掃除の後
待つだけの時間って、本当に長い。
だけど……。
「アーキスフィーロ様、栞様。もう大丈夫ですよ」
そんな声とともに、中から扉は開かれた。
そのことにホッとする。
信じていたけれど、無事を確認するまではやはり不安なのだ。
待つだけの時間は本当につらくて、長い。
「大丈夫……?」
だけど、アーキスフィーロさまはどこか茫然とした声で呟いた。
「お二人が心地よく過ごせるように、少しばかり掃除をしました、そのため、お時間がかかってしまったことをお詫びいたします」
雄也さんと九十九は揃って礼をする。
扉からは、先ほどのような気配はない。
本当に大気魔気の調整を二人だけで終わらせてしまったらしい。
ただ、九十九の服が少しだけ着崩れている点が気になる。
そして、雄也さんの髪も少しだけ乱れている。
もしかして、暴れた?
「そ、そんな、この部屋に入って、意識があるなんて……、黒公子ぐらいしかいないと聞いていたのに……」
後ろから、さらに驚くような声。
そんな部屋だと知っていて、わたしたちを案内するとか、酷い話である。
まあ、今回の場合は自薦のようなものだった。
ある意味、この人に罪はない。
先ほどからの言動や態度には、つい、ムカっとしてしまうけどね。
「ご使者殿も入られますか?」
「い、いや、私は扉の外で時間が来るまで待機しておけとの命令ですので……」
そして、雄也さんからのお誘いもお断りされる。
まあ、意識を失うような部屋に入れと言われて喜んで入る人はいないだろう。
寧ろ、そんな部屋の中から平然と呼びかけられるような人がいたら、絶対に恐れると思う。
本当にこの人を敵に回したくはないな~。
「それではお入りください、アーキスフィーロ様、栞様」
雄也さんが片手を広げて、中に入るように促す。
「シオリ嬢。もし、気分が悪くなるようだったら、すぐに退室してください」
「分かりました」
アーキスフィーロさまから手を差し伸べられる。
でも、多分、すぐに出ることはないだろう。
先に、護衛兄弟たちが……って……。
「水……?」
部屋に入って、最初に頭の中に浮かんだのは、その単語だった。
水、water、H₂O。
沸点100℃、融点0℃の水素と酸素の化合物。
人間を含む生命体にとって必要不可欠な物質。
それが、世界における水なのだ。
いや、それはそれとして……?
濃密な大気魔気の気配を覚悟していた。
だが、まあ、確かに濃いけれど、濃密と言うほどではない。
寧ろ、想像よりもずっと薄い?
まるで、ロットベルク家の……、アーキスフィーロさまの私室ぐらいの気配だ。
「これは一体……?」
アーキスフィーロさまも同じような感想を抱いたのか、信じられないような顔で周囲を見回している。
わたしも改めて部屋の中を確認する。
やはり、契約の間だけあって、広いと思った。
端の方には机と椅子が置いてあって、なんとなく、これまで見た中では、大聖堂の契約の間に似ている気がした。
因みにセントポーリア城の契約の間には、余計なものが一切なく、カルセオラリア城内の契約の間は、本棚などの家具もあった。
「カルセオラリア城のように、書棚も要りますか?」
「いいえ。必要な本があれば、持ち込みます」
雄也さんに声を掛けられ、アーキスフィーロさまは迷いながらもそう答える。
アーキスフィーロさまも召喚魔法、収納魔法は使える人だ。
だから、ここに物を置く必要はないのだろう。
それにしても、話に聞いていた限り、この部屋はかなり濃密な大気魔気に包まれていたはずだ。
それなのに、短時間で何故、その名残すら感じられないのだろう?
契約の間と言うよりも普通の部屋のように思える。
でも、仄かに普通とは質の違う空気が流れているため、やはり、契約の間であることは間違いない。
だけど、どうやって……?
部屋の中の空気からは、風属性の気配も、光属性の気配も感じない。
漂ってくるのは仄かな水属性の気配。
そうなると、水属性の現代魔法を使いまくった?
この部屋にあった大気魔気の調整をするためにはどのくらい魔法を使わなければならなかっただろう?
