あの場所
「は? 正気ですか?」
アーキスフィーロさまから、国王陛下との話を聞いた後、セヴェロさんが口にしたのは、そんな身も蓋もない言葉だった。
「アーキスフィーロ様が登城する。それは分かりました。まだ子息の身ですが、貴族の責務と言われたら仕方ないでしょう。寧ろ、今までがおかしい。だから、納得はできます」
そこで言葉を切って……。
「でも、何故、その務め先が『契約の間』なんですか? 阿呆ですか? 気狂いですか? 正気ですか?」
そうアーキスフィーロさまに迫る。
「セヴェロさん、それについてはわたしが……」
「シオリ様の言い分は分かりました。寧ろ、アーキスフィーロ様の至らない点までフォローしてくださったことに感謝します。だからこそ、アーキスフィーロ様に確認したいだけです」
わたしが勝手に決めたことだと言おうとして、セヴェロさんに遮られた。
「貴方自身が、あの場所で仕事をすることに、耐えられますか? ボクが確認したいのはその一点だけです」
いつになく強い口調でアーキスフィーロさまに問い質すセヴェロさん。
そこにはわたしの知らない事情があるのだと思う。
セヴェロさんはずっと、アーキスフィーロさまを、気に掛け、心配し、見守ってきた精霊族だ。
それがいつからかは分からないけれど、少なくとも、わたしたちよりはずっと長い。
「今日、あの場所で8時間ほど過ごした」
「マジかよ」
あ、セヴェロさんの口が悪くなっている。
「本当だ。だが、俺とシオリ嬢が入る前に、トルクスタン王子殿下の従者たちが、部屋の掃除をしてくれていた」
「部屋の……、掃除……?」
「そのためか、少なくとも、気分を害するようなモノは存在しなかった」
そう言えば、部屋に入る前、雄也さんと九十九が先に中に入っていた。
確かに彼らは掃除と言っていた覚えがある。
それは単純に大気魔気の調整をやってくれたのだと思っていた。
「少しぐらい掃除したところで、あの部屋の本質は変わらない」
「俺もそう思っていた。だが、違ったのだ。あの部屋が、あんなにも……」
「トルクスタン王子殿下の従者たちは一体何をしたんだ?」
そこでわたしを見られても困る。
あの契約の間に入った後の彼らの気配はいつもより掴みにくかったために、動いていたことは分かっていても、何をしているかまでは分からなかったのだ。
「まあ、シオリ様の同行だけでなく、ボクも同行を許されたなら、少しはマシか? だが、城。城か~。面倒だな~」
セヴェロさんは頭をガシガシ掻きながら、そう言った。
恭哉兄ちゃんの話では精霊族は、神の気配を感じるような大気魔気の濃い場所を好むと聞いていたが、セヴェロさんのこの様子だと、そうとは言い切れないようだ。
「つまり、アーキスフィーロ様は、大丈夫なのですね?」
セヴェロさんは念を押す。
「いつまでも、逃げてばかりはいられないからな」
「よく言うよ。本当は逃げたいくせに」
そう言い切れるのは、心を読んでいるからだろうか?
もしかして、わたしが考えているよりも、アーキスフィーロさまにとっては良くない場所だった?
大気魔気の調整以外にも何かあったのだろうか?
そうだとしたら、相談もなしに決めたのは良くなかった?
「アーキスフィーロさま、もし、登城がお嫌なら、その……、わたし一人でも……」
国王陛下が望むのはわたしではなく、アーキスフィーロさまだ。
だから、意味はないことが分かっていても、そう提案してみる。
「「「「それは駄目です」」」」
案の定、四方から駄目だと言われてしまった。
「シオリ様をあの城へ、お一人で? 即、クソ……、失礼、色ボケ……、おっと、国王陛下に子供ができるまで抱き潰されますよ。シオリ嬢の体型はお好みではないでしょうが、気に入られてしまったようですからね」
本音がだだ漏れてます、セヴェロさん。
そして、どさくさに紛れて、わたしも貶めてませんか?
「あんな危険な所に貴女一人で行かせるぐらいなら、俺一人で十分です。寧ろ、貴女は行かなくても……、いや、ここもシオリ嬢を一人にするのは危険だったか……」
妙に迷いを見せるアーキスフィーロさま。
「もともと城という場所で女性が一人で行動することが許されません。少なくとも、わたしかヴァルナをお連れください」
ルーフィスさんからもそんなことを言われてしまった。
だけど……、あれ?
