国境の手前にて
さて、国境の近くまで来たわけだけど、ここで一つ問題があるらしい。
国境を通り抜ける際に、個人差はあるけれど、例外なく身体の内側から魔力が乱されるような感覚に襲われると言う。
でも、何故か周りで見ている分にはその乱れは分からないそうだ。
しかし、無理やり自分の体内魔気というものをかき回されるため、周囲には分からなくても、当事者は無反応ではいられない。
そのためか、内部の状況に反応して、表にも影響があることもあらしい。
その現象は人間界から魔界へ来た時にもあったみたいなのだけれど、わたしは正直よく覚えていない。
確かに激しい衝撃を受けた覚えはあるけれど、一度しかなかったためか、魔界での生活の中で忘れてしまったようだ。
魔力を感じないわたしには、体内魔気が内側からかき乱されるとか、大気魔気の変化とやらを何度説明されても本当によく分からないものだ。
もともと他人の気配とかそういったものに敏感ってわけでもない人間である。
九十九や水尾先輩が、魔気の感じ方は「匂い」に似ていると説明してもらっているので、なんとなく理解できたような気がするけど。
そして、姿が消えたままだとお互いの状態が分からないから、という理由で薬の効果が切れるまで、この国境手前で過ごすこととなった。
『久し振りの野宿だな』
数日ぶりの簡易住居を出しながら、九十九はそんなことを言った。
『少年、これを野宿と言ってよいのか?』
『少なくともオレと兄貴は交代で外にいるから立派に「野宿」ですよ』
『……そっか。もう少年一人に任せなくて良くなったのか』
どこかホッとしたような水尾先輩の言葉に……。
『……まさか、お前、倒れたか?』
雄也先輩が鋭く反応した。
何故、あれだけの会話で気付くのだろうか?
『倒れたわけじゃ……』
九十九は言葉を濁しながら一応、否定する。
確かに彼は倒れてはいない。
九十九は眠っただけだった。
だが、それを口にすることができないのだろう。
似たようなものなのだから。
『……状況的には仕方がないと言えなくもないが、情けないやつだな。また魔法の無駄打ちでもしたか?』
『普通に考えてみろ。不眠不休で魔法使い続けたら、魔法国家の人間でも倒れる。倒れなかったのは少年の意地だろうよ』
雄也先輩の言葉に、水尾先輩が九十九を庇うようにそう言った。
『……お前は、休み方も知らんのか』
だが、雄也先輩はさらに九十九を問い詰めようとする。
『無茶言うな。高田は論外だし、回復直後の水尾さんにムリもさせられんだろうが』
九十九は溜息交じりにそう答えた。
『彼女たちの食事中や今のような休憩中に軽く仮眠をとるぐらいはできたはずだが?』
『……その発想はなかった』
暫くの間が有り、九十九はそう答えた。
確かに、始めの頃の九十九は、わたしが足を休めている時も周囲を警戒したりし続けていた覚えがある。
しかし……、個人的には食事の時間とかにとれる仮眠の時間なんてそう多くないと思ってしまう。
準備も片付けも九十九に任せてしまっているわけだし。
だけど、確かに全然休まないよりはマシなのかもしれない。
『何事もなかったから良かったものの……』
『そう思うのなら、それぐらいの知識を叩き込んでからにしてくれよ。こっちはいきなり実践、それも見知らぬ世界にいるのも同然なんだ』
『見知らぬ世界?』
その言葉に水尾先輩が反応した。
『オレは城下を出た事自体が初めてなんです。道そのものは事前に準備していた地図を確認しながら進みましたから迷うことはなかったと思いますが』
『……ああ、それで』
水尾先輩は何かを納得したようだ。
『じゃあ、仕方ないな。周り全てが新鮮なんだ。私もそんな感じでキョロキョロしながら進んだよ。見たことがない景色ってなんかワクワクするよな。森の木々とかもアリッサムなんかと全然違うんだ』
わたしも最初の数キロはそうだった気がする。
だけど、どんどん余裕がなくなって、九十九や水尾先輩の背中しか見えなくなっていったけど。
『水尾さんが優しい王族でよかったな。命令外のことをしていたら罰するような人種もいるというのに』
どこか棘のある雄也先輩の言葉。
『そんなに余所見はしちゃねえよ。確かに周囲が気になったことは否定しないが、観光気分とかそんな甘い気分は一切なかったからな』
『当然だ』
『大体、思ったより兵は追ってこなかったようだが、ヤツらは本当に探す気があったのか?』
話題を変えるべく、九十九は何度かわたし達の前でも口にしていたことを言った。
当初、九十九は相当数の兵に追われることまで考えていたらしい。
ところが、実際に街道を通る兵の数は、一日に数人いるかどうかという少なさ。
それは、街道を警備している人たちよりも少ないらしい。
それを見て、街道から外れた上に、わざわざ遠回りをした意味がないとまで言っていた。
