子息と平穏な生活
「第二王女殿下はなんとしてでも、その子息を服従させたくなったのでしょう。何度も子息の家や国王陛下の直談判に向かったようです」
アーキスフィーロさまは肩を落とす。
いや、服従させたいのか、それ以外の理由かは、わたしには分からない。
でも、五歳時点で十五歳とあまり変わらない性格だったのなら、さぞ大変だったとは思う。
しかし、第二王女殿下は、五歳の発言としては酷すぎると思うのだけど、一体、誰からそんな変な教育を受けたのだろうか?
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子息が八歳の時、第二王女殿下に粘着されるようになった。
第五王子殿下の部屋から出てくる時に待ち伏せるのは勿論、懲罰の間に向かう時もつきまとい、さらには、懲罰の間から帰宅する時も捕まえようとする。
その手段は、強引で何度か、王城の通路などで子息が魔力の暴走を起こすほどだったらしい。
尤も、第二王女殿下は自分の行動が子息の魔力暴走を引き起こすことを承知していて、いつも連れていた護衛たちに護られていたため、最初を除き、ケガすることもなかったと聞いている。
だが、子息の評判は悪くなる一方だった。
それらの事情を知らない人間たちから見れば、その子息は、所かまわず魔力を暴走させる危険な男なのだ。
それも、王族を傷つけるほどのものである。
そんな人間など、誰も近寄りたくはないだろう。
そういった事情から、子息は早々に婚約者を決めることになった。
婚約者がいれば、子息は相手が王族であっても、相手が異性であることを理由に、距離をとりやすくなる。
いや、本来は、異性に付きまとうこと自体がおかしいのだが。
そして、婚約者がいれば、あの第二王女殿下も子息に付きまとうことはしないだろうという常識的な期待もあった。
四歳年上の兄もまだ婚約者がいない状況ではあったが、それも止むを得ないことだ。
この時点で、兄よりも子息の方が王族たちに目をかけられ、登城している回数も圧倒的に多かった。
そこには処罰という理由があるためなのだが、王族たちが子息を意識していることに変わりはない。
そのために、兄よりも先に婚約者が決められた。
その相手は、この国の若き宰相アストロカル=ラハン=フェロニステの第三令嬢であるマリアンヌ=ニタース=フェロニステ。
その話は、当人たちの意思は関係なく、完全なる政略婚儀契約である。
だが、事情があり、すぐにそのことは公にはできかなった。
周囲に知らされたのは、子息が、どこかの令嬢と婚儀契約を結んだことだけである。
相手の詳細は、伏せられていた。
そして、子息が宰相の娘と内密に婚儀契約を結んだ後、第二王女殿下も婚儀契約を結んだことを聞かされた。
相手は、何故か、子息の兄。
その年齢差は七歳となる。
そこに、誰の、どんな意図があったのかは今でもよく分からない。
だが、これで第二王女殿下から離れられると思っていた子息からすれば、その二人の契約は全く予想外のことであった。
行く先々で絡まれ、付きまとわれる事実に変化はなかった。
しかも、第二王女殿下だけでなく、兄も一緒に絡むようになったのだから、被害は拡大したといって良いだろう。
だが、そんな日々から解放される日が来た。
第五王子殿下が他国滞在期に入る際、その世話役として、子息とその婚約者を含めた数名の人間が選ばれたのだ。
第五王子殿下によって、選ばれた人間たちは友人候補から側近候補へと名前を変えた。
行先は、数年前、情報国家イースターカクタスが見つけた世界。
かの国が「人間界」、「地球」と呼ぶ遠い星だった。
信じられないほど離れた場所であっても、カルセオラリアが作り出した「転移門」はその入り口を繋ぐことができたらしい。
そして、我が国は継続的にその世界に王族を始めとする高位貴族の子女たちを送り込むことにしたそうだ。
その世界の一部をこの国と似たような場所に作り替え、子供たちが生活に困らないようにする。
それと引き替えに、その世界の情報を子供たちは国に持ち帰る。
