この国の常識
「アーキスフィーロ様と栞様は、ここでお待ちください」
契約の間の扉を前にして、わたしとアーキスフィーロさまにそう言ったのは雄也さんだった。
「しかし……」
その申し出に、アーキスフィーロさまは困惑する。
「部屋に危険がないかを確認するだけです。私どもが良いと言うまでは開けないようにお願いします」
なんだろう?
それだけで嫌な予感がする。
いや、従者や護衛の言葉としては間違いないのだ。
安全確認は大事だから。
「それでは、貴方方が……」
「アーキスフィーロ様のお心遣いに感謝します。ですが、我々はトルクスタン王子殿下より、貴方と栞様を護るように仰せつかりました。それならば、お二人から、危険を排除することが務めと承知してください」
尚も、戸惑うアーキスフィーロさまを雄也さんが説き伏せる。
アーキスフィーロさまには身を挺して護ってくれる従者の存在がこれまでなかった。
身を挺さない自由な従僕はいるけれど。
だから、戸惑ってしまう気持ちも分かる。
他者の命を預かるのは重いのだ。
だから、危険だと分かっているなら、なんとしても止めたくなる。
「栞様も、私どもが良いと言うまでは、この扉を開けないように。絶対に! そのことだけはご承知おきください」
何故か、わたしはさらに念を押されてしまった。
「分かりましたね?」
更なる念押し。
わたしはどれだけ信用がないのか?
そして、美形の迫力は眼鏡越しでも凄い。
了承以外の言葉を許さぬ申し出に……。
「はい」
わたしはそう答えるしかなかった。
「それでは、扉を開けますから、お二人は少し離れてください。準備は良いか?」
わたしとアーキスフィーロさまを少し離し、その上で九十九に確認する。
九十九は言葉を発さず、頷くだけに留めた。
扉を開け、吸い込まれるように二人が中へ消えていく。
そして、素早く締められた。
それでも、その一瞬だけでも、溜まった水が勢いよく押し出されるような光景を幻視して、思わず、身構えた。
迎え撃つ意味ではなく、自分の体内から溢れようとする何かを押さえつけようとして。
「シオリ嬢?」
わたしの様子の変化にアーキスフィーロさまは気付いてくれたらしい。
気遣うように声を掛けてくれる。
「わたしは、大丈夫です。でも……」
先に中に入った二人は?
この扉の奥は、二人の気配はする。
でも、いつものように分かりやすいものではなかった。
ぼんやりと、そのまま消えてしまいそうな二人。
いや、それは、この部屋が契約の間という特殊空間だからだ。
そこに入れば、わたしも九十九の気配は感じにくくなる。
でも、分かる。
九十九も雄也さんも、気配は残っている。
わたしは扉に触れようとして、手を止める。
「シオリ嬢……」
「大丈夫です。トルクスタン王子殿下が手配してくれた二人ですから」
わたしは二人を信じている。
わたしを入れなかったのは、二人だけで大丈夫だと判断したからだ。
危険があったからではないと、信じている。
「ですが、この部屋は……」
「罪人たちの懲罰の部屋……ですからね」
アーキスフィーロさまの言葉を遮るかのように、後ろから声があった。
それは、この部屋まで案内してくれた人だった。
「罪人たちの、懲罰の部屋……?」
何?
契約の間ではないの?
それを知っていたから、雄也さんはわざわざ確認した?
「アーキスフィーロ様は何もお連れ様に話しておられないのですね。この部屋は確かに『契約の間』ではありますが、今では罰を与えるために閉じ込める場所となっております」
「そうなると、陛下たちはどちらで魔法契約をされるのですか?」
わたしが問いかけると、案内をしてくれた人は大袈裟なまでに肩を竦めて……。
「いろいろですよ。私室だったり、広間だったり。魔法の試し撃ちをされない限り、契約の間なんて不要ですからね」
カルチャーショック!!
ここまで、常識って違うのかと驚いた。
魔法国家の王族たちからは、大気魔気が濃密な契約の間で契約する方が、魔法契約率は格段に上がると聞いてたのに。
いや、魔法をそこまで重視していないってことだろうか?
