子息と第五王子
「シオリ嬢は、卒業式の後……。いえ、高校の合格発表で第五王子殿下と話したことを覚えていますか?」
「はい」
忘れようにも忘れられないと思う。
あの日、わたしは、彼らがこの世界の住人であることを知った。
それは本当に偶然だったのだと思う。
九十九の夢の中に、第五王子殿下の側にいたっぽい夢魔……精霊族が現れ、結構なピンチになったことがあった。
もう少しだけ、人間界に留まりたいと言っていたわたしを護るために、足蹴く通ってくれていた頃の話だ。
だけど、あの頃、九十九があの中学校に近付かなければ目を付けられることもなかったとも思っている。
そして、九十九の夢の中からなんとか夢魔の撃退に成功した次の日、わたしは、その第五王子殿下から呼び出されたのだった。
*****
高校の合格発表の日の早朝。
子息は、第五王子殿下から緊急の呼び出しを受けた。
もともと合格発表時に護衛を兼ねて共に行くことになっていたため、何故、呼び出されたのかが分からない。
迎えの時間を変更するだけならば、電話だけで済む話だ。
穏やかではないことだけは分かった。
そこでボロボロになった精霊族の姿を見せられる。
衣服も纏えないどころか、人型の形も保てない状態というのは、相当、弱っている状態らしい。
子息は精霊族の生態までは詳しくないが、何らかの理由に寄って衰弱していたことは明らかだった。
だが、この家に精霊族がいることを知っている人間は限られている。
第五王子殿下と側近候補と呼ばれる人間たち。
そのために、始め、第五王子から子息は疑われたようだ。
精霊族はそう簡単に死ぬことはない。
だが、その精霊族は生まれて一年と経っていないため、まだその存在が薄く、強い魔力を持っていれば、消すことができる可能性があったからだろう。
子息は当然ながら否定した。
強い魔力を持っていても、人間界は大気魔気が薄く、魔法が使いにくいのだ。
だから、自国では魔力が強い子息であっても、ここでは精霊族を半死半生の状態に追い込むことは無理だと。
そこで、精霊族が少しだけ、意識を回復したのか、気になる単語をいくつか口にする。
断片的すぎる言葉。
子息には一部を除いてほとんど伝わらなかった。
だが、そこで第五王子殿下は何を思ったか、その精霊族に濃厚な口付けをする。
それも子息の前で。
他の人間……、特に異性がいなかったことを幸運に思うしかない。
この精霊族が現れてから、第五王子殿下は本当に周りが見えなくなった。
精霊族と恋愛すべきではないとは言わない。
異種族との婚儀だって珍しくはなく、王族と言っても、継承権を持っているだけで、王位に固執しているわけでもないのだ。
子息自身にも精霊族の血は流れていると聞いているため、忌避感はない。
だが、いろいろ下手を打ったとは思っている。
一番、悪かったのは、第五王子殿下が他の側近候補たちを遠ざけたことだ。
少しでも、この精霊族を排除しようとする動きを見せた側近候補たちを悉く、跳ね除けてしまった。
恋は盲目とは言うが、良かれと思って苦言を呈する側近候補たちを粗雑に扱うようになったのはやり過ぎだったと言えるだろう。
そのために、ほとんどの人間たちは付かず離れずの状態になってしまった。
もうじき、国に還ることになるが、その後に、どれだけの人間がこの第五王子殿下の元に残るかが分からない。
この第五王子殿下は、良く言えば、行雲流水だが、悪く言えば、流されやすいだけだ。
そして、今や、身を持ち崩しているとも言える状態である。
そんな人間に忠誠を捧げ、命を懸けられる人間がどれだけいることか。
尤も、子息は選ぶ立場にない。
家から命じられれば、それに従うのみ。
そう思って15年間生きてきた。
それでも、人の心を捨てたわけではない。
はっきりと表に出さないだけで、子息の中にも好悪の感情は存在する。
そんなことを考慮してくれる周囲ではないが。
そんなことを考えている間に、精霊族は少しだけ持ち直したらしい。
衣服が再生され、先ほどまでは曖昧だった身体の境界も、はっきりとその輪郭を強く描いていた。
第五王子殿下は、治癒魔法の適性がないと聞いている。
