子息と人間界の事件
「人間界にいた頃、子息は一度も魔力の暴走を起こしませんでした。そして、『魅惑の魔眼』と呼ばれる能力が発揮されることもなかったのです」
アーキスフィーロさまは嬉しそうにそう言った。
魔力の暴走を引き起こさなかったのは、大気魔気の影響だろうか?
人間界はこの世界と違って、大気魔気が薄いと聞いている。
魔力を封印されていたわたしはそれを実感したことはないけれど、様々な人が一様にそう言っているのだからそうなのだろう。
だが、それが理由なら、あのまま人間界にいたら、魔力の暴走を引き起こして大惨事となっていたというわたしの未来予想図がありえないこととなる。
そして、アーキスフィーロさまに備わっている「魅惑の魔眼」も効果がなかったそうだ。
これは精霊族の能力が人間界では効き目が薄いってことになるのか。
その辺りは分からない。
だから、後で背後にいる侍女たちから知恵を拝借しよう。
今は、アーキスフィーロさまの話に集中だ。
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人間界で、子息は心配されていた魔力の暴走を一度も起こさなかった。
そして、忌まわしい「魅惑の魔眼」もその効果を発揮することはなかった。
それでも、多少、マシな見目をしていたためだろう。
小学六年生と呼ばれる頃には、再び異性から付きまとわれることが増えたと記憶している。
そうは言っても、第二王女殿下のように強引な人間はいない。
遠巻きに見られていることは分かったが、無理矢理、捕まえて従えようなどの行為はなかった。
それだけでも十分すぎるほどの救いだったといえるだろう。
第五王子殿下は報告をするために、月に一度、この世界に戻ることが義務付けられていた。
そして、子息もその供として、三カ月に一度付き添い、第五王子殿下が報告をする間だけ、例の懲罰の間で過ごすこととなっていた。
第五王子殿下を傷つけた禊は終わっている。
それでも、城内で幾度となく魔力を暴走させた事実は消えない。
そのほとんどが、第二王女殿下による付きまとい行為が原因だったために、表立った問題とはならなかったけれど、その目撃者の全ての口を塞ぐことなどできるはずがなかった。
そのため、定期的に処罰を与えている所を見せる必要があるというのが、王家の言い分である。
その頃にはもう子息の評判は十分すぎるほど地に落ちていて、ほとんどの貴族子女たちが関わろうとしなかったのだが。
例外は、第五王子殿下とその側近候補たちであり、その仲間内では、どちらかと言えば同情的であったと記憶している。
その第二王女殿下も十歳になる頃、他国滞在期に人間界を希望したらしいが、これまでの素行から、かなりの制限をつけられたらしい。
子息たちのような公立の小学校ではなく、私立の小学校へと入れられ、完全な監視の元の生活だったと聞いている。
尤も、その世界の生活が楽しすぎて、ありがたいことに、子息のことなど完全に忘れていたようだ。
できれば、そのまま忘れて欲しかったのだが、それは甘かったと言える。
それでも、八年近く、あの第二王女殿下から解放されたことは喜ぶべきところだろう。
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子息が中学生と呼ばれる時代になり、最終学年に入って暫く経った頃だった。
第五王子殿下の様子がおかしくなった。
少しずつではあるが、体力を消耗していたのだ。
それと、同時に体内魔気にも分かりやすい乱れがあった。
明らかに何者かによる干渉を受けていることは分かったが、第五王子殿下は何事もないと言う。
周囲は、生徒会や部活を引退したせいだと思っていたようだが、それを差し引いてもあの様子はおかしかった。
第五王子殿下はその立場上、周囲に人が必ずいた。
だが、気付けば見知らぬ女子生徒が第五王子殿下の隣にいるようになったのだ。
それがいつからだったのかははっきりしない。
本当に突然現れ、それでも、自然にその場所にいた。
そして、その女子生徒は学校生活だけでなく、気付けば、第五王子殿下の私生活にまで側にいるようになった。