元々の濃度を知らないわたしには分からなかった。
「この部屋が……」
子供の頃からこの部屋を知っているというアーキスフィーロさまが何か言いかけて……、口を閉じる。
雄也さんだけでなく、九十九も人差し指を立てて、自分の唇に当てていたからだ。
そして、そのまま無言で、紙を差し出す。
「……承知しました」
それはスカルウォーク大陸言語で「この部屋の現状については、今は、何も聞かないでください」と書かれていた。
勿論、先ほどの案内してくれた人の口から洩れる可能性は高い。
だが、それはすぐではないだろう。
何より、詳しいことを確認するためには、この部屋に入る必要がある。
「ところで、この部屋については中の確認をするだけでよろしかったのでしょうか?」
雄也さんが思い立ったようにそう言った。
そう言えば、部屋を見ていけと言われたが、そこから先どうすれば良いのかは聞いていない。
「暫く、この部屋で過ごしているうちに、外から合図があるかと思われます。時間についてはちょっと分かりません」
アーキスフィーロさまは何かを思い出しているかのような瞳だった。
幼少期はそんな感じだったのだろう。
だから、国王陛下も何も言わなかった。
その頃と同じように過ごせということだろうか?
「それならば、暫くはここで過ごすことになりそうですね。カードゲームや、ボードゲームなどのテーブルゲームでもして待ちますか? それとも、読書の方がよろしいでしょうか?」
雄也さんが提案する。
確かに、この部屋で下手に言葉を発しない方が良いと判断した以上、お喋りをして時間を潰すことができない。
「カードゲームやボードゲームは何がありますか?」
だが、これらなら問題はない。
普通に会話もできるだろう。
この世界でもトランプは見たことがある。
そして、リバーシは九十九とやったこともある。
その辺りだろうか?
「栞様たちが知っているようなカードゲームならば、トランプ、花札、後は……、数字の『1』を意味するカードゲームですね。他には、いろはがるたと百人一首もあります」
そう言いながら、机の上にそれらを並べていく。
いや、持ち込んでいるゲームの種類が多すぎませんか?
まあ、収納魔法があるから当然だろうけど。
花札はやったことがない。
猪鹿蝶って技があることは知っているけど、どうも、格闘ゲームのイメージが強すぎる。
数字の「1」を意味するこのカードゲームはやったことがあるけど、やる人によって何故かルールが変わった覚えがあった。
いろはがるたはともかく、百人一首の方にかなり心が惹かれるが、このメンツでは無理だと思う。
雄也さんに読手を頼めば、CD並みに見事な読みをやってくれそうな気がするけど、相手がいなくなってしまうだろう。
九十九とアーキスフィーロさまが百人一首を嗜んでいるとは思えない。
特に九十九は、セントポーリア城下の森でわたしが口にした歌もピンとこなかったほどだ。
多分、知らないのだと思う。
でも、ワカやオーディナーシャさまは百人一首で対戦したことが何度もあるから、今度ストレリチア城に行く機会があれば、ちょっとだけ雄也さんからお借りしても良いかな。
「ボードゲームは、リバーシ、チェス、将棋、囲碁、双六、ちょっと変わり種の人生を模した双六もあります。他にはボードゲームとは少々違うかもしれませんが、麻雀もできますよ」
更にその机に箱が次々に積み上げられた。
麻雀の箱はやたらと大きかったために、机の横に置かれた。
人生を模した双六は一度だけ友人宅でやった覚えがある。
人生最大の賭けに敗れて突っ伏した友人の落ち込みようが凄かったので一度きりとはいえ、忘れられない。
その中で、やったことがないのはチェスと、囲碁、麻雀かな。
チェスは将棋に似たようなものだと聞いている。
だが、わたしとしては少年漫画の敵役として出てきたイメージが強い。
キングがかなりアホだったけど。
囲碁もよく分からない。
この世界に来る前、少年漫画で少し読んだだけで、ルールがよく理解できなかった。
麻雀もゲームセンターで見かけたことはあるけど、やったことはない。
似たような玩具みたいなゲームで遊んだことはあるけど、確か、柄を揃えるものだった気がする。
「アーキスフィーロさまは何がお好きですか?」
「人間界のゲームが出てくるところに驚きを隠せませんが、この中でやったことがあるのは、トランプと将棋、リバーシと麻雀ですね」
何故に麻雀?
意外過ぎてこちらの方が驚きを隠せない。
「中学の時、弓道部の合宿で、先輩たちに教えられました」
わたしの視線に気付いたのか、少しだけ気まずそうな苦笑いをするアーキスフィーロさま。
しかし、何やってんの!? 弓道部!!
いや、合宿はわたしたちソフトボール部にもあったけど、せいぜい、トランプぐらいだったよ!?
しかも、麻雀って、この箱だけでも、かなり大きいのに、見つからないように運ぶのは大変だったのではないだろうか?
いや、その弓道部の先輩たちというのがこの世界の人たちなら、それは可能なのか。
収納魔法があるからね。
「わたしはどれでも良いので、アーキスフィーロさまが選んでいただけますか?」
やったことがなくても、ルールは教えてくれるだろう。
複雑なルールのものは出してこないと思う。
「そうですか。それならば……」
さて、アーキスフィーロさまが選んだのはなんでしょう?
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