そうなると、その精霊族の能力なのかもしれない。
そして、第五王子殿下から告げられる。
精霊族がこんな姿になったのは、ある少女が絡んでいる、と。
だが、その言葉に対して、子息は首を捻った。
確かに、その少女が普通の人間とは少し違うことを、昨日の卒業式と呼ばれる儀式中に知ることとなったのは確かだ。
これまで何もなかった平穏が崩れた日。
人間界の儀式の最中、襲撃があった。
だが、襲撃者たちの狙いが、この世界の人間だったのなら、それはローダンセの王族や貴族の子女たちの身柄であったことは疑う余地はないだろう。
あの場所には、第五王子殿下とその側近候補たちがそれなりにいたのだから。
人間界の一部を作り替えたのは、ローダンセの王侯貴族たちの意思によるものではあるが、安全のために、他国に喧伝はしていなかった。
少し間違えれば、同年代の王侯貴族の子女たちの身が危なくなるのだ。
いくら争いもなく平和な時代であっても、どの国もローダンセと同じように考えているわけではない。
それぐらいの意識はこの国にもあった。
そして、その恐れていたことが現実に起きたということになる。
あの時、ローダンセの人間は誰一人として立ち上がらなかった。
嵐が過ぎるようにじっと待っていただけ。
それまで、そんな脅威に晒されたことなどなかったのだ。
逃げ出せないように周囲に張り巡らされた結界の中、そこにいたのは圧倒的な黒い暴力の気配。
王族と言われても納得しそうなほどの魔力の強さを持った異質な存在がそこにいた。
多少、魔力に自信があった子息すら、息を殺して難を逃れようとするしかなかったのだ。
それだけ、そこに現れた人間は、次元が違うと思えた。
だが、そこに何の力も持たないと思われていた人間の少女がたった一人で、その嵐に立ち向かったのだ。
魔力を全く感じない少女。
恐らく、そこで立ち上がらなければ、そのまま、ただの人間だと思われていたことだろう。
あの瞬間まで、子息も気付いていなかったのだから。
だが、その少女は、その黒い炎の前に立った。
圧倒的な力の差に嬲られるような目にあっても、ただ一つ渡された耐火マントだけを頼りにその細い腕を振るったのだ。
それでも、ローダンセの人間は誰も止めない。
助けることもなかった。
その少女よりもずっと大きな力を持った者たちばかりだったというのに。
魔力を全く持たない少女を囮に、我が身の安全を取ってしまった。
そして、少女が力尽きる直前……、その場に響き渡った音。
それによって、全てが解放された気がした。
そこに張られていた結界は破壊され、それまでまともに動かすことができなかった子息の身体に力が戻る。
それがどんな種類の結界だったのかは分からない。
だが、恐らくは中にいる人間の心を弱らせる効果があったことは間違いない。
あんな状況だというのに、主人予定である第五王子殿下の身を誰一人として護ろうとしなかったのはそういうことだろう。
そして、外部からの助けによって、例の少女も助かったことを知る。
そのことに子息は酷くホッとした。
あれだけの火傷を負っても尚、その場で立っていた少女。
あの場で倒れたフリをしていた貴族の子女たちは、相手から見つからぬようにただ祈ることしかできなくなるほど心を弱らせていたのに、その少女は結界が破れる直前まで、その心を折らなかった。
そんな勇気ある少女が、この精霊族の状態に関わっているという。
訳が分からない。
自分の身を挺して、あの場を護ろうとした少女とどうしても、結びつかなかったのだ。
それに、あの少女からは魔力を感じない。
だから、精霊族を害せるとは思えなかった。
だが、第五王子殿下は既に少女と接触することを決めてしまったらしい。
幸い、あの少女と同じ高校を受験していた。
意味がないと思っていた高校受験も、そんな形で意味を持ってしまったようだ。
あの少女には気の毒だが、第五王子殿下の気が済むまでさせようと思う。
この世界にいる期間ももうあと僅かなのだから。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