ああ、その辺りの常識もわたしには足りない。
「な、何故、契約の間に閉じ込めることが罰を与えることになるのでしょうか?」
なんとかそんな言葉を絞り出す。
「この部屋に入ると、気分が悪くなるのですよ。王族、貴族たちの常識です」
どこの世界の常識だ!?
いや、この国の常識でしたね、そうでした。
「この部屋に入られた二人は、カルセオラリア第二王子の従者でしたか。お気の毒に。いや、公子たちを護るためですから、喜ばれるかな?」
そう言いながら、意地悪く笑う。
「ふふっ、公子もホッとしたことでしょう。本来は、貴方が入るべき部屋に、他国の人間が進んで入ってくれたのですから。貴方は何も悪くありません。ただ、先の二人が愚かなだけです」
なんだと?
今の言葉は聞き捨てならない。
だけど、本当に愚かなのはどちらか。
そんなのもう少ししたら分かることだ。
アーキスフィーロさまは、この部屋に幼い頃から入っていたと聞いている。
先ほどの話から、この場所にはなんらかの罰として閉じ込められたことは間違いない。
そして、その結果、体調を崩しつつも大気魔気の調整ができてしまった。
だけど、水属性の貴族子息とはいえ、5歳ぐらいの子供の話だ。
他属性であっても、成人済みの王族の身体なら、耐えられると思う。
本当なら、わたしも一緒に入った方が確実だったはずだ。
わたしも他属性とはいえ、王族の血が流れているのだから。
でも、彼らは立場と状況を考えて、自分たちだけでなんとかすることを決めてしまった。
本当に悔しい。
濃密な他属性大陸の大気魔気の調整が、どれだけ身体に負担となるのか分からないというのに、何の助けもできないなんて。
「ああ、私はここで貴方たちを見ていますのでご自由にどうぞ。今からでも中に入っても良いですし、勿論、逃げ帰っても誰も責めませんよ」
さらに挑発するような言葉。
分かりやすく煽られている。
アーキスフィーロさまに対してか。
それとも、わたしに対してか。
「シオリ嬢。私だけでも中に……」
「お止めください」
「ですが……」
アーキスフィーロさまが中に入ろうと扉に手を伸ばしたが、それを制する。
「トルクスタン王子殿下の従者たちです。彼らは危険を承知の上で、この部屋に入ったかと存じます」
それは間違いない。
だから、わたしを後ろに下げたのだと思う。
「その彼らが言うのです。良いと言うまでは開けるなと。それならば、わたしはそれに従います」
「そうは言いましても、この部屋で意識を失えば、中から、良いということもできません」
それは、何度かこの部屋で意識を失ったことがあるからこその台詞だろう。
だが、わたしは知っている。
「彼らが自分たちでなんとかすると言ったのです。わたしはそれを信じて待ちます」
二人の気配は薄いけれど、ちゃんと感じる。
しかも、何故か、激しいくらいに動いている。
これが倒れるような人間たちの状態とは思えない。
「ヒューッ、かっこいい~。この女性は公子よりも、貴族らしいじゃないですか」
案内人は囃し立てる。
「いやいや、結構、結構。弱者の切り捨ては貴族の基本です。他者を犠牲にして自分の身を護ることも」
それが基本ならば、わたしは貴族にはなることができない。
切り捨てるわけではない。
犠牲にして身を護るつもりもない。
今度は、扉に触れる。
こちらから、開けることはしない。
それは彼らの矜持を傷付けることになるから。
だから、待っている。
信じている。
この扉が向こうから開くことを。
わたしは彼らの主人だ。
その心をわたしが信じなくてどうするの?
「シオリ嬢……」
アーキスフィーロさまはわたしに声をかけかけ、黙って横に立ってくれた。
うん、それだけで良い。
横にいてくれるだけで、不安は和らぐ。
だけど、案内人はニヤニヤとそんなわたしたち二人を面白そうに見ているのだった。
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