしいけどね』
研究者というのは、この国の精霊族の研究者のことだろうか?
確かに、この大陸は魔獣も精霊族が多いため、王立の研究施設もあったはずだ。
子息は特に興味がなかったから、詳しくは知らないが、城でそんな話を耳にしたことがあった。
ただ……。
「元はどちらだ?」
本来の性別から外れるのは嫌なのではないだろうか?
『さあ? もう忘れちゃったよ』
それだけ、長い間、性別の変更をしてきたということか。
研究施設というのが、どんな場所かは分からない。
だが、その存在もあまり公にされていないのだから、あまり良い印象はなかった。
『ところで、主人、そろそろお名前を聞いても良いかい?』
そこで、気付く。
これまでお互いに名乗ってはいないことに。
考えてみれば、人との交流が少ない子息は、自身の名前を口にする機会がそう多くはなかった。
だから、名乗りを失念していたのだ。
「アーキスフィーロ=アプスタ=ロットベルクだ」
『アーキスフィーロ様か。ボクは……、なんだろ? 実は、自分の名前を知らないんだよね。ずっと番号や記号で呼ばれていたから』
ごく普通にそう言う。
この時点で、この精霊族は普通に生まれ、生活してきたわけではないことが分かる。
名前を付けられず、番号や記号で呼ばれる。
それはまるで、人間界の書物で読んだ実験動物や奴隷のようだと思った。
そう思ってしまった。
だから、うっかり……。
「それならば、俺はお前を『セヴェロ』と呼ぶことにする」
そう言ってしまったのだ。
『セヴェロ? 意味は?』
碧い瞳が不思議そうに揺れた。
「ここは城の北にある。Северはこの国で、北という意味だ」
『単純だな~。もっとかっこよく行こうよ。Корольとか、кремльとかさ』
「城はともかく、王はおかしいだろ」
それは、明らかに名前負けする。
何より、この表情豊かな精霊族には似合わない。
『ま、いっか。セヴェロ、セヴェロね。でも、良いのかい?』
「何がだ?」
『精霊族に名付けなんかしたら、本契約になるよ。さっきまでの仮契約とは違う。もう死ぬまで離れなくなる。主人はそれで良いの?』
「それぐらいは知っている」
召喚獣とするために魔獣を捕獲する時は単純に名付けを行うだけで良いが、精霊族を従える時には自分の名前を伝えた上で、その精霊に名前を付けるということぐらいは、一般教養の中にある。
精霊族はもともと名前を持っていることもあるが、その場合は、契約相手が名乗った後で、精霊族の名前を尋ね、契約の意思を持って名前を呼び合うと聞いている。
『なんだ、知ってたのか』
「ああ、既にもうその確認が手遅れだということもな」
『あははっ、そうだね』
俺は自分が名乗った後、この精霊族に名付けた。
そして、本人もそれを受け入れた。
この時点で、一般的な契約は完了している。
『思ったより、度量の広い主人で安心したよ』
この精霊族は、どうしても一言余計なことを言わなければ気が済まないらしい。
だが、それでも構わない。
この子息にはそんな存在がいなかったのだから。
―――― 城の裏に行けば、坊やは救われるよ
あの言葉を鵜呑みにしたわけではない。
だが、少しぐらいは信じても良いかもしれない、と子息はそう思った。
後に、何度もこの判断を悔いることになると知りつつも。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