これまで城という場所で、わたしは一人で行動……、してなかった。
必ず、護衛として九十九が傍にいた。
ストレリチア城内にある大聖堂でも、ほとんど九十九か恭哉兄ちゃんが付き添っている。
つまり、城ってそんなに危険な場所なの?
だが、ワカは一人で行動していた気がするけど、気のせいか?
「栞様は無謀すぎます」
たった一言で、的確に打ち抜いてくるヴァルナさん。
なんで、13歳モードだとそんなに口数が少なく、確実に攻撃してくるんですかね?
尖ったお年頃?
「シオリ様はこのロットベルク家で一人にはできません。そして、城にお一人で行かせるのは論外。つまり、アーキスフィーロ様が根性を出して、シオリ嬢と共に登城するしかない。ここまでは我々も共通の見解です」
ああ、セヴェロさんは登城そのものに反対はしていないわけか。
そして、そこにわたしが同行することもおっけ~。
じゃあ、問題はその行先が契約の間という点ということになる。
「第五王子の部屋じゃ駄目なんですか? 確かに後宮近くで、昼間から情事もあちこちから聞こえるような部屋ですけど、それぐらいでしょう?」
「そんな部屋の近くにシオリ嬢を連れて行けるか」
アーキスフィーロさまが不機嫌そうにそう言った。
だが、気になる。
なんで、昼間からそんな声があちこちから聞こえるのだろう?
そういうのって普通は夜じゃないの?
しかも一箇所からじゃないってどういうこと?
そして、そんな場所だと知っているってことは、アーキスフィーロさまもその部屋でそう言った声を聞いたことがあるということか。
それが、近年なのか、10歳未満の時点なのかでいろいろ変わってくる。
どちらにしても、教育に良くない環境ではあるのだろうけどね。
「魔力の暴走と、人の目を考えれば、地下の部屋は悪くない」
「まあ、部屋に連れ込まれる率は下がりますね」
城ってそんなに物騒なところだったっけ?
「ああ、シオリ嬢はお忘れかもしれませんが、アーキスフィーロ様は異性を狂わす眼をお持ちです。後はお察しください」
察しました。
わたしではなく、アーキスフィーロさまの身の危険だったらしい。
そうですね。
人類の半分は女性。
城に仕えている女性はそこまで多くなくても、ゼロではない。
アーキスフィーロさまは、あの舞踏会でも背を丸め、俯いていることが多かった。
しかし、部屋に連れ込まれるってどれだけ酷い目に遭ってきたのだろうか?
そして、女性が男性を襲うって可能なのだろうか?
いや、平均的に見て、単純な力では女性は男性に勝てない。
この世界には魔法があるから、それも絶対ではないけれど。
でも、その魔眼……。
なんとなく、魔力の強さに関係なく、王族には効いていない気がする。
正妃殿下はアーキスフィーロさまと円舞曲を踊っていたけど、変化はなかった。
第一王女殿下は、アーキスフィーロさまに怯えていた。
第二王女殿下は、惑わされたというよりも、周囲からの声を聞いた限りでは、アレが素だと思う。
王族ならば、一定以上魔力が強いからと言えなくもないけれど、正妃殿下はともかく、第一王女殿下、第二王女殿下はそこまで強くなかった気がするのだ。
そうなると、魔眼を無効化するのは、魔力の強さではなく、神の加護が関係しているのかもしれない。
そういった意味では、わたしや水尾先輩、真央先輩にも効果が効かないのも分かる気がするのだ。
他大陸とは言え、神の加護はあるのだから。
でも、それは本題ではないので、今は横に置いておこう。
「まあ、アーキスフィーロ様が、登城に対して前向きになり、シオリ嬢の同行ばかりか、随行者の許可も下りたのは僥倖でしょう。今後、条件が変わることはあるかもしれませんが、暫くは、国王陛下の意思に従うしかありませんね」
国王陛下にかなり思うところのあるらしいセヴェロさんが、そう纏めてくれたのだが、はたして、本当にこれで良かったのだろうか?
そんな一抹の不安が、今更ながら、わたしの胸にあったのだった。