わたしとしては、兵に出会わない方が安心できたから良いのだけど。
『一般的な町娘は事情がない限り自分の住んでいる区域から出ることはないからな。城下中心を念入りに探索するのは仕方ない。城に関わらない限り、兵が自分を捕らえに来るなんて考えてもいない人間の方が多いのは事実だしな』
『それは当然の考え方だな。悪さをしない限り兵が動くこと事態がおかしい』
雄也先輩の言葉に水尾先輩が続ける。
『確かに犯罪者でもない限り、いきなり国外逃亡って発想はないかもしれませんね』
魔界では、自分の生まれ育った国から出て、他国を旅行するという文化が根付いていないと聞いている。
高位の身分なら他国へ行く機会も少なからずあるが、一般国民は国を出るという考えそのものが思い浮かばないらしい。
『お前は何も罪を犯してないけどな』
『自覚はないけれど、王妃さまにとってはわたしの存在自体が重罪なんでしょ』
そんなことを雄也先輩が言っていた。
わたしにとって、そのことは自覚はないどころか、極論すぎて納得できていないのだけど、相手はまともに話が通用しそうにないことはその息子である王子さまを見て、話もしているのでなんとなく分かっている。
父親であるこの国の王はそんな感じに見えなかったので、王子さまの性格はもう一人の親である王妃さまに似たと考えられる。
そこから予想されるのは、多分、相手の都合も考えない上、話を全く聞いてくれないタイプだ。
人間界の友人であるワカや高瀬は聞いた上で流すタイプだったが、相手の言葉を完全に無視するような性格ではなかった。
でも、あの王子さまは聞く気がないどころか聞く価値を見いだせないために相手の言葉が届いていない印象すらあったのだ。
『でも、それって国外逃亡したことを確信されたら、この国の王妃……殿下は、高田が千歳さんと国王陛下の間に生まれた娘って確定してしまう可能性があるんじゃないか?』
水尾先輩が割と恐ろしいことを口にする。
確かに追っ手から逃げ出したということは、その身にやましい部分があるのではと思われても仕方がないかもしれない。
つまりは、逃げ出したことで、わたしが母と王の娘だと認めたと王妃に思わせてしまう可能性もある。
『いや、逃亡しなくても既に妃殿下は確信していた。だが、周囲の目もあってすぐに国外へ私兵を送り出すわけにもいかんだろう。いくら常識をわきまえていない方でも他国に自分の権限が通じないことぐらいは理解している』
『何気に酷いことを言ってないか、先輩』
水尾先輩は呆れたように言う。
でも、雄也先輩の王妃や王子に対する評価は以前からこんなものだ。
嫌悪意識を隠そうとはしていなかった。
『言い換えれば、国を出ればそこまで激しい追求はなくなる。せいぜい、各国に対して捜し人の触れを出すぐらいだろう。それも恥ずべきことなんだがな』
『……後数メートルの距離か。なかなか近くて遠いな』
そうか……。
セントポーリアという国にいるのも後、僅かなのか……。
『ゆっくり休む時間だと思えば良い。あの村でも休めたとは言い難いからな』
『……嫌味か?』
『いいや。単に見知らぬ人間が多い場所では俺は休めないだけだ』
『あ~、オレも落ち着かなかった。どこに行っても何をしていてもアリッサムの人たちや村の人達が観察しているような気配がしていて……』
どうやら九十九も雄也先輩も結構、繊細らしい。
わたしなんて村にいてもしっかり眠っていたのに。
『……確かに落ち着かなかったのは認めるよ。代わる代わる様子を伺いに来るから同室の高田もいい迷惑だっただろう?』
そんなことがあったの?
『……そんなに気になりませんでしたが』
魔気とやらを感じないせいだろうか?
『……夜中、あれだけ頻繁に部屋の前をウロウロされてたのに?』
『夜は熟睡していたので……』
全然、知らなかった。
水尾先輩は暫し絶句した後……。
『参った。高田は、私が思っていた以上に大物だった』
と、口にした。
『栞ちゃんはそれだけ疲れているのだろう。やはり魔力の封印の影響は大きいな』
『いや、それでもやっぱり高田は封印されてなくても気付かずに寝ている気がする』
雄也先輩の言葉を、九十九は完全否定した。
『魔気が感じられないのは仕方ないけど、元々、警戒心が薄すぎるんだよ。いくら日中はオレがいて、夜は水尾さんがいても、周囲の警戒も無しに寝ていられるなんて普通は考えられん!』
『魔力の封印もされていないお前の基準で計るな』
『封印なんかされてたら、かえって不安で眠れん!』
『封印をされたことがないから私にもその辺りの感覚は分からんが……、この分なら国境越えも何の問題もなくいけるかな』
水尾先輩が安心したような声で言った。
だが、残念ながらその期待は、あっさりと裏切られることになるのだけれど。
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