お出迎え
「お帰りなさい、アーキスフィーロ様。そして、シオリ様」
ロットベルク家のアーキスフィーロさまの部屋に戻った時、わたしたちを迎えてくれたのは、やはり、セヴェロさんだった。
玄関先でも、ロビーでも誰も出迎えることはない。
アーキスフィーロさまが登城したのは、当主さまも知っているはずなのに。
出迎えるように指示をしていないか、単純に使用人たちの職務放棄なのかは分からない。
九十九と雄也さんとは、部屋の前で別れた。
今の彼らは、トルクスタン王子からお預かりした従者だから。
本来なら、トルクスタン王子に直接、御礼を言いながら、彼らと別れるべきなのだろうが、彼らがそれを固辞したのである。
まあ、二人はいつもの姿に戻る必要があるためだろう。
「いろいろ報告があるでしょうが、まずはお二人とも、お召し替えを先にお願いします」
登城したアーキスフィーロさまはフロックコートだし、わたしもアフタヌーンドレス姿である。
アーキスフィーロさまはともかく、このままではわたしの居心地が悪い。
お城ならともかく、日常的に仕事するような書斎でドレス姿って落ち着かないのだ。
それに、いつも着ているワンピースよりは重いし、動きにくい。
何より、ドレスを綺麗に見せるための補正下着もある。
素直に、母は凄いと思えた。
セントポーリア城にいた時は、常にシンプルで飾り気はないけれど、長いドレスで仕事していたから。
いや、仕事先がお城だから浮かないけれど、人間界にいた頃の母とは全く違う装いであったのことは間違いない。
保育士の仕事着はジャージ、エプロンが多いのだ。
「それでは一度、部屋に下がらせていただきます」
できれば、そのままベッドに身体を埋めたい気分ではあるのだが、そういうわけにもいかない。
早めに今後の話し合いをする必要はあるだろう。
一礼して、部屋から退室した。
アーキスフィーロさまの部屋の控え室から書斎を通って、弓道場の横にある部屋の戸を開けると……。
「「お帰りなさいませ、栞様」」
「へ?」
ルーフィスさんとヴァルナさんが、頭を下げて声を揃えて出迎えてくれた。
いや、ちょっと待って?
移動については、移動魔法を使えば、一瞬でこの部屋に来ることは可能だろう。
他人の邸宅内で移動魔法を使うのは非常識な行動ではあるが、貴族の邸宅は本来、移動魔法防止の結界は必ずあると聞いている。
だが、それは現代魔法に関しての措置であり、古代魔法で移動魔法を使える人間には無意味であることは、カルセオラリア城で既に証明されていた。
だから、二人が既に先んじてこの場にいることに驚きは少ししかない。
だけど、薬を飲んだ上で、着替えして、鬘被って、カラーコンタクトして、さらに化粧までするのが、ちょっとばかり、早過ぎないかな?
二人と別れたのは、アーキスフィーロさまの部屋の前だったのだ。
つまりは、地下に下りるまでは一緒だったのである。
そこから、移動魔法、薬の服用、さらには女装。
わたしとアーキスフィーロさまが部屋に入ってから、迎えてくれたセヴェロさんとの会話時間はそんなに長くなかった。
寧ろ、いつもより短いぐらいだった。
それなのに、どれだけの早業でしょうか!?
着替えの魔法だってあるから一瞬でお着替え完了は分かるのだ。
だけど、さらに化粧までしている点が恐ろしい。
「栞様もお疲れでしょうが、まず、お着替えを先に済ませてしまいましょうか」
ルーフィスさんがにこやかに微笑んだ。
これ以上、深く、追求するなと、そう言う笑みですね?
「はい。お手伝いをお願いします、ルーフィスさん」
他者に対する更衣魔法はルーフィスさんしか使えない。
ヴァルナさんは、自分に対しての着替えは可能だけど、他者に対しては使えないらしい。
この辺りは、兄と弟だからだろうか?
