【第119章― クラクラの生活 ―】貴族子息の半生
この話から第119章です。
よろしくお願いいたします。
「これから貴女にお話するのは、ある貴族子息の半生です。お聞き苦しい点も多々あるでしょうが、できれば、最後まで聞いていただきたいと思います」
アーキスフィーロさまはそう言って、この国にいるという貴族子息について語り始めた。
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十数年前、この国の貴族の第二子息として、一人の男児が産声を上げた。
このウォルダンテ大陸では、強い魔力を持つ子が生まれる時、局地的な雨が降るという。
その男児が生まれた日も、その例に漏れず、雨が降った。
それも、ここ数年では類を見ないほどの土砂降りだったそうだ。
だが、それはおかしい。
まず、その子息が生まれる一月半ほど前に、この国の第五王子が生まれていた。
さらに、五年前まで遡れば、その間にこの国の王子が5人、王女が1人生まれているというのに、いずれも降雨そのものがなかったり、雨が降っても、その子息ほど大規模なものでもなかったらしい。
他にも、その間、貴族子女は生まれているのだが、雨を降らせるほどの魔力を持つ人間の方が少なかった。
それだけでも、その子息が生来持っている魔力の強さが窺い知れるというものである。
だが、その子息はこの国の王族ではなかった。
他国の王族の血は引いていたが、その直系でもない。
この国の王族ではなく、他国の傍系王族。
さらに言えば、この国の貴族ではあるものの、家としてはそこまで大きくもない。
城下の貴族街に居を構えることは許されていたが、そこまで国に多大な貢献をしている家でもなかった。
先代の功により、他国の王族を妻に迎えることが許されたというだけで、成り上がった貴族。
それが、その家の評価だった。
だが、その子息が生まれたことによって、新たな価値が付随するようになる。
この世界では、どの国でも魔力の強い人間は重宝される。
だから、その子息も、重用され、確かな未来が保障されると思われていた。
だが、そうなることはなかった。
その子息はその強大な魔力を自分で制御できなかったから。
まず、離れたのは母親だった。
窓を叩きつける雨。
部屋に防音が施されていても、揺れる窓の状態は分かる。
この大陸で魔力が強い子を生めば、雨が降る。
だが、それを知っている貴族子女ばかりではなかった。
身内に魔力が強い人間がいなければ知ることもない話なのだ。
そのため、自分が得体の知れないナニかを産んだと思い込んだ母親は、一刻も早くその場所から逃げ出したかったらしい。
もともと男児を二人産めば解放されるという約束だったこともあって、床払いをしてすぐに本邸から出て、隣にある別邸に移ったそうだ。
流石に家から出ては、外聞が悪いことは分かっていたのだろう。
生まれた子は、貴族子息ということもあって、乳母が付けられる予定だった。
だが、その子息が泣くたびに周囲の大気魔気が分かりやすく変動する。
それは、体内魔気も同じだった。
その子息が泣くことによって、魔法に至らないまでも、それに近しい体内魔気の集束が見受けられたらしい。
まだその時点では、食欲や睡眠欲などの欲求や、体内から出た老廃物によって肌着の汚れに対する不快感を訴える時など、乳児として真っ当な要求時にあるものだが、それ以外の感情を知った後、魔力の暴走を引き起こす可能性が高いのは、誰が見ても明らかだった。
乳母も、母親がいる間までは耐えた。
だが、母親すら逃げ出したくなるような赤子に対して仕事とはいえ、自分の身を犠牲にして尽くせるかと問われたら、給金次第ではあるかもしれないが、ほとんどの人間は頷くことができないだろう。
しかも、その乳母の魔法耐性が強くなければ、そんな子供の世話は不可能ともいえる。
子息の乳母として雇われていた女性は、一月分の給金を受け取った後、その姿をくらましたそうだ。
その子息を置いたまま。
誰にも行方を告げずに。
その乳母は平民から雇われたと聞いている。
貴族との雇用契約を、平民が一方的に反故にしたのだ。
必要以上の制裁が加えられることは、想像に難くない。
だから、逃げた。
そして、今も尚、子息の乳母だったという女性の行方は分からないままである。
その乳母がいなくなったことが発覚したのは、それからさらに一月後だったらしい。