そんな国家包みの大規模計画によって、異文化交流をすることになったのだ。
だが、そこまでする理由も分からなくはない。
それだけ、その世界は大変、魅力的だったのだ。
その世界に向かう前、基礎知識を叩き込むために渡された資料だけでも、その世界は不思議で、興味深いものが多かった。
文字を始めとする文明の違いは勿論、魔法を使う人間が全くいないという話は、子息にとって衝撃的なことだったのだ。
その世界は、この大陸よりも大気魔気がかなり薄く、それによって魔法も使いにくいため、廃れたのだろうと言われている。
もともと他国滞在期は魔法を制限されることになっているが、それでも、その世界の特性上、全く人前で魔法を使ってはいけないというのは、貴族子女たちにとって、かなりの負担だったようだ。
尤も、王族であっても、大気魔気が薄い場所では思うように魔法が使えないらしい。
そのことを知ったのは、その人間界へ行った後だった。
第五王子殿下は一部の側近候補たちと先に向かい、子息も10歳になった後、同じ場所へと向かうこととなる。
初めて訪れた地球……、子息たちにとっては異世界とも言える場所は、衝撃の連続だった。
まず、空気が違う。
水属性の大気魔気の気配がほとんど感じられない。
それが、子息にとっては信じられなかった。
生まれた時から慣れ親しんだ空気。
五歳以降には苦手となったあの空気が、一切、なかったのだ。
解放感でいっぱいとなった。
通常、貴族子息、令嬢たちが親元を離れ、しかも従者もなしというのはかなりの苦行らしい。
勿論、その前に問題がないようにある程度、自分のことは自分でできるように教育されて他国に向かうことになるが、それでも、実際、そんな状況になれば混乱してしまうそうだ。
尤も、この子息においては、そんなことは一切なかった。
食事の支度はともかく、それ以外のことは屋敷にいた頃からほとんど自分でやっていたことだから。
その食事に関しても、その世界では何も問題はなかった。
手順通りに進めても、多少、外れたとしても、極端な状態変化が起こらないのだ。
食材を焼きすぎれば焦げることはあるし、香辛料を入れ過ぎれば味がおかしくなってしまうが、言い換えればその程度のことである。
寧ろ、好みの味に微調整することも難しくない。
それに、自分で料理を作れなくても、店に行けば、完成された料理を買うという選択肢もある。
あの世界に行けば、ほとんどの人間は料理に魅了されたことだろう。
弁当屋、スーパーの総菜、ファーストフード店、レストラン。
その存在に助けられた者は多い。
慣れない洗濯も、コインランドリー、クリーニングという存在もあった。
近くに同じような人間たちが集まっていたため、情報交換も容易だ。
電話、FAX、パソコン通信、インターネット、電子メールなど、離れた場所にいる相手にもやり取りができる通信珠以上の機能を持つ電子機器も溢れていた。
魔法ではなく、科学と呼ばれるものが発展した世界。
尤も、その電化製品や電子機器はこの世界では使えなかったらしい。
精々、その前の段階、電気を使わない機械の情報を送ることしかできなかったようだ。
それでも、カメラなどは十分すぎるほど役に立つのだが。
そんな世界で五年も過ごせば、帰りたくないと思うようになる者たちもいたらしい。
だが、親兄弟姉妹を捨ててでもその世界に留まりたいと願っても、そこでの生活保障がされるのは、当然ながら他国滞在が許されている期間のみ。
流石に全てにおいて自力で生活することなどできないことを理解して、泣く泣く諦めた者もいると聞いている。
子息にも、その気持ちはよく分かった。
だが、五年間だけだからこその待遇であることも理解している。
王家にとって、別の世界で王族たちやその周囲の人間たちの生活を維持し続けることが容易でないことも。
それでも、やっと手に入れた平穏な生活を手放したくないと子息が願ってしまうのは、烏滸がましい望みなのだろうか?
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