二歳年上の兄は幼い頃から弟の世話を焼いていただろうけど、弟は自分のことだけしていれば良かっただろうからね。
「更衣魔法」
ここに来てから、何度、この言葉を聞いたことだろうか。
わたしの手に触れるだけで、見事に早着替えができる。
但し、補整下着はそのままであった。
いや、大丈夫。
でびゅたんとぼーるの時のようにギチギチに締められたものではない。
少し厚手で普通より締め付けられるものの、呼吸はできるし、飲食も問題ないのだ。
そうして、お着替え完了。
さらば、ピンクのひらひらドレス。
こんにちは、紺色の膝下ワンピース。
「このまま、髪と化粧直しをしましょう。ヴァルナは、飲み物の準備を」
「用意できております」
有能な従者は専属侍女に戻っても有能です。
化粧直しの前に、お茶を差し出され、それを口にすると、かなり落ち着いた。
あの契約の間でも、簡単な食事はとっていたが、やはり喉が渇いていたらしい。
朝から夕方までと、あんなに長時間の拘束だったのに、城からは何も出されることはなく、その状況を見かねたトルクスタン王子の従者たちが準備してくれたのだ。
保存食だと言っていたが、普通の従者たちがそんなに準備が良いとは限らない。
もし、彼らがいなければ、わたしたちはお腹を空かせることになっただろう。
それから、上げられていた髪は下ろされた。
先ほどまで編み込んでいたために、その跡がついたようだ。
わたしの髪としては珍しく、少しふわふわとウェーブがかったものになっている。
「どうします? 纏めますか?」
「いえ、このままでお願いします」
これから会うのはアーキスフィーロさまとセヴェロさんだから、髪を纏めなくても問題はないだろう。
二人が今更その辺りを気にするとは思えない。
最近、編み込んだり、ひっ詰めたりしているから、頭皮が引っ張られている感が凄かったのだ。
いや、その時は痛くないのだけど、下ろした時になんとなく解放感があるのはそう言うことだろう。
ドレスに負けないように塗りたくられていた化粧を落とし、軽い室内用の化粧へと塗り替えられる。
これ、自分でもできるようにならないとな~。
舞踏会のように、専属侍女たちから離されることもある。
登城許可は下りたけれど、それは人目に付かない場所限定なのだ。
そうなると、次回の夜会に参加しなければならない時は、確実に困るだろう。
いや、あんな風に化粧直しとかが必要になるとは思いたくないけれど、舞踏会でわたしに絡んだ第二王女殿下のこともある。
貴族たちの集まりは何が起きるかが分からないのだ。
技能を身に着けた方が良いことは間違いないだろう。
まあ、最悪、変身魔法を使えば良いとも思っているけどね。
そして、いつものスッキリした顔は、少しだけ化粧で彩られる。
うん、化粧は魔法だね。
「栞様」
「はい」
「私もヴァルナも、専属侍女として栞様に付いて行くことができず、大変、申し訳ございません」
ルーフィスさんとヴァルナさんが同時に頭を下げた。
確かに専属侍女としては付いてきていないから、その発言に誤りはない。
「それは仕方のないことだと承知しております」
今回のことで、国王陛下から平民でも付き人になっても良いと許可が下りた。
だから、今後、城にわたしが向かう時は、ルーフィスさんとヴァルナさんを連れて行くことが可能となったのだ。
だけど、まだこの時点ではそれを言えないし、彼女たちは知らないことになっている。
それぐらいはわたしも理解していた。
それでも、念のために確認されたのだと思う。
うっかり、わたしが不自然なことを話さないように。
わたしの留守中に、この家で、いや、この部屋にずっといたことになっているルーフィスさんとヴァルナさんが、城で起きたことをの全てを知っているはずがない。
そして、国王陛下との話を知っているのは、本来ならば、わたしとアーキスフィーロさまだけのはずなのだ。
中にいた人間がうっかり通信珠を起動させたままの状態で、玉座の間の外にいた従者たちと情報共有をしていたとしても、その通信した相手は彼女たちではない。
だから、彼女たちは何も知らないのである。
「後で、栞様の口から、お話を聞かせていただければと思います」
それは、わたしの口からもしっかりと報告しろってことですね。
「承知しました」
どちらにしても必要なことだ。
後でちゃんと話せるように、考えを纏めておかなければならないだろう。
「それでは、行きましょうか」
そうして、わたしたちはアーキスフィーロさまが待つ書斎へと向かうのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