その間、その子息は誰の目にも触れることはなかった。
流石に乳飲み子を飢えさせるのは良心が咎めたのか、乳母は調乳前の粉乳が入った瓶を用意していたようだ。
誰か一人でも、その部屋に来ていれば、それが活かされることもあっただろう。
だが、その部屋に訪れた人間はいなかった。
家の者は口を揃えてそう言ったそうだ。
あの乳母に全てを任せていた……、と。
準備されていた粉乳は調乳されることなく、置かれていた瓶は使用された形跡もなく。
それでも、その乳児は何故か、生き延びた。
ありえない。
誰もがそう思ったことだろう。
乳飲み子が何も飲まずに一月も生きられるはずがないのだから。
だから、ますます不気味がられることとなる。
確かに、その子息は普通ではなかった。
この世界の人間がどんなに頑強であっても、生後一ヶ月の乳児が母乳も人工乳もない状況で、生きられるはずはない。
後日、知ることになったが、その子息の命を救ったのは、その部屋を訪れた気まぐれな精霊族のおかげだったらしい。
薄紫の髪、その瞳には光を映すことのない精霊族は、国や種族に関係なく、捨てられた子、放置されている子の元にどこからともなく現れ、死なない程度の措置をするという。
その子息が発見された経緯も、先代国王陛下の前にその精霊族が現れ……。
『この国を救うきっかけになる男だ。恩を売るためにも、そろそろ助けてやりなよ』
そんな言葉を告げられたからだと聞いている。
だが、その精霊族は、どこの誰とは言わなかったらしい。
結果として、その精霊族の存在は伏せられたまま、平民を含めた国中の家が捜索され、育児放棄を含む虐待を受けていた子供たちの命が多数救われることになったのは皮肉な話だろう。
そして、そのほとんどは、聖堂に預けられたと聞いている。
だが、その貴族子息は、乳母がいないことに気付いていなかっただけだということで、聖堂ではなく、その家に残され、王家の監視下に置かれることになった。
乳母がいないことに気付いていなかっただけでも本来は、十分な育児放棄だ。
本当ならば、他の子供たちと同じように、親が育てることができなかった子として、聖堂に保護されるべきだっただろう。
だが、完全に乳母任せにしている家は、貴族ならば珍しくない。
平民の乳母が貴族の前に姿を見せないことなど珍しくないし、その間の経費請求もその方法を知らず、自前で処理していたとも考えていたとその家の当主は堂々と言い放った。
だから、全てを知った今、その子供は聖堂に渡さずこの家で育てる、と。
王家は、一月もの間、家の人間の手も借りずに生き延びていたということが、件の精霊族が告げた「男」である可能性が高いと判断し、聖堂ではなく、城で直接保護をしようとしたらしい。
その動きをその家の当主は察したのだ。
その理由は分からないが、自分の息子は、王家が庇護したくなるほどの価値があるのだと。
理由が分かっていない時点で、その当主は、自分の子どもの魔力が強いことを把握していなかったと言えるだろう。
厄介なことにその当主は欲深かった。
だから、自分の子は王家が目に掛けるような「金の卵」だと気付いてしまった。
王家の監視下にあるということは、王家から目を掛けられていることと同義である。
そうなれば、簡単に手放すはずがない。
そして、その父親たる自分も、多少の便宜を図ってもらえる可能性もあると踏んだらしい。
実際、その子供を養育するために、多額の金銭を王家に要求している。
自分の実子であるにも関わらず、だ。
そうして、生後二カ月にして、その貴族子息は、王家に見張られながら、欲深い貴族の庇護のもと、生きていくことになった。
尤も、欲深い貴族の当主は、当然ながら、育児経験などなかったために、再び乳母を雇うことにはなった。
それでも、最初の乳母のように逃げられ育児放棄されても困る。
次に、そんなことが起これば、今度こそ王家は完全にその子供を奪うだろう。
乳母に対して、報告書の提出を義務付けた点は学習したと言えるだろう。
その報告も、いちいち読むのが面倒になったらしく、毎日から、週一、月一へと変わるまでそう期間はかからなかったとも聞いているが。
結果として、その貴族子息は、立場に見合わない高度な教育を受けさせられ、王家から見張られて、成長していったのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