学校でも家でも、流石に定期報告時の城までは入り込むようなことはなかったが、報告のために国へ戻る時もその横にいた。
その時点で、人間界の者ではないことが分かる。
だが、不思議なことに何故か、第五王子殿下の側近候補たちはその女子生徒の存在にすぐ気付くことができなかったらしい。
それだけ、第五王子殿下の横にいることが自然だったのだ。
その女子生徒が第五王子殿下から片時も離れようとしないことに気付いたのは、子息とその婚約者だけだった。
だが、何度、第五王子殿下にその話をしようとしても、「大丈夫だ」、「関係ない」、「放っておいて欲しい」という拒絶の言葉しか返ってこなくなっていた。
第五王子殿下はローダンセの王族だ。
だから、婚約者とするならそれなりの人間を選ぶべきだし、人間界にいるだけの間の一時的な恋の相手だとしても、前もって側近候補たちに最低限の相談をするべきではあった。
何より、その女子生徒からは異様な気配しかしない。
だが、誰も止めることができなかった。
第五王子殿下自身が「関わるな」と、子息を含めた側近候補たちに命令をしてしまったから。
少しずつ第五王子殿下が衰弱していく姿を見て、ロウソクが身を細らせる様をなんとなく幻視していた。
そして、ある時、子息はその女子生徒に自分の眼と似たような能力があることを知る。
何故、それを知ったのか?
自分にもソレが向けられたからだ。
そこで、初めて我が眼の恐ろしさを知る。
他者から意のままに操られようとするのはこんなにも恐ろしいことだったのかと。
幸い、子息は似たような眼を持っていたために難を逃れた。
まさか、夢の中に入り込む能力のある精霊族だったとは思わなかったが。
子息に手を出そうとしたのも、第五王子殿下から吸い取れる生命力と体内魔気が不味くなったかららしい。
だが、側近候補の一部にはその能力が効いてしまったようだ。
第五王子殿下よりも、分かりやすく衰弱したことによってそれが発覚した。
精霊族の対処法など、それを専門に研究している人間ぐらいしか知る得るはずがない。
そして、第五王子殿下の周囲にはそのツテがなかったのだ。
厄介なことに、その女子生徒の仕業だと分かっていても、対処の方法が分からなかった。
夢の中の行為によって、衰弱したことは間違いない。
だが、それを誰に言えば良い?
どこに訴えれば第五王子殿下は助けられる?
信用できる相手に相談するしかないことは分かっていても、そんな相手が都合よく存在するはずもなかった。
本当ならば、国王陛下に進言することが一番だっただろう。
だが、当の第五王子殿下がそれを拒んだ。
国王陛下にご助力願った時点で、第五王子殿下が無力だと対外的に披露してしまうことになる。
第五王子殿下は王位に執着などされていなかったが、役に立たないと判断されることだけは避けたかったらしい。
いずれは、国王となった者を支えることを目標として生きていたのだ。
自分の危難を乗り越えるために自身やその周囲以外の手助けを得た時点で、王籍そのものから外される可能性が出てくる。
その精霊族をけしかけた相手もそれが狙いだったのだろうと今なら分かるのだが、そこまでの知識も経験も第五王子殿下やその周辺の人間たちにはなかった。
どうすることもできないまま、子息たちは卒業式と言う節目を迎え……、そこで更なる試練と遭遇する。
卒業式に外部からの奇襲攻撃。
混乱に次ぐ混乱。
それは、また別の場所からの介入によって窮地を逃れることができたのだけど、同時に、自分たちの力だけで何かの壁を乗り越えることの難しさを知った。
考えてみれば、当然なのかもしれない。
他国滞在期は本来、王族たちが自らの力を使って他国で生活することが目的なのだ。
それなのに、不自由なく整えられた領域で、何の苦労もなく信用できる人間たちのみで固めて過ごすなど、他の国の王族たちから見れば、失笑を買う行為だろう。
それを子息も、他国の王族からその話を聞くまで知らないことだった。
自国の王侯貴族やその子女たちは、甘やかされている。
それを子息は嫌と言うほど知ることになったのだった。
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